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独りのみち

大学四年の春、私は就職活動をしていた。
普段からあれこれと考え込む性質の私にはやりたいことがあったが、それを現実の仕事に当てはめることができず、いくつもの会社について知り、社員と話す度に社会に対する不安と私自身への不安が膨らんでいった。

四月や五月に読んでいた本が、辻村深月さんの「子どもたちは夜と遊ぶ」だった。大学院生が主に登場する物語で、内容は決して穏やかなものではなかったが、そうか、大学院か、と面接練習をする傍らでぼんやりと考えた。

実は、大学の指導教員には大学院への進学を勧められていた。自覚しているあれこれと考え込む性質を、教授は評価していたようで、曰く、周囲に惑わされることなく考え続ける力がある。
ただ、私は大学院など学問がよっぽど好きな人たちの世界だと思っていて、私自身は就職するのだと当然のように考えていたので、教授とそのような話になる度に、ふうん、と聞き流していた。

ゴールデンウィークに入り、春に応募した企業の全てに落ちたことが分かると、不安ながらも清々とした気持ちになった。最後に受けた一社は私にとって特別であり、ここが駄目なら一旦就職活動や将来のことを見直そうと考えていたのだ。勿論、連休に入った時点で何も解決していない。

久々にのんびりと小説の続きを読みながら、慢性的な不安を押しのけて現れる感情の正体は何だろうと思う。空腹に近い、急いたような期待はどんどん膨らんでいき、記憶からある言葉を引き出した。
自由を手にする代わりに 踏み込んだ孤独の先に 選んだ新しい今が ほら未来を繋ぐ
それは、AAAの「Digest」という曲の歌詞だった。ああ、と私は笑った。

このまま何となく就職すれば、不安はないが自由だとは感じない。そして、既に私は進学に興味を持っていて、大学院は不安だけれども自由になれるのではないか。ほら、小説の彼らも楽しそうに生きている。

神経質になっていた時期だったこともあるが、小説や音楽が私を自由へと誘ってくれたように思えた。何より、孤独は悪いものではないと考えていた私に、最も嬉しい「孤独」という言葉をくれたのだ。
大学院進学を決めたときは、呆れるほどあっさりとその選択をしていた。

大学院生になって半年、慣れない環境にへとへとになることもあったが、息苦しいだとか不安になることはほとんどない。それは、研究を通して考えることと日頃考えていることが結び付き、確実に思考という味方が付いているからだろう。それを「自分が濃くなる感覚」と表現した人がいるが、その言葉をくれたことを含め、今の私はとても心強い言葉たちと共にある。

重要に思える選択ほど、直感に頼ってあっさりと決めてしまうといいとよく言われるが、それは正体不明の不安を手放し、孤独や自由に出合うためなのだと思えるようになった。
五月の夜に思い描いた自由を体現したいと思うし、あの日の自分を大事にするためにも、私はあの選択をした先にいる自分に出会っていきたい。

#あの選択をしたから

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