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【瀬戸SOLAN小学校 学校視察レポート①】


〈渡辺先生から学んだことについて〉

「自らが磨く姿を」
再会した渡辺先生は、学級通信を書いていらっしゃいました。どこまでも磨き続ける姿勢に、一発目の衝撃波をくらいました。そして、それを子どもたちはそれを見ている。一番近くの担任の先生の姿は、きっと眩しく輝いて見えるのだろうと思いました。毎日、その姿と出会える子どもたちを羨ましく思うほどです。

「言葉は、多くない」
そして、渡辺先生が全体に伝えた最初の言葉は、準備物について。座りながら、決して大きすぎる声ではないけれど、後ろまで通る声で、「必要なのは、〇〇と〇〇と〇〇。」と、スバっと言い切っておられました。もう、それを見て、どれだけ自分の言葉に無駄が多いのかと真っ先に思いました。言葉は決して多くない。自分が研ぐべきポイントが見えた瞬間でした。

「ささやくけれど通る声」
そして、このささやくけれど通る声。
僕はこの1日の学校視察で渡辺先生の声にとても興味をもちました。いや、正直なところずっと興味をもっています。それは、決して大きな声ではない時も、後ろまで必ず透き通って届くというか、なんというか。
子どもたちが、能動的に渡辺先生の声を受け取ろうとしているという関係性の構築ももちろんあると思いますが、声の質、出し方の部分で圧倒的な職人の技に出会ったのだと再確認。
かと思えば、道徳の授業の際などは、仕事の数の予想を、比較的大きな声で発言をする子どもたちに重ねるように、話す渡辺先生の姿もあって、七色の声とはこのことかと。
また力強くほめるときは、地を這うような声で。驚くときは、上につけるような声であるときも。
 この「声」に関しても磨き続けることだと。
 私も、毎日ラジオアプリで話していますが、これからも引き続き、自分の声の特徴、相手にどのように届いているのかを、自分で聞き返して技能化するまでもっていきたい。

 「圧倒的なテンポ感」
 これは渡辺先生とのリフレクションの際にお聞きできたことなのですが、「仕組み」を作るということ。仕組みかだけではないですが、私としてはこの「重なりを生み出す仕組み」の話がとても胸に刺さりました。
というのも、私自身、活動と活動の合間の時間を縮めたいがなかなかうまくいかないことがあったからだ。お話をお伺いすると、仕組み自体はシンプルなものなのですが、それが子どもたちの中で仕組み化されており、終わった子は何をするのかがはっきりされている。終わった子が自走できるような内容。そして、ゆっくりめな子も自然と追いついてくるような設計。この仕組み作りにしては、教師の腕の見せ所なのだと。
早速月曜日から、その仕組み化の部分を取り入れてみます。

「薄め方」
話し方について、指導のフィードバックを入れる場面はありました。語尾を伸ばして話す児童に対して。その際に、さりげなくスパッと「語尾は伸ばさない。」と伝えておられました。そのスピードと短い言葉。本当数秒のことでしたが、程よい鋭さを感じました。こういった何気ない子どもとの関わりの瞬間が見られることこそ、いつも通りの学級を参観させていただく大きな価値であると思えた。
そして、そこから「ドラえもんじゃないんだから」と、付け足しておられて。思わずクスッとしてしまうワードセンスとタイミング。
こういったユーモアで薄めることで、子どもに届きやすくなるのだと。

