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好丹非素ーー自分の顔を愛そう。世界中のそっくりさんの為にも

(1278字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)

【好丹非素】

ピンイン:hào dān fēi sù
意味:赤色を好み、白色を嫌うこと。偏見がある様。

『自分の顔を愛そう。世界中のそっくりさんの為にも』

 「鼻、整形したの?」と聞かれるのが大嫌いだった。
 
 そんなことあるかよと言われそうだが、10代の頃はなぜか面と向かってそう聞かれることが多かった。
 
 どうやら私の鼻は比較的高めの形状をしているらしい。
 当の本人はあまり意識していないが、周りの人達に本気で鼻が整形されたものではないかと疑われていたのだ。
 
 
 実に失礼なことである。
 黙ってご自分で勝手に考えていれば良いものを。
 
 中には流石に本人に聞きづらいと思ったのか、こっそり「娘さん、鼻の手術したの?」と母に尋ねる人もいたようで、それを母がまた私に伝えた。
 
 何故そこまでして知りたがるのだ。
 本当にそうだとしても、貴方には一ミリも関係ないものを。
 
 まぁ、整形なんて一度もしたことないが。
 
 
 成人してからようやく鼻についてあまり言われなくなったが、鼻に限らず、昔も今も顔や見た目についてとやかくコメントされるのはあまり好きではない。
 
 
 10代の頃は、とにかく自分の顔に自信が無かった。
 
 写真を撮られるのが嫌だった。
 鏡を見るのも苦痛だった。
 
 そんな顔のパーツがことごとくパッとしない中、鼻だけがひときわ目立っていて、それを人々に「きれい」とも「かわいい」とも「かっこいい」とも言われずに「整形したの」なんて聞かれるものだから、余計自分は不細工なのだと自認し深く傷ついてしまった。
 
 子供相手だからといって、好き勝手言って良いなんて思ったら大間違いなのだよ、世間の大人達よ。
 
 
 成人した今は、あまり自分を不細工だの醜いだのと考えなくなった。
 
 自信がついたわけではない。気にしなくなったのだ。
 後は、単にこの顔に「慣れ」ただけなのである。
 
 それに、身だしなみの清潔さにさえ気を付けていれば、そんなに美しくなくても社会生活はやっていけることに気付いた。
 
 
 考え方や視野が変わったのもある。
 
 外見をとやかく言われるのが嫌な一方で、自分の見た目をあれこれ気にし過ぎるのも結局外見を過度に重視していることであるし、
 広い世の中、私と顔がそっくりな人も必ずどこかにいる訳で、もし自分の顔を
 
「不細工」
「醜い」

 
と言ってしまうと、その私にそっくりな誰かのこともひっくるめて
 
「不細工」
「醜い」

 
と言っているのと同じなので、なんだか忍びないと思えるようになったのである。
 
 
 他人に対して言えないことは、自分に対しても言ってはいけないのだ。
 
 世間一般の(謎の)基準でいう「美男美女」に入る必要なんて全く無い。
 顔に限らず、誰もが自分の外観を自分の一部として受け入れ、自分らしく生きていければ良いのである。
 
 この道理を自分自身にも当てはめて、客観的に見なければならないのである。
 
 
 自分自身に対して偏見がある限り、人は必ず誰かに対しても偏見を持つ。
 
 世界中には、「そっくりさん」がいっぱいいるからだ。

 
 
 鼻が高めだからなんだ。
 
 整形したような形状をしてるからってなんだ。
 
 
 どんな人混みに混ざっても、この鼻があるおかげで、私だと分かってもらえるおかげで、いつも大切な人に一発で見つけてもらえるんだ。

📚自分らしくいるのに良いも悪いも無い

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