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ゼロベースランニングが生まれるまで(2)

高校を卒業した僕はすぐに
出身中学校に出向き、中学生と一緒に練習することにしました。


高校3年生の1年間はほとんどマネージャーの仕事をしてて
自分がレースに出ることはあまりありませんでしたから
かなり体力も落ちてた。


その中学には3000mを8分台で走るような選手が2人いましたから
結構レベルは高かったんですけど
中学生に負けてられない!っていう
何か変なプライドみたいなんがあって
必ず最後は彼らを引っ張って、先頭でゴールする!
みたいなルールを自分で課してたんです。


で、今でも覚えてるんですけど
彼らと練習し始めて1週間くらいは
練習後に必ず頭が痛くなってたんです・・・。

これ、カンペキな酸欠。結構、鞭打ってたんですよね(笑)。


それでも、すごく充実感があった。


鬼のような監督に「やらされて」やる、苦しい練習ではなく
「自分の意思」でやる、苦しい練習だったから。


そして、中学生と練習を始めて新たに課題が出てきた。
それは、中学生たちを引っ張り上げるってこと。

その頃、僕の中学校(今さらですけど、小川中学校って言います)は
僕の時に第1回全国中学駅伝に出場して以来
4年連続で全国中学駅伝に出場してました。

だから、その年は5年連続出場にチャレンジする状況だったんで
後輩である彼らの練習を充実させることも
僕が毎日の練習にフォーカスできた要因だったと思います。


彼らの練習の質を上げるのは
僕が一緒に練習せせていただく中での最低限の責任。

ただ「彼らとの練習だけでは足りないな・・・」

体力がついてきたからか、そう考えるようになってきたんです。

こんなこと、高校時代には考えたこともなかった…


毎日毎日、余裕がない。

監督からは、うまく走れなかったり故障すれば内省を強要されるけど
そんな内省なんて「してるふり」でしかない。

だって、自分自身が本当に「感動」してるわけじゃないもん。

「感じて」「動いて」ないから
内省なんてできっこない。やらされてるだけ。


監督も、やらせて満足。

監督の言うことは何でも無条件に聞き入れて

反抗しない「いい子ちゃん」ができあがることで満足する。

だから、そこからはなーんにも生まれない。

非生産的空間。

感動がない。

だから、生きてる気がしない。


中学生たちとの練習では常に余裕があったから
PDCAのサイクルがすごく循環した。

PLAN-DO-CHECK-ADJUST

ちょっと話が飛ぶんですけど

PDCAサイクルの「A」を「ACTION」って捉える人が多いですよね?

でも、僕の中では「ADJUST」の方がしっくりくるんです。


まぁ、その当時はPDCAサイクルなんて知らないんですけど
まずやってみよう!ってのは僕の小さい頃からの習性で。

もちろんそれで痛い目に遭うこともあるんですけど
(高校の選択みたいな…笑)
このサイクルを回すには、「自己責任」っていう姿勢が
言わば潤滑油として必要不可欠なわけです。


被害者意識に溺れてたら
このサイクルは機能不全に陥ります。


被害者意識によって「今ここ」へのフォーカスがボヤけます。

力が入らない。

中学生と一緒に練習する僕のフォーカスポイントは
「彼らの練習を引っ張ること」。


気持ちが乗らなくても
体調が優れなくても
彼らの練習を引っ張ること。

ものすごくフォーカスポイントが絞れている。

余計なことを考える余地がないんです。

考えることといえば
彼らの練習を引っ張ること。これだけ。

そういう姿勢で中学生と練習を始めて3ヶ月。

6月に久しぶりのトラックレースに出ることに。


種目は1500m。


かなり久しぶりのレースで
自分がどれくらいで走れるかなんて見当もつきませんでした。

それまでのベスト記録が
高校1年の4月に出した4分04秒。しかも土の競技場で。

今回は全天候のトラックだけど
高校時代の練習に比べれば全然やってないし
果たしてどんなもんか・・・

緊張はほとんどしなかったですね。

周りはおっちゃんばっかでしたし(笑)。


やることはシンプル。自分自身との勝負に徹することだけ。


号砲と同時に一人旅が始まりました。


1500mだし、ペース配分とか関係なし。

ダントツでゴール。

タイムは・・・


3分58秒


おおおー!すげー!何、このタイム!?笑


あの時の感動は今でも覚えてます。

本当にビックリしました。

高校時代はどんなに頑張っても
4分4秒が切れなかったのに
何で、練習量が少ない今の方が良い記録なんだろう・・・


その時僕は、人間の体っていうか
人間のパフォーマンスの不思議に魅了されたんです。


ちょっと話逸れますけど
僕のワークショップとかでよくやってる「四つ這い歩き」は
この中学生と練習し始めたときからやってます。

僕の恩師、平井徳一先生がやっている
基本ドリルの一つです。


平井先生は中学陸上長距離界ではかなり有名な先生で
僕がいた小川中学校では全国中学駅伝に9回出場

僕の時は4位でしたけど、入賞の常連。

小川中学校では準優勝が最高でしたけど
他の中学校に異動されても、新たな中学校で選手を育成し
女子で全国中学駅伝優勝されたこともある名将です。

そんで、さらにすごいのが
小川中学校に赴任される前までは
ハンドボールの指導をやってらっしゃって
ハンドでも全国常連、優勝もされてます。


僕の人生で、平井先生との出会いは最も大きな衝撃でした。


この先生に出会ったことで
人間のパフォーマンス発揮への探求の欲求はどんどん高まりました。


そんなこんなで
中学生たちは全国中学駅伝にも出場し
僕も帝京大学への進学が決まり
新たなスタートとなったわけなんですけど・・・


大学進学してからも、人間の体の不思議と対峙することになります。

大学の入学式は4月ですけど
浪人生でしたし、身動きは自由に取れますから
もう3月に入る頃には上京し
大学の練習に加わってました。

そこで僕は、今考えても恐るべしなパフォーマンスを発揮するんです。


まず、ある日の3000m-1500m-800mっていう練習では

8分30秒ー3分57秒ー1分57秒


またある日の5000mタイムトライアルでは
3000mまで3分ペースでいって、そこからフリーって練習だったんですけど
3000m以降ペースアップして
14分45秒の大幅自己ベスト・・・( ̄◇ ̄;)

自分でもよくわからないこの絶好調っぷり。

これは、1年目から箱根駅伝イケるぜー!

何て思ってました。


ただ、そこはやっぱり僕なわけで・・・


そんなにすんなりとはいかないわけです。


6月頃から調子は急降下。

全く走れなくなります。


今考えれば、その原因はハッキリわかるんですけど
その当時は、もうフラストレーション溜まりまくり。


続く。

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高岡 尚司(たかおか しょうじ) ゼロベースランニングクラブ・オーガナイザー 熊本国府高校陸上競技部長距離ブロックコーチ 鍼灸マッサージ師 ランニング足袋・開発アドバイザー ALTRA JAPAN アンバサダー 合同会社エフエイト・代表社員