「自己ベスト」
ここには、渡辺先生の在り方がそのまま出ているように思います。渡辺先生自身が、自己に矢印を向け、常に挑戦しておられる。その姿とこれまでの語りがあるからこそ、子どもたちも自己に矢印を向け、過去の自分や、なりたい自分との比較に挑み、心を震わせることができるのだと。
ふとホワイトボードを見ると、そこにも「自責と他責」「ポジティブとネガティブ」と。
私自身に「ポジティブな自責」は刺さりましたし、他責にはしないまでも「他の方法!他の方法!」と、何かないかと自分以外の何かに求めていた。しかし、渡辺先生自身も、渡辺学級の子どもたちも、矢印はいつもしっかり自分に向いていて。子どもたちは、そこまで頑張れた自分を認めつつ、もっと何ができるだろうと考えていました。子どもたちの姿から、私自身がハッとさせられました。
また、その音読での自己ベストのところでは、ハイタッチがありました。子どもたちと直に触れ合う機会であり、子どもたちは大きな達成感に加え、大きな安心感も感じているのだろうなと思いました。「ほ・ほ・は・さ・み」の「触る、触れる」の部分なのだなとも思いました。仕組みの中にも、必ずやる気を引き出すメゾットや安心感を与える関わりがあって、仕組みの設計に感動していると、渡辺先生の子どもたちとの関わりにも感動をして。頭が追いつきませんでした。それくらい濃い時間の連続。

「微笑みは常に」
先ほどのセロトニン5のところで言うと、特に渡辺先生の「微笑む」は、本当に大きな安心感を教室にもたらすのだなと思いました。渡辺先生の様子を見ていると、常に微笑む表情。
特に、渡辺先生と子どもたちが直接的に関わっておらず、どちらかと言うと引いて、遠い位置から学級を見るときの表情が、「微笑み」そのもので。直接は関わっていないけれど、ちゃんと見てくれているな、繋がれているなとついつい子どもたちの気持ちになっている自分がいました。「そこにいるだけでいい。」、位置エネルギーを使わずとも、ほめたり、認めたりすることができるというのはこれか、と思えた瞬間でした。
またリフレクションの時間にも、渡辺先生からちょうどいい距離の話もいただきました。自分の年齢や、キャラクター、もっている雰囲気などから、子どもたちとのちょうどいい距離感があると。
光の当て方も、太陽と同じで、近すぎても暑すぎるし、遠すぎたり、陰っていたりしたら寒いまま。子どもたちからみて、自分はどの距離にいるのがちょうどいいのか早速月曜日から探っていきます。

「フィードバックの明示性と具体性と多様性と即時性」
漢字ドリルに丸をつける際、どのような言葉を持ってきた子どもたちにかけているのかに注目して見ていました。すると、「字の筆圧」「字の丁寧さ」「字の綺麗さ」「スピード」などそのフィードバックは本当に具体的なものでした。また、そこでもこれまでの成長にスポットを当てて褒められていました。またドリルをパッと見て、1秒も経たずにほめ言葉が出てくる。その即時のスピードにも驚きです。また、届け方も本当に多様で、「〇〇だな〜。」と呟くように届けることもあれば、力強いこともある。下から喜びが沸き起こるように届けることもある。あの短いわずかな瞬間に、こんなに届け方ってあるのかと。
また、「姿勢は〇〇さんをお手本にしましょう。」などと、しっかりと誰にスポットライトがあっているのかがはっきりと示されていて、自分ははっきりと示し、即時に、そして具体性をもって、あらゆる届け方をもってほめることができているのかと振り返って見ました。あのドリルの時間でさえ、あれだけほめる機会がある。そう考えると、常に子どもたちには言葉にせずともプラスの光を当てる機会は、学級に溢れていると思うので、毎日毎時間アンテナを高めて、自分のほめる力を磨いていきます。
4月は、今回の10ほめたとおっしゃっていて、衝撃でした。

