千恩万谢ーー不平不満あるところに「ありがたさ」あり
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【千恩万谢】
ピンイン:qiān ēn wàn xiè
意味:何度も何度も感謝の意を述べること。
『不平不満あるところに「ありがたさ」あり』
時は12月、冬の真っ直中。
昼が1日1日と短くなり、夕方頃にはもうとっぷり暮れて長い長い夜が始まっていた。
立冬が過ぎてまだひと月も経っていないというのに、私は既に「早く春が来ないか」と毛布にくるまって震えていた。
安アパートの壁は、実に寒さを防げない。
窓際や玄関から氷点下の隙間風が容赦なくシュウシュウと入ってきて、暖房をつけないと室内でも吐く息が白くなるぐらいだ。
かといって暖房を四六時中つけっぱなしにしておく程の経済力もなく、スリッパにカイロを入れるだの厚着するだのホットドリンクを飲むだの、毎年必死に工夫して冬を越しているのである。
こんなんだから、冬はあまり好きじゃない。
日照時間が減るのも、先が見えないような寒さに耐えるのも。
ブーブーと冬の文句を言い続けたある日ーー
「凍えるような冬の日でも、
『ありがたい』と思って感謝しなさい」
と教会の先生に教わった。
「そんな無茶な」と反論した。
「安アパートで寒さに耐えながら暖房代を節約して生活している気持ちなんて先生に分かる訳ない」と心の中で恨めしく思ったほどだ。
それでも先生は続けてこういった。
「寒さを感じる、というのは寒さを感じ取れる身体があるから。生きている証、身体の機能が正常に働いている証でもあるのです」
「はあ」
「このように、感謝の条件はいくらでも見つかります。
不満の中で過ごすのも、ありがたく過ごすのも、冬の長さに変わりはないのですよ」
「……」
なんだかしっくりこないような気もするけれど、真っ直ぐに見つめてくる先生の目を見ていると「そんなもんなのかなぁ」と思えてきた。
(まあ多分先生の言うことは間違ってはいないし、もし『ありがたさ』を持つことで一つの苦痛が幸せに変われるのなら、案外悪くないかも?)
そんな純粋な心で先生の教えを受け入れ、実践してみることにした。
早朝。
目覚ましに起こされ、嫌々ながら暖かい布団を出ながらも「寒さのおかげでばっちり目が覚める、ありがてぇ~」とつぶやいてみた。
寒さは変わらなかった。
でも、何となくいつもより頭がすっきりになった気がした。
ガタガタ震えながらホットコーヒーが入ったマグカップで手を暖め、「マグカップ1つでこんなに暖まるなんて素敵~」と感嘆してみた。
寒さは変わらなかった。
でも、自宅でホットコーヒーが入れられるのも、恵まれていることだと思えた。
出勤。
吹きすさむ北風を真正面から浴び、窒息しそうな思いをしながらも「風に逆らって歩いたり走ったりすると身体が丈夫になるってどっかの本で読んだな、ありがたいことだ」と空元気を出してみた。
寒さは変わらなかった。
でも、1歩1歩進むごとに健康になっていくようで、両足にも力が湧いた。
退勤。
木枯らしの中を疲れと空腹でトボトボ歩きながらも、「帰ったら暖かいスープを楽しめる!今日はとびっきり美味いのを作るぞ」と期待を持ってみた。
寒さは変わらなかった。
でも、寂しさが和らいで、心が明るくなった気がした。
その後、こういった考え方が癖になってきたせいか、私はあらゆる「なんか嫌だなぁ」という場面で「ありがたさ」を自然と探すようになった。
ミスして上司に叱られても、「また一つ賢くなったじゃん!」と感謝。
つい食べ過ぎて体重が増えてしまっても、「餓死にはほど遠い豊かな日々を送れている証拠!」と感謝。
目が回るぐらい仕事が忙しい日々でも、「誰かの頼りになれているということだ!」と感謝。
「不満の中で過ごすのも、ありがたく過ごすのも、冬の長さに変わりはない」
今は、先生のこの言葉にその通りだと頷ける。
大変な状況は何一つ変わっていなくても、心の持ちようでいくらでも明るく幸せに生きられるのだ。
ただ、やはりどうしても「ありがたさ」が見つからない時がある。
そんな場合は、切り札ーー
「この世の全ては、必ず終わりが存在する」
を使うのだ。
そうすると、
「今めっちゃ辛いけど、どうせこの苦しみもいつか終わるし!」
と、希望が持てるようになる。
どんな物事にも必ず表裏があるように、不平不満がある場所にも、必ず感謝の条件が存在している。
今日も私は、「ありがたい、ありがたい」と呟きながら生きていく。
📚1年365日24時間ありがとう!ありがとうっ!!!
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