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初めてのブログ

「ブログ」
今までなかなか踏み出せなかったこのコンテンツ。
自分の思想が嫌いで自分を表現することが怖くて人に話すのも嫌われるのも嫌で。
自分の殻に閉じこもって何重にもバリアを張って。
傷つかないように守って同じところで足踏みをして。
だけど考えることはやめたくなくてやめられなくて。
今日私は誰かが見るかもしれない「ブログ」というものに手を出した。
思考も表現方法も言葉の紡ぎ方も。他人から見たら痛いきもいと思われることも。
綺麗な言葉にしておくつもりもなければ支離滅裂な文を訂正しようとも思っていない。
ただ自分の外に自分の言葉を置いておきたくなったのだ。

きっと誰もこのブログを見ることはないと思う。だって誰にも言わないし。見つけてもらえるほどブログを書いている人は少なくない。ましてやその辺にいる人の日記なんて誰も興味がない。私は私のために始めようと思ったのである。

きっかけは小さなことで、私の考え方が好きだと言ってくれる人に出会ったからである。なんとも単純な女だ。だけど、私にとってあの日は間違いなく人生のターニングポイントだった。
その人にとっては何気ない一言だったと思う。そもそも覚えているかどうかさえわからない。私に気に入られたくて適当に発した言葉だったのかもしれない。それでもよかった。ネガティブでひねくれた私の考えを良しとされる世界があるんだと、自分自身で思えることが大事だったのだ。

私は特別思考が深いわけではない。ただ、人と少しずれているのではないかと感じる時は少なくなかった。ポジティブを良とする世界では、前を向けだの楽しく生きろだの努力は報われるだの、キラキラした言葉達が多くの人の口から流れるように出てきては、私の首を締め付けているように感じていた。
なぜ前を向かなければいけない?後ろを向いて歩いているから今生きてこれてるのに。なぜ楽しく生きなければならない?楽しく生きようとすることが苦痛になってしまうのに。そんなことを小学生の時から考え続けていた。
そう考えていくうちに、人から出る言葉よりも自分の固定概念に苦しめられるようになっていった。ネガティブは悪なんだ。楽しくなれない自分は間違えているんだと。誰かに言われたわけではない。言われなくてもそう見えてしまうフィルターを自分で作っては外すことができなくなってしまったのだ。
誰にも話せない、話したくない。理解なんてしてもらえるわけがない。そんな殻の中に閉じこもって、だけど人前では笑って普通でいられるように人に合わせてわかったふりをして。
それが当たり前になって慣れた頃、私に彼氏という存在ができた。M君とでもしておこう。初めこそ普通のカップルになれていたとは思うが、次第にM君とは共依存していった。彼も根はネガティブでそこに惹かれた。ただ、純粋だった。純粋に人を信じ傷付けられた回数が多く、結果ネガティブになってしまったタイプの人だった。ネガティブを共有できることに嬉しく思う反面、どちらかがそのモードに入ってしまうと引きずられてしまい、戻ることが難しくなっていた。その関係は居心地は良くも逃げたくなる時も多かったように思う。それでも、自分を出せる人ができたことがお互いにとって貴重で手放せなかった。そこで私はたくさん愛を分け与えればよかったのかもしれないが、愛されているという実感が強烈なインパクトのある形として欲しいと思ってしまった。今までの自分の呪縛から抜けたかった。そのためにこの人が必要だと思うようになっていった。M君を救いたかったのではない。私自身を救いたいというエゴの塊だった。ありもしない嘘もついたし傷つけるようなこともたくさんした。その傷ついている姿を見て、私のことが好きなんだと快楽を感じていた。私のことで涙を流している、私を思って寝れない日が続いている、そう思うと誰かの中で自分が生きているような気がして嬉しかった。本当に最低だったと思う。そして付き合ってから1年が経った頃に、それに疲れてしまったM君は別れたいと伝えてきた。好きだけど一緒にいたら辛いと。当たり前の結末だった。
私は嫌だと言い続けた。何度もすがりついて醜かった。
別れを告げられてから半年後、私は別れを承諾した。フリをした。そして私と別れた後の新しい恋の邪魔をしていた。理解者のようなフリをして関わり続けた。私しかいないと思って欲しかった。あの感覚がないと私は生きていけないと、依存して必死だった。好きなんて言葉で近づいては嫌な思い出を何度も思い出させた。
別れてから2年近く、M君がいなくならないようにあの手この手で繋ぎ止めては苦しめていた。気付けば付き合った頃の純粋な綺麗な目をしたあの人はいなくなっていた。目は死んで生きる気力も薄れていっていたように見えた。そう見え始めてからやっと、自分のエゴで1人の人を変えてしまったのだと気づいた。
3年以上も私という呪縛から抜け出させてもらえなかった結果だった。