「メリハリと緩急」
圧倒的な活動の後に、すっと集中する時間が訪れる。何かひとつのアトラクションに乗っているかのような。そんな気分でした。
授業が始まると、圧倒的なテンポ感で進み、いったい5分でどれほどの活動をしたのか数え切れないほどのテンポ感で進んでいた。後で聞くと、中程度のスピードだとおっしゃられていて。自分の授業は、テンポを意識した場面だったとしても、どれだけノロマ運転なのだろうと。
また、子どもたちにも動きがあり、大きな声を出す機会があり。
唱えて、見て、聞いて、書いて、動いて、調べて、また唱えて、、、。
1時間目や、その時間の初めに子どもたちのエネルギーを意図的に発散させる場面をつくられていました。
そのエネルギーの放出があることで、すっと集中する場面で子どもたちは、入り込むことができる。
私は、「今は集中しようか」「今は書くよ」などと言葉をかけていましたが、渡辺先生がそのような言葉をかけたのは1日の中で、道徳の「書く雰囲気をつくろうか。」のたった一度だけ。信じられませんでした。それも、国語辞典の方に大きく流れてしまいそうなその瞬間だけ。それ以外は全くありませんでした。
エネルギーの使い方をどこに向かわせるかを意図的に設計することで、緩急が生まれ、その緩急に子どもたちは身を委ねており、流れるように、吸い込まれるように集中の世界に入り込んでいる。本人たちも気付いているのかな?と思うくらいの滑らかさで。
エネルギーの使い方にまで目を向けて考えたこともありませんでした。月曜日の1時間目から、エネルギーの放出をどこに置くのか考えて、やってみます。

「結論は短く、理由は長く」
授業の中で、おそらく4月からあらゆる行動の価値を届けられてきたのかなと感じました。というのも、もうこの時期になると、多くのほめ言葉や価値への語り意外と少ないのかなと感じたからです。渡辺先生の言葉自体がそもそも自分の想像よりもかなり少なかったと感じたところともつながります。
授業中に、価値を伝えていらっしゃったのが、結論は短く、理由は長くという場面でした。自分の学級では、この理由を書く際に熱が離れていく場面があるので、きっと自分はここに目がいったのだと思います。
そこで理由たくさん書くことへの価値を、渡辺先生はなどで呟くように伝えていらっしゃいました。理由をたくさん書けると賢くなりすよと。その価値を一つのせることで、子どもたちの鉛筆はさらに走り出した印象を受けました。
 改めて価値を大々的に伝えなくとも、これまで伝えてきたものを再度授業の中で、思い出させてあげるかのような、そんなさりげない価値づけの重要性を感じました。
 自分自身が1、2学期と植えてきた価値の種を、再度自分自身が振り返り、3学期大切にしていきます。

 「違いをおもしろがる」
 道徳の授業で、仕事とは?という問いに対して、参観していた先生方を含めて、多様な価値観がそこに現れていました。
 その違いを一番に楽しんでおられたのが渡辺先生でした。先生自身が、違っていることを前提としておられ、それをおもしろがっている。その姿を見ると、きっと子どもたちも、違うからと排除することがどれだけもったいないことか、どれだけ損なことかを体で感じていくのだと思いました。
 実際に子どもたちの様子を一日中見ていても、違うからといって否定したり、馬鹿にしたりという姿は一瞬たりとも見ませんでした。
 それぞれがそれぞれの生き方を尊重している。
 それはまさに渡辺先生の姿そのものが、そうさせているのかたと思った瞬間が、道徳での多様な意見への反応でした。
 その違いをおもしろがる言葉には、熱がこもっていて、渡辺先生自身が本当に、腹の底から、「みんな本当に全然違うよ〜!」とわくわくしていらっしゃることが伝わってきました。

 「驚く」
 子どもたちは、大人に驚いてもらうのが本当に嬉しそうだなと思いました。それと
同時に、渡辺先生は本当に驚き上手なのだなと思いました。
 心の底から、身をそらしてまで驚いてくれる。
 大人にとってはもしかしたら当たり前なことかもしれないけれど、それこそどれだけ驚けるか。これってプロだなとも思いました。
 私が子どもだったら、渡辺先生にたくさんのできるようになったことや発見したことを報告したいと素直に思います。驚いてくれるかなと胸を弾ませながら「先生!」と行くことでしょう。
 自分もそんな先生でありたいと強く思いました。
 
