時々、感傷的すぎる自分に辟易することがある。
「なんて甘いんだ。なんてナイーブなんだ。そんな風だからお前は」と、その度に自分を罵るわたしもいる。
例えば、ひとりぼっちで宇宙へ行った犬のライカや猫のフェリセット、アルバートやハムといった猿たち。子供の頃に「科学の足跡」として彼等のお話を知った時から、時折、ものすごい寂しさのような感覚に捕らわれるようになった。
彼女や彼は混乱と絶望の中で何を見て何を思ったのだろう。
例えば、大雨が打ちつける窓から見かけた青暗い街、小さな子供の黄色の雨合羽と赤い長靴のコントラスト。
例えば、真夏の青い空の下、港のある街の老朽化した建物が立ち並ぶ、もうほとんど誰も住んでいないような地区を歩いていた二人連れのお婆さん。
例えば、湖に面した森の中でふと見つけた廃坑の跡地、事務所だったような建物にかかっていた黒板、そこにまだ残っていた誰かの名前。
時々、自分の人生とは直接関係が無い、ただ、そこにいて、見たというだけの光景を脈絡もなく思い出す。
わたしは写真をほとんど撮らない。携帯電話に高機能なカメラが付いた今でも。
たぶんわたしの心に何かの影響を及ぼしたものを、画像として定着させてしまう事を心のどこかで拒絶しているのかもしれない。
言葉として表現が不可能で、誰にも示すことができない感情を、大事にしすぎているのかもしれない。
「なんて甘いんだ」
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