雨の日の館

それがいつどこで出来たか私は知らない。最近よくこの森を通っているが、こんな大層な館を見るのは初めてだ。私は今日、仕事の都合で街に行くはずだったが急な雨に襲われ雨宿り出来ないものかと途方に暮れていた。その矢先にこれだ。外見は古く、人の気配もない、そんな館が今目の前にある。いつもの通り道、いつもの森にだ。なんならさっき通った時にあったかすらも怪しい。だが、私を痛めつける豪雨がそんな感情をも冷めさせる。私は急いで館の扉前まで走り、ドアをノックしようとした。すると、扉はノックの衝撃で開いた。どうやら空き家のようだ。私は雨を凌ぐため館に入っていく。


空き家だと思い入ったが、どうやら違ったようだ。内装はとても綺麗だ。暗いが家具や絨毯が綺麗なのがわかる。手入れしてあるというより一度も使ってないかのようだ。すると、目の前の階段から蝋燭を持った1人の女が現れる。顔は白く、髪は長い、顔立ちは美しいものの生気がない。蝋燭の白い灯がそうさせているのだろうか。女は軽く会釈をしてくる。しまった、どうやら彼女がこの家の主人らしい。私は挨拶というよりも謝罪が先に出た。人がいると思わなかったから勝手に上がり込んでしまったと。だが、彼女は何の事かしらと思った以上に平然としていた。それよりも一休みしませんかと提案された。たしかに、この雨では外に出るのもままならない。ひとまず、腹が減った。彼女は私を見て、「食事にしましょう、それまではお風呂でもどうぞ。」と静かに言った。


大変気の利く女性だ。見ず知らずの男に風呂と食事まで提供してくれるとは。雨が止んだらまた来よう、何かお礼をしなければ。服を脱ぎ風呂場に入るとバスタブとシャワーがあった。内装もそうだが置いてある石鹸も新品そのものだ。私はシャワーの栓を捻ると、不思議なことが起こった。水しか出ないのだ、それも冷水だ。バスタブの方の栓も捻るがお湯が出ない。流石にこれでは風邪をひいてしまう。私は仕方なくさっと体を水に濡らし、用意されたタオルで体を拭くことにした。内装が綺麗だったからてっきりお湯が出るものだと思っていたが、そういう訳では無いようだ。


風呂場を出て用意された服に着替える。これもまた新品同様だ。男物の服、そういえば彼女以外にもこの館に人はいるのだろうか。大層な館だ、1人で住むには広すぎる。私が廊下に出ると、彼女が小さく微笑みながら食事が出来たと迎えに来てくれた。


食卓はこれまた広めだ。大きな暖炉には火が灯っている。そして大きめのテーブルにはスープにパン、サラダにステーキが置いてある。これは見事なものだ、良い香りが席に着く前に漂っている。私が座ると、彼女も私の前に座り同じ物を食べる。彼女が食べたのを見て、私もステーキを口にしたが何か変だ。冷たい。香りもいい、味もいい、だがそれ以前に冷たいのだ。スープもパンも、見た目は出来立てなのにどれも冷たい。しかし、彼女は何も気にしていないかのように食べている。私の味覚がおかしいのか。すると彼女は私を見てどうかしたのかと聞く。そうだ、私は今もてなしを受けているんだ。きっとそういった文化に違いない。私は冷たい食事を無心に頬張った。冷たくても、彼女の優しさである事は変わらないからだ。


食べ終え私に彼女は紅茶を持ってきてくれた。氷が入ってないのにかなり冷えている。そう、これはアイスティーなんだ。なんら不思議ではない、そう心の中でつぶやいていると異変に気づいた。私の体がほんの少し震えたのだ。ありえない、暖炉が目の前にあって体が冷えているだと。風呂の水が冷たいのも、食事が冷たいのも理解できる。だが、火のついた暖炉の目の前でどうして体が震えるのだ。簡単な事だった、寒いのだ。この館に入ってから、一度も温もりを感じていない。目の前に座っていた彼女が席を立ちその場から離れた。お手洗いだろうか、その隙を見て私は暖炉の火に近づいた。先程の蝋燭のように白い光を浴びている。普通の火じゃない。こんなに近づいても暖かくない。むしろ寒気を感じる。私がそれに触れると、手に激しい冷気を感じた。私はこの時思った、ここから離れようと。私がそう思った瞬間、後ろから気配がした。彼女だ、彼女が私に抱きついて来たのだ。


「もう少しだけ、このままでいさせて。お願いだから。」


彼女から泣きそうな声がした。だが、抱きしめられてわかる。人肌の温もりなんてありはしない、まるで氷のように冷たい。私がこの館にきて温もりを感じていないというのに、私が1番温かいものだと理解出来るほどだ。私は彼女を振り解き、館の入り口に向かって走る。その瞬間、私の目の前は急に暗くなった。