 「圧倒的な情報収集力」
 道徳の授業で、また圧巻だったのが、その知識量。また私が子どもだったら、いや大人の今でも渡辺先生の話を聞きたい!と自然と前のめりになります。その理由の一つが、物知り
だということ。知的で話を聞いているだけで賢く慣れる話。
 各仕事について、あれだけの情報を語ることができるその知識量に驚きを隠せませんでした。きっと子どもたちは渡辺先生の知的な話もとっても大好きなのだろうなと思いました。自分だったら聞きたくて聞きたくてたまりません。
 その背景の一つに読書があって。進めてもらった本など、自分で手にとって読む以外の本との巡り合わせを大切にしておられていました。自分も読書は好きな方ですが、8:2または、9:1くらいで自ら選んだ本に比重が傾いています。すると、知識の広がりという面では、もしかすると広がりにくいのかなと思いました。
 進めてもらった本はいつもその場で即買いはしていますが、進めてもらう機会を今後は広げていけるようにしたいなっと思ったところです。
 読んだ感想をすぐにでも進めてもらった人に届けることからはじめていきます。
 
 「共感力」
 道徳で、仕事をする上で大切にするものベスト3を選ぶ際、迷う子も中には見られました。その時の「迷うよな〜」という渡辺先生の声。本当に一瞬の出来事ですが、その一緒に考えてくれている感がものすごい子どもには届くのだろうなと思いました。
 特に、書けた子が立って発表していく中で、少しばかり悩む子は焦りもあったのかなと思います。そこでの、共に考えてくれているんだ、一緒に悩んでくれているんだという安心感。その届け方のタイミングと気持ちの込め方が、私にまで刺さりました。私もちょうど悩んでいたので。
 この何気ないようで、ものすごい大きな共感力。
 これがあることで、教室に安心感が生まれ、子どもたちは理想の自分に向けて、挑戦をし続けることができるのだなと思いました。
 自分の教室にどれほどの安心感があるかを今一度振り返ってみます。

 「即興力」
 例え全校生の場であっても、子どもたちが即興力を伸ばせるように関わっていらっしゃいました。それは教室でも変わりません。探究の時間での対談、立ってすぐ大きな声で聞く質問。また道徳の時間でのインタビューのとき。ぱっと出会った時に、どれだけ自分のことを伝えられるかという場面がたくさん存在しました。
 4年生の子どもたちからは、特に出会った瞬間からその即興力の高さ、自分を知ってもらう自己プロデュース力の高さをガツンと感じさせられました。
 そして、その即興力は出会った相手にも安心感を与えるので、とても優しい営みだなと身をもって感じ、何より私が子どもたちに安心させてもらいました。
 即興力の価値を語れるのは、これもまた渡辺先生がそういった偶然の出会い、巡り合わせを大切になさっているからだなと。
 私も、偶然の出会いを大切にし、その巡り合わせた場でのコミュニケーションを楽しんでいきたいと思います。
 
 「自己表現」
 4年生の子どもたちの強みの一つに、自己表現力があると感じます。自分は嬉しいのか、悔しいのか、楽しいのか、苦しいのか、喜ばしいのか、悲しいのか。
 その感情表出が本当に豊かだなと。
 あれだけの自己開示をできるのは安心感、自信といったものが背景にありました。
 指名なし音読では、自分で言えるところに絞って大きな声を出せる機会をつくる。マルですか、バツですかというように誰でも言えるところから、言えるように伸ばしていく。
 ある意味、話すことに慣れるとでも言っていいのでしょうか。そういった工夫や仕組みの中で、少しずつ話せるようにしていき、話せたところを大きく強化していく。
 まずは、全員誰でも話せる内容から、挑戦していきます。
 
 「やる気の持続〜強烈に悔しい体験〜」
 自分の経営を振り返ると、やる気の火を起こし、それが燃え広がる。そして自走モードになっていく。そこまでは、なんとなくイメージすることができるのですが、熱中し続けるという点でいると、やはりその熱量の低下のようなものを感じていました。しかし、渡辺学級の子どもたちは、熱狂、熱中。燃え続けていました。
 そこでお話ししていただけたことが、強烈に悔しい体験の話。 
 正直、眼から鱗でした。
 本当に、全く思ってもいなかった方向から矢が飛んできた感じ。思い切り打ち抜かれました。負けた方にスポットライトを当てる。勝った方はもうそれだけで嬉しい。涙を流すほど、なんなら流させるほど、心を動かし、強烈な体験にする。
 すると、悔しさから、またこれまで以上の燃え方をしてくる。また、その悔しい体験をした仲間を見て、仲間たちも「自分はそこまでやれていなかったな」とまた、燃え広がる。 
 強烈に悔しい体験に価値を置くことは、今までの自分は、全くもっていなかった視点なので、ものすごく新鮮でした。そして、この引き出しをもってして、また学級を経営していきます。

 「子どもたちから神馬先生がどう見えているか」
 最後に、最も刺さった言葉です。「子どもたちから神馬先生がどう見えているか」これは、丸一日参観させていただいて、二次会まで飲ませていただいて、最も強く最も心に響いたメッセージです。本質的な何かをプレゼントしてもらった思いです。
 「子どもたちが教師の自分をどう見ているか」を想像し、考え続けること。
 これがわかると、また大きな一歩が踏み出せると。
 胸に残った理由の1つ目は、チューニング。
 これがうまくいかないと、自分がやりたいことにただただ力を注いでしまう。自分を見つめ直すとは、自分ってどんな人なんだろうとぼんやりと悩むのではなく、相手は、子どもたちはどのように自分を見ているのかの視点をもつことなのだともいました。すると、求めたれている強みに気づくことができるかもしれない。と、同時に子どもたちから見える僕の弱みも発見できるかもしれない。
 それは、きっと自分が思っている強みとか弱みよりも深いところで、「子どものため」を一番に考える上で、きっと完全に想像し切ることはできないかもしれないけれど、それを問い続けることで磨かれるものがあり、価値があることなのだと確信しています。
 渡辺先生の人間らしい部分を知りたくて、たっくさん強みや弱みの話を質問していたときに、「どうしてもっと自分に興味をもたないの?」と言われて思いきりハッとさせられました。雷に打たれた気持ち。もう音がしました。体のどこかで打ち抜かれる音がしました。
 人のことばかり気にしているけれど、自分はどうなの?って。なんだかものすごく自分がちっぽけに思えました。恥ずかしく思いました。
 だからこそ、本当の意味で自分に向き合うために、自分ってどんな人なのかをもっともっと突き詰めて考えていきます。
 もう一つの理由は、自分は自分しかいないという点です。
 渡辺先生は、その人のことはその人しか分かり得ない。自分がしてきたことは自分しかできないことだとおっしゃってくださいました。そっくり真似をすることなどできるわけがない。そのことが前提であるのにもかかわらず、どうして同じにしようとするのかと。
 それでまた、雷が落ちたのです。この短時間で、2回も打ち抜かれるとは。
 全身でハッとさせられました。 
 今目の前にある子どもの成長は、自分が行ってきたことの積み重ね。その自分がやってきたことの中にこそ、自分の強みが詰まってるし、弱みも詰まっている。
 でも少なからず、目の前に成長した子どもたちの姿があるのならば、それは他の誰でもない自分の何かしらがそうさせたということ。
 それなのに、僕は他に他にとなにか特効薬的な解決策、優れた実践に飛びつきたくなってしまいます。
 でも、それでも自分は自分しかいないんだよって。そう思えました。
 自分にできることは、自分にしかできない。
 自分は自分しかいないから。
 これほど背中を押されるメッセージは、これまで感じたことがありません。
 何かを壊していただいたような、そんな爽快で痛快なメッセージでした。

 
 書いても書いても、泉のように湧き出てくる学び。
 
 どれほど濃い時間であったかを改めて感じているところです。

 名古屋から宇都宮の2時間と40分でまとめあげると決めたのにもかかわらず、どんどん湧き出してくる学びに、自分の脳みそとタイピングが追いつかず、帰宅した後も日が超えるまで書き続け、今日も早朝より書き続けておりました。


 本当に実りある時間に感謝。

 おそらく、最高のお返しは、私がまた勤務校で、目の前の子どもたちのことを思い、向き合い、豊かな成長のために全力を注ぐその姿であると思っている。

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