その時からだったと思う。目が死んでいる人を見ると罪滅ぼしをしたくなるようになった。その人と何の関係もない人なのに。それでM君が前のような綺麗な目をした少年に戻れるわけでも、私がしたことが許されるわけでもないのに。M君を他人に重ねて、また自分のエゴで許された気持ちになりたかっただけだとわかっていても、感情のコントロールができなかった。それと同時にあの頃の自分が戻ってくるような感覚になった。目が死んだ人に無性に惹かれて、深く沈んでいくような感覚になった。強く惹かれる人は本当にあの人によく似ていた。

別れた後、依存先がなくなった私は次の依存先を探しまくっていた。でもどれだけ探してもあの時より私の承認欲求が満たされる人は見つからなかった。私は振られて辛いだの何だの被害者ズラをして弱みにつけ込んでくださいと言わんばかりに人に近づいたが、嘘で固められた自分を愛してもらったところで、あの時ほどの快楽に勝てるわけがなかった。

初めから自己肯定力が低い私は普通の愛では足りないと過剰な刺激を欲していた。一度知ってしまったあの感覚は私にとっては麻薬のようだった。抜けられないほど気持ちよかった。ただ、その刺激と引き換えに失う辛さも経験した。自分のエゴで得たものは自分のエゴに殺されてしまうのだと。私は当たり前のことなのに経験しないと気付けないような愚か者なのである。そしてわかっていても求めてしまっている中毒者なのだ。世に言うメンヘラとはこういうことなのかもしれない。精神が正常とは言えないだろう。でもこれが等身大の私だった。

ただ、こんな思考が行動が人に認められるとも思っていなかったし、この話は誰にもしていない。自分で認められないことを仮に認めると誰かに言われたところで、認められたフリをしているだけだと思うだけだ。結局は自分で消化する以外にないのである。

話は逸れたが、今回のブログを書くきっかけをくれた人の言葉も、結局は認めたフリをしているのではないかと思うことは容易なのである。今回自分の中にスッと言葉が入ってきたのはなぜだろう。多分それは、M君に似た人だったから。それだけだったと思う。M君に認められたと錯覚するほど似ていた。あの死んだ目をその人も持っていた。目の奥に光がなく、傷ついた人特有の関わり方をしていた。私がその人を変えてしまったわけではない。それでも一緒にいるうちはどうにかして救ってやりたいと思ってしまった。自分のために、だ。罪滅ぼしをしたと自分に暗示をかけるように、この人の全てを受け入れようと思った。そんな時に言われた、人として一番好き、という言葉は、苦しいほど私の心に突き刺さった。
わかっている。ただ私を傷つけないように選び抜かれた言葉だ。嫌われないように気を遣われた上での言葉だ。初めから寂しさや性欲を埋めるために近づいてきていたことも関わっていく上でわかっていた。そこに愛なんてないことも気づいていた。だけど、私にも愛なんてなかった。初めから承認欲求のために罪滅ぼしのために会っていた。少しでも多くの罪滅ぼしをしたい、自分の心を軽くしたいと、そんな理由で好きだと言っていた。
こんな濁った好きを簡単に口にしていた私に本気の好きが向けられるわけがない。人として好きも王道の断り文句で、線を引かれたことにも気づいていた。
ただそれをわかった上で、全部を踏まえた上で、人として好きという言葉に救われたのである。この言葉の背景なんてどうでもいいほどに。私が今1番欲していた言葉だったのだ。
あとは簡単だった。その人ともう関わらなくていいと思った。罪滅ぼしができたわけではなかったが、呪縛が少し解かれた感覚がした。もう必要がなくなってしまったのだ。私が思っていた好きはまるで初めからなかったようにスッと消えていった。

今私はその人を頭の中で飼うことにしている。自分が嫌いでたまらなくなる時、世界が敵に思えてしまう時、頭の中のその人が私に話しかけてくる。お前はそのままでいいんだよと。その人が私に言ってくれたわけではない。私が勝手に都合よく作った幻想に過ぎない。痛い女なのは重々承知である。でも、そうでもしないと私は私を認められない。実際にいる人に求めすぎるとまた壊してしまう。だから、都合がよかった。きっとこの人なら認めてくれると自己暗示をすることが私の精神安定につながった。私を救ってくれたのは間違いなくその人だ。私がいらないと思う時まで、頭の中にその人は棲み続ける。自分で自分を認める第一歩なのだ。

このブログも自分を認めるための行動に過ぎない。誰かに認められる必要はない。ただ、自分以外の人も見ることができるこの場所に出してみるという行動自体に意味があるのではないかと思っている。
もう書かなくてもいいと思える日まで、いつか自分が好きだと思えたその時に振り返って、クソほど痛えなと笑えるような、そんな私の備忘録をここに綴っていこうと思う。


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