暗くなったのはほんの一瞬だけだ。私は外に立っていた。いつもの道と森、だがそこにあった館はなく、少し草の生えた平地が広がっていた。体は濡れておらず、服は自分のものに変わっていた。そして、雨は止み何事も無かったかのようだった。


後日、私は何事も無かったかのようにその道を通っていた。すると、ひとりの老人があの館があったであろう場所にひとり立っていた。私が声をかけると、ここに館はなかったかと聞かれた。私は聞き返した、館と何の関係があるのかと。老人は、以前ここを通った時、館で女性にもてなしを受けたものだと答えた。何という事だ、私以外にも彼女に会った人がいたとは。


私は近くにある老人の小屋で茶をいただく。小屋の中には毛皮が多く干されており、どうやら猟師のようだ。すると老人は茶を啜りながら、かつてあそこには館があったという。


今から10年ほど前、とある街道の前に館が建てられた。そこには若い夫婦が暮らしていた。だが、この夫がひどいもので妻に暴力を振るっていた。完璧主義であるが故に、家具の手入れも、食事も全て完璧でないと彼はそれを理由に激怒する。妻は自分が悪いんだと言い聞かせていたが、ある日夫が別の女と家を出て悲しみのあまり館から二度と出る事はなかった。そのすぐ後、雨による大規模な洪水により館は崩壊し、彼女の行方も未だにわからないという。


老人はつぶやく。本当に優しい人だったと。ある雨の日、館があった場所を通るとそこに古びた館があり、中に入ると新築同様の内装で彼女が出迎えてくれたと。だが、そこに温もりは一つもなかった。老人がいうには、彼女はきっとこの世にはもういない、雨の日に現れるあの館は夫を完璧に出迎える為、彼女の幽霊が作り出した幻だろうと推測していた。だが、彼女自身は裏切られ、洪水にのまれただろうからもう人としての温もりを覚えていない。だからあの館は冷たいのだと。何より、客人を夫と間違えて出迎えている時点で、彼女がまともに目的を達成できない時点で救いようがないという。そんな理由があったとは。全て納得は出来るが、彼女を救う方法はないのだろうか。


とある雨の日、私はあの館に入った。すると以前のように彼女が出迎えてくれた。私は笑顔で「ただいま!」と言った。すると彼女は笑顔で「おかえりなさい。」と返事をした。そして勧められるがままに風呂に入り、用意された食事を食べる。当然冷たい、風邪を引いても誰も責められないほどに。だが、私はそれに笑顔で応えた。そして彼女は以前のように私を後ろから抱きしめた。


「もう少しだけ、このままでいさせて。お願いだから。」


まるで今にでも泣きそうになりながら、彼女は私を強く抱きしめる。そうだ、彼女は人としての温もりが欲しかったんだ。最後に欲しかったから、だから館でずっと彼を待っていたんだ。老人の話ぶりから、きっと彼女は温もりともう一つあるものが欲しかったのだろう。それが正しいものかわからない。ただ、彼女を救えなければ私の気がおさまらないのだ。救えなければ、何度でも試そう。私は彼女に顔を向けこう言った。



「いつもありがとう。」



その言葉を言い放った途端。私は雨の中一人であの道にいた。館は消えていたが、そのかわり館があった場所の真ん中には骸骨が横たわっていた。いつどこからそれが現れたのかはわからない。それでも、彼女である事は私にはわかる。とても綺麗な状態だった。私は、それが大切な人であるかのように抱きしめた。


「冷たかっただろう。もういいんだ。おやすみ。」


私はそれ以上の言葉を出せなかった。疲れていたからとかそういうのではない。何年も苦しい思いをした彼女を救える言葉なんて、もうこれくらいしか出なかったのだ。


それから10年の月日が流れ、私は妻と5歳の1人娘と共に暮らしている。あの雨の日、彼女は老人によって埋葬された。老人が私に泣いてありがとうと言っていた事は今でも忘れない。相当気にかけていたんだろう。あれから思う、どうしてあんな奇妙な出来事に首を突っ込んだのか。私の義父が彼女の夫に似ていたからだ。私の母に飯が不味いだの気が利かないだのいつも怒鳴りつけていた。今思えば、彼女の夫は私の義父である可能性もある。結局はわからないが、そういう目にあった母を子供の頃に見てきたから、私は彼女を救う決心が出来たのだろう。あれからすぐに、今の妻と出会い子供が出来た。娘は、なぜか彼女に似ている気がする。


私が暖炉に火をつけようとすると、既に火が灯っていた。妻に聞いたが、火をつけた覚えはないという。だが、私は小声でありがとうと呟いた。



雨の日の館



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