見出し画像

THE GIVER〜与える者〜

渇きは誰にでもある。肉体的渇き、精神乾き、誰しもが経験してはいつの間にか忘れてしまう。ただし満たすことが出来ればの話だ。


私の渇きのきっかけは大雨から始まった。山奥の小屋にひっそりと住んでいた私は、案の定雨による土砂崩れにより、かなりの時間水も食料もないまま山を彷徨った。生き延びた事に運を使い切ったというべきだろうか。急いで避難したものだから周りをよく見ずに、私は土砂崩れに巻き込まれかなり遠くの場所まで流されてしまった。目を覚ますと、そこは見慣れぬ森。右足は重傷、どうやら骨折しているらしい。ケータイも動かない。そんな中でなんとか水と食料を探そうとした私を誰か称賛してはくれぬだろうか。大きな枝を見つけて杖代わりに歩き回り、助けを求める日々が続いたが、私を称賛してくれるどころか返事をしてくれる者もいない。


歩き疲れた果てに、私はほんの小さな水溜りを発見する。水だ、久方ぶりの。だが問題がある。見るからに泥水だという事。ダメだ、こんなものを飲んでは腹を壊して下痢をするだけ、むしろ命を危険に晒す。私は残りわずかの唾を喉奥で飲み込み、水溜りを後にする。


私はその後湿った洞窟で夜を過ごす事になった。森の中で寝る事も出来るが、猟銃を持っていないからな。万が一飢えた熊にでも遭遇したら大変だ。私は洞窟の中にあった湿った木の枝をかじり、そこから染み出す水をゆっくりと味わった。正直感じる程度だ。人間の大きな体にこんな湿気程度の水分が行き渡るはずもなく途方に暮れた。思考もうまくできない。だがそんな中でひとつだけ思い出す、父親がよく話してくれた御伽噺。


森には与える者がいる。姿は怪物と変わらないが心優しく、生きようとする強い精神を持つ者に恵みを与える。自分の死を悟れば救われない、恵みは求める者の手に。


与える者の話は、この辺りでは有名だ。中には本当に命を救われたという話もある。そんな御伽噺を思い出すほどに疲れているのか、それとも生きたいという意思が「与える者」に期待を寄せているのだろうか。


遭難して数えきれないほどの時間を過ごした。もうダメだ。歩き回った私の目の前には見慣れた光景があった。どうやら、戻って来てしまったらしい。それは水溜りだ、以前見て飲むのを我慢したあの水溜りだ。しかも以前よりも濁り飲めば無事では済まないだろう。だが、もう我慢出来なかった。神から与えられた恵、それを無駄にした罪を今晴らせという事だろう。私は水溜りに顔を突っ込み水溜りの水を飲み干した。喉の渇きが潤うのを感じる。いつだろうか、この快感を最後に味わったのは。それだけでない、私はその辺りの草もむしり口一杯に頬張る。よく噛み、飲み込むと、それはもう食事なのだ。ずっしりと喉から徐々に胃袋へ流れて行くのがわかる。私の格好など、側からみれば狂人そのもの。だが、とにかく苦しかった、それから逃れたかった。それだけだ、私は再び濁った水を飲む。


その日の夜、私は腹を下した。得体の知れない腹痛が、私を少しずつ地獄へと連れて行く。最早、これは下痢ではなく泥水と草を食らったが故の病気なのかも知れない。いつもより苦しく、口からは緑色の液体が出てくる。恐らくもう末期なのだろうか。だが、そんな苦しみの中、私は死を受け入れるというより、何にもぶつけることの出来ない怒りをただ叫び続けた。生きようと必死だったのに、泥水も飲んだのに、なぜ救われないと。そして私は、どういう訳か御伽噺を憎んだ。与える者が現れたその時は、私が人であろうと幽霊であろうと殺してやると。私が怒り狂い叫んでいると、何かが近づいてくる。人の足音ではない、だがたくさんいるようだ。月夜に照らされ白い体と果物の頭、そして蛇口が付いている。見るからに化け物だ。だが、私はもう何も感じる事はなかった。先程暴れたせいで恐怖する気力がないのだ。すると何頭かいるうちの一頭がこちらにやってくる。頭はパイナップルで出来た蛇口のついた馬だ。馬は首をふりふりとすると何かを伝えたいかのように頭をこちらに向ける。まさか、飲めというのか?私は緑色のよだれを垂らしながら、きつく締められた蛇口を両手で開けようとする。どこからこんな力が湧いてくるかわからないが、とにかく必死だった。生きたい。その一言が自分から躊躇と恐怖を失わせた。私が蛇口を捻ると、そこから甘い果汁が溢れ私はそれに口をつける。それが口から喉へ、そして胃に到達する頃、私は気を失った。


大丈夫ですか!?


その声に目覚めた時、そこには救助隊が大勢駆けつけ私はタンカーで運ばれていた。よく見ると、家のすぐ目の前だ。小屋は少し壊れていたが、いつもの場所に戻ってきている。私は訳がわからないまま近くの病院に搬送された。


病院に着くと、私はベッドの上で横になっていた。医者からは笑われながら、怪我なく良かったと言われた。本当だ、右足の骨折がない。しかも、腹も痛くない。薄々は感じていた、あの夢か現実かわからないあの場所にいたのがきっと「与える者」だったのだ。生きようとするものに恵みを与える、わかったのはそれが如何なる理由であろうとも与えるという事だ。私は殺すとまで叫んだのに、許してくれ。私は今、与える者がいない中何に感謝すべきなのだろう、ぶつけようのない悔しさが込み上げてしまった。


その時看護師が食事を持ってきくれた。トレーにはコップの水と温かな食事ともう一つ、パイナップルのデザートが乗せられていた。私は一生で一番の礼をその食事にした。


記事もデザインも作ると喉も乾くし腹も減ります。 皆様ぜひご支援よろしくお願いします!