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時間の正体

時間の使い方や時計の時間を意識することには、いつまで経っても悩まされる。時計に縛られない暮らしをしたいと思いながらも、実際には田舎のJRの便に合わせて外出の予定を細かく調整する。論文を家で読む日や予定のない休日に、ゆるゆると過ごして罪悪感を覚える。「時間」とは、何だろうか。

「私も彼女の時間を一切れ求めることにした。」
私は、一切れという言葉には単位も数字もないのだと思った。一切れは、まろやかであって確実な塊なのではないだろうか。その大きさの違いよりも、他者に邪魔されることのない時間がそこにあることが満たされた時間なのではないか。「集中した時間」と言えばそれきりだが、「一切れの時間」はより伸び伸びとした印象を与える。

授業に一切れ。研究に一切れ。夜の読書に一切れ。
たまの寝坊に一切れ。美味しいごはんのための料理に一切れ。

明日から後期の授業が始まる。課題等々に追われてキリキリと過ごしていた春から夏を経て、まろやかな時間感覚を掴んだ気がしている私は、少なくともどんな時間も大事にできる自信がある。

石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」。
「時間」と「場所」と「記憶」が混ざり合って揺らぐ世界観からは、日常の些細な時間や誰もが知る圧倒的な時間が持つ、生きる上で逃れられない経過の苦さが沁みてくるようだ。

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