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九月の或る夜に思った事

出来る事ならば、わたしは理想主義者であろうと心がけている。人間という生き物が持つ様々な欠点を乗り越える為には、実現が不可能であろう程の理想が必要だと考えるから。
同様にわたしはアナキストでありたいとも思う。実現不可能な世界を夢見て、その一点を目指さなければ、わたしたちはただの奴隷であると思うから。


わたしはローマン・カトリックの信徒でもある。大人になってからかなり経って、自分の意志で洗礼を受けた。ヒエラルキーの始まりのカトリックの一員である事と、先に書いた事柄は矛盾しながらも共存している。
日本ではほとんど無名な方ではあるが、わたしはドロシー・ディに大きな影響を受けた。
この荒廃した世界で疲れ果てたわたしが、洗礼を受けたきっかけは、常に身近にある絶望と対峙出来る何か、絶望よりもはるかに規模の大きな希望を持ちたかったからだったのだ、と、今は思っている。

そう、たまにはまじめなことも書かないと、ね。

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