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短文

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2021年5月の記事一覧

恐怖症と断薬 わたしのnote遍歴2

若いころ 事故にあった。CTの輪の中に入ったとき 突然パニックになった。目の前が狭くさえぎられるのが恐怖だった。そのときは何とか我慢できた。 40に差し掛かるころ 脳ドッグというのを受けