水佑

2000年生まれ。言葉は、文字にして書くことが好きです。エッセイだったり、ちょっとした…

水佑

2000年生まれ。言葉は、文字にして書くことが好きです。エッセイだったり、ちょっとした物語を書いています。読書が好きで、辻村深月さんや高田大介さんの言葉をいただく日々です。

マガジン

  • エッセイ

    楽しいもの、大事なものを見つけて言葉にするのが好きなんです。 「分かる!」も「へー」も嬉しいです。「へー・・・」も、是非。

  • 小説

    小説が繋ぐものを私なりに繋いでみました。初めに書いた「現在」を読んでみてもらえると嬉しいです。

  • ショートストーリー

    私が一人好きだからか、一人行動が好きな主人公が多いです。半分空想エッセイかもしれません。

最近の記事

森の全貌

私は大学で教育学や心理学を学んでいる。 四月からM2、この数週間は穏やかに過ごしているが、本格的に調査を始めてしまえば修士論文が完成するまで忙しいだろう。 いつも、「研究」や「探求」とは何を指すのだろうと考える。 授業数の少ない大学院生の日々で、論文や研究のノートに向かう日もあれば、教授と研究に関する話をしていたらいつの間にかもっと抽象的な話をしていたという日もあり、頭の中が煮詰まって散歩をする日もあった。勿論、それ以外の部分では研究とは全く関係のない時間を過ごしている。

    • 映画と私と、私

      田舎のショッピングモールの上階の端にある、寂れた映画館に入った。そこからさらに一番端のシアターを目指し、劇場の一番後ろの席に座った。 約一年前の春に、「少女は卒業しない」という映画を観た。 昨年、この日の体験について記事を書いた。それから、時間の経過によってあの日の記憶は変容し、当時はふわふわと浮いていた感情に輪郭が与えられた気がしている。 嘘をつけない自分の感度を信頼していい。 だから、映画のために過ごしたあの日の記憶に意味を与えなくていい。 年々日常的な冒険をしなく

      • 残され残る古本屋 

        約一年前に記事に書いた、沢山の本で見通しの悪い小さな古本屋の前を通った。厳密には、店の前を通りたかった。 かれこれ二年近く足が遠のいていたところ、先日になって古本屋がある通りを歩いて向かう用事ができたので、丁度気候がよく午後の散歩にはぴったりだったのだ。 こじんまりとした白いビルの一階が見えて、私は建物よりも窪んだところにある扉やガラス窓を覗き込んだ。そうそう、と。 目に入ったのは以前よりも清潔そうな印象の店内と、素早く動く黒い服を来た何人かの人。見覚えのある建物と間取りに

        • 適温

          昨年は、心身の体調を崩すことが多く、「健康」とは何なのかをずっと考えていた。 慣れない環境に焦ったり、勝手に不安になったり、そんなときには大抵①脳が興奮しているか②血の気が引いているかの状態にある。 話は変わり、私は毎月のテーマを設定しているのだが、2月に目指すのは「適温」である。 就職活動で忙しくなる一月に、焦らず落ち込まずにいられる丁度良いモチベーションを保っていたい。ぬるい?ほの温かい?温度には、楽しさも緊張も含まれていてほしい。 健康とは、自分の温度を保つエネルギ

        森の全貌

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        • エッセイ
          64本
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        記事

          伝えるためには受け取らねば、受け取るためには伝えねば

          “誰もが伝えたいかたちでコミュニケーションを取ることができる” どんなに技術やツールが発達しても叶わない、異なるコミュニケーション手段を用いる者同士の伝達が可能になれば、毎日が幸せになる人が少なからず存在すると思うのだ。 声を使う。文字を使う。手を使う。表情を使う。目を使う。体全体を使う。いくつかを手段を組み合わせて使う。 それらに対して、個人の自由ですと言うことはできるが、ではあなたと話しましょうとなると戸惑う人は多い。 同じ手段を用いる人同士でも上手く伝わらない、理解

          伝えるためには受け取らねば、受け取るためには伝えねば

          お酒と楽しさの距離

          お酒の場は嫌いだ、とずっと思っていた。 何故なら、私はアルコールを飲めないし、聴覚情報処理障害の症状(例えば、雑音の中で人の言葉が聞き取れない)があり、複数人がいる場所で会話をすることが楽しくないからだ。 お酒を飲みながら食べて話している中で、私以外の人が似たような熱量で盛り上がっているとき、私はまるで、急にとある飲食店の席に落ちてきた宇宙人のように、その場を観察することしかできないでいる。 大学3年のとき、授業の一環で取り組んだプロジェクトで県内のある市の行政にプレゼンを

          お酒と楽しさの距離

          イラストの原風景

          誰しもが持つであろう原風景は、実は、経験したことのない風景、例えばずっと都会で育った人が田園を見て懐かしさを感じるように、人が共通して抱く印象に委ねられることが多い。 小さい頃に私たちが共有したものの一つに、絵本がある。 数多くの絵本が存在する中、絵本と聞いて想像するのはどのような頁だろうか。温かい色彩に花、動物、子ども・・・といったところだろうか。 大人になると思いだすことはないが、絵本もまた原風景のような哲学を持っている。 遠い絵本の記憶を搔き集めたようなイラストを描

