(ゼロ)Zeroda Zeroco a.k.a. Zero Bluecoat

Zero Bluecoat、またの名をぜろ田ぜろ子ともうします。嘘音楽やらなんやらをで…

(ゼロ)Zeroda Zeroco a.k.a. Zero Bluecoat

Zero Bluecoat、またの名をぜろ田ぜろ子ともうします。嘘音楽やらなんやらをでっちあげています。 こちらにも、でっち上げた曲がございます https://soundcloud.com/zero-bluecoat

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九月の或る夜に思った事

出来る事ならば、わたしは理想主義者であろうと心がけている。人間という生き物が持つ様々な欠点を乗り越える為には、実現が不可能であろう程の理想が必要だと考えるから。 同様にわたしはアナキストでありたいとも思う。実現不可能な世界を夢見て、その一点を目指さなければ、わたしたちはただの奴隷であると思うから。 わたしはローマン・カトリックの信徒でもある。大人になってからかなり経って、自分の意志で洗礼を受けた。ヒエラルキーの始まりのカトリックの一員である事と、先に書いた事柄は矛盾しながら

    • 感傷的

      時々、感傷的すぎる自分に辟易することがある。 「なんて甘いんだ。なんてナイーブなんだ。そんな風だからお前は」と、その度に自分を罵るわたしもいる。 例えば、ひとりぼっちで宇宙へ行った犬のライカや猫のフェリセット、アルバートやハムといった猿たち。子供の頃に「科学の足跡」として彼等のお話を知った時から、時折、ものすごい寂しさのような感覚に捕らわれるようになった。 彼女や彼は混乱と絶望の中で何を見て何を思ったのだろう。 例えば、大雨が打ちつける窓から見かけた青暗い街、小さな子供の

      • いつも心にロックンロールを

        • 朔風の予感

          しばらく何も書きたくない日々を過ごしております。具体的に何があったとかではなく、原因は何かとかも考えてはいません。 思う事は多々あれども、口の端に掛ける程でも、ましてや文字にする程の事でも無く。ただそれだけ。ただ、それだけ。

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        • ゴミュージックス
          21本
        • 絵葉書音楽論
          7本
        • ゼロさんは考えすぎ
          4本

        記事

          Not now, Not the time.

          一分音楽シリーズ、だと思う。覚えてないなぁ。

          Pistol and Oil

          また例によって全然覚えていない。

          9月の終わりに

          さっき!ご近所に怒られないかと!ビクビクしながら録りました!

          本棚を眺めている

          十代の頃、古い音楽と映画とTVの再放送にどっぷりと浸かりながらも、結構な数の良い本に出会えて、それが結果としてわたしの人生に少なからず影響を与えていた事を、最近よく感じています。もう老人ですね。老人だという自己申告で年金よこせ。 わたしの本棚には、もう背表紙の文字が判読不能になる程に色あせた文庫本や単行本がぎっしり詰まっている一角があります。それらの本の中には、今では青空文庫に収録されていて、簡単に検索をかけて内容や引用したい箇所を見つけられるものも多いのですが、捨ててしま

          雑感えぶりでぃず

          かっこよさだとかダンディズムだとか粋だとかについて何かを語ったり書いたりする事自体が野暮の極みだと思っているので、出来るだけやりたくないのです。ですが。 最近余りにもひどいゲスさに笑ってしまうしかないという事が、身辺で続いて起きていて、改めて「せめて自分はどのように生きて、そしてどのように死んでいきたいのか」を考えていました。そう、わたしは「ええかっこしい」です。 以前、TVを捨ててしまった事を少し書きましたが、子供の頃にあれだけ大好きだったTVが耐えられないものだと感じた

          毒にも薬にもならない(だけどゴミ)

          昔、MacのおまけだったGarage Bandで遊んでいて、つい Logic Studio(当時は高かった...)まで買ってしまったぜろ田ですこんにちは。それ以来、暇な時は妙な音楽を作りまくって来ました。「1分間の曲」縛りだとか、ギター弾きなのに全部キーボード入力縛りだとか、変な遊び方をしてきました。で。膨大な数のデモとかWIPとかという名のゴミファイルを抱えております。 音楽というか、「ゴミ」ュージックとしか言いようの無いこれらのファイル、せっかくこのnoteにはサウンドフ

          毒にも薬にもならない(だけどゴミ)

          Something New

          なんで作ったのか覚えていない曲シリーズ

          Zamboler

          なんで作ったのか思い出せない曲シリーズ

          Sayonara,The Japanese Farewell Songの謎~絵葉書音楽の寄り道

          大抵の方ならとっくに見抜かれているとは思いますが、わたしの「絵葉書音楽」という考え方の原点というか、旅の始まりは細野晴臣氏(と言うよりも「Mr.ハリー細野」)の一連の「トロピカル」シリーズと、大瀧詠一氏(こちらも「Mr.イーチ大滝」)の「分母分子論」へと至る、一連の日本のポピュラーミュージック考察からでした。 これまでのわたしの人生で幸運だった事はあまり無いのですが、「若い時にこの盤に出会えて良かった、ラッキーだった」と思える一枚が細野さんの名作「泰安洋行」です。異色に思えた

          Sayonara,The Japanese Farewell Songの謎~絵葉書音楽の寄り道

          「反逆から様式へ。 イギリス・ポップ芸術論」という本のお話

          なぜ、わたしがポピュラーミュージックの略称として「ポップ」という語を使わないのか、というお話(以下は以前別サービスのブログで書いた記事の加筆修正です)。 いつの頃からか私の本棚にはボロボロの本が多く収まっています。何度も読んでボロボロになった本もありますが、私の手元にたどり着いたときにすでにボロボロになっている本も沢山ありました。そういう本の中からこの一冊を。 ★「反逆から様式へ イギリス・ポップ芸術論」ジョージ・メリー 訳・三井徹 音楽之友社 1973年 この本の著者

          「反逆から様式へ。 イギリス・ポップ芸術論」という本のお話