          イラストの原風景

          見せない写真

          妹とカフェに行くときは、フィルムカメラを持っていくようにしている。照明やインテリアに工夫を凝らした店が多いため、普段は見られないような美しい瞬間に出合えることがあるからだ。 例えばケーキを食べるなら、綺麗な状態の皿を写真に収める。 この日は窓際の席で光がよく入り、皿に載ったものの艶や柔らかさが鮮明に写すことができた。妹は二枚の写真を見て喜んでいた。 盛り付けた皿が綺麗なのは一瞬で、実は空っぽの器が目に入ったまま過ごす時間が一番長いのではないだろうか。 美しい光景ではないも

          見せない写真

          時間の正体

          時間の使い方や時計の時間を意識することには、いつまで経っても悩まされる。時計に縛られない暮らしをしたいと思いながらも、実際には田舎のJRの便に合わせて外出の予定を細かく調整する。論文を家で読む日や予定のない休日に、ゆるゆると過ごして罪悪感を覚える。「時間」とは、何だろうか。 「私も彼女の時間を一切れ求めることにした。」 私は、一切れという言葉には単位も数字もないのだと思った。一切れは、まろやかであって確実な塊なのではないだろうか。その大きさの違いよりも、他者に邪魔されること

          時間の正体

          独りのみち

          大学四年の春、私は就職活動をしていた。 普段からあれこれと考え込む性質の私にはやりたいことがあったが、それを現実の仕事に当てはめることができず、いくつもの会社について知り、社員と話す度に社会に対する不安と私自身への不安が膨らんでいった。 四月や五月に読んでいた本が、辻村深月さんの「子どもたちは夜と遊ぶ」だった。大学院生が主に登場する物語で、内容は決して穏やかなものではなかったが、そうか、大学院か、と面接練習をする傍らでぼんやりと考えた。 実は、大学の指導教員には大学院への

          独りのみち

          奇しい雲行き

          雨が降るか降らないかーそんな風に空の様子を窺いながら、傘を持ってカフェに向かうのが好きだ。 大概は行きは晴れ、日傘を差して歩く。暑い思いをする分、店内の涼しさを余計に嬉しく思う。 そして、帰りは雨が降る。雨傘を差して歩き、やや涼しい思いをする。 何故か途中で雨は止み、黄色い光が水滴を照らし、木々の多い田舎道を飽きることなく眺めている。 曇りのち雨、時々雨、と言われる天気の日にカフェに行こうとすると、もっと落ち着いた天気の日にすればいいのにと言われるが、雲行きが怪しいときには

          奇しい雲行き

          約束事か綺麗事か

          自分が口にした言葉に責任を持っている人はいるだろうか。 人前で宣言した言葉に限らず、日常生活でふと口にした言葉を、私やあなたは覚えているだろうか。 吐いた言葉に忠実に生きようとすると、当然言葉に苦しめられるだろう。口は禍の元、因果応報と言うが、過去の言葉と未来の言葉に縛られようものなら、この瞬間私は何と話すべきだろうか。 これは、前向きな選択の可能性でもあるのだ。 自分が選んだ言葉に苦しむということは、恐らくは自分が好ましいと思う姿、しかし今の自分には届いていない姿を基に

          約束事か綺麗事か

          言葉の海

          私は海に縁がない。数駅先に海がある場所に住んでいるにも拘わらず、つまりは積極的に海に触れようとは思わないまま暮らしてきた。 その分、たまに訪れる海は私を揺さぶるのだ。 その日、私は一人で海へ向かった。JRを使うとあっさりと辿り着いた。 何か目的がある訳ではなかったので、ぼうっと波や釣りをする人を眺め、穏やかな音に包まれていた。ぼんやりとではあったが、考え事をするにはぴったりの場所だった。 そこで、私は思ったのだ。こうやってぐるぐると考えていることを文章にしたい。それはきっ

          言葉の海

          ブーメランのような

          あなたのままでいい そんな言葉を口にできる人は、案外少ないのではないかと思う。二十数年ではあるが、これまでの人生で滑らかに「それでいい」と言ってくれた人は、ただ一人。 大学生、または大学院生と教員は、親しくなれば何でも話すようになる。私とその教授―M先生は、割と気が合うので、ゼミの後やちょっとした時間にぽつぽつと思っていることを話すことがある。 こんな会話を覚えている。M先生と私=Yとしておこう。 「この一年はどうだった。五点満点で言えば?」 「四点です」 「結構高評価

          ブーメランのような

          6月のとある幸せ

          大学で研究をしているときは、休憩がてら敷地内を散歩するのが面白い。この大学は比較的緑が多く、今の季節は紫陽花を始め様々な花が咲いていて、日に日に緑が濃くなっていく。 見ていて飽きないのは、正門の傍にある水路だ。緩やかな曲線を描いた水路は、水が流れる様子や音でいつまでも私を放さない。それに加えて、烏や雀や、嘴が黄色い小さな鳥が、水を飲んだり水浴びをしているのだ。 水浴びなんて、鳥でなくてもいつから目にしていないだろう。その光景は美しくて愛らしい。 そして、また頑張ろうかと、

          6月のとある幸せ

          その舞台を知っていること

          読んでいたい本の条件の一つに、読みやすさがある。ここでの読みやすさとは、文章が途中で引っかかることなく流れていくことで、文章と自分の相性のようなものだ。 すると、海外文学は読みづらいと感じてしまう。慣れない価値観や表現、単語に当たる度に文字を追う目が止まり、何度も「こちら側」に帰ってきてしまうのだ。 シュティフタ―と私に共通することといえば、自然に触れて育ってきたことくらいだ。しかし、その共通点によって、穏やかな緊張感、つまり集中して彼の作品を読むことができたのだ。 岩波

          その舞台を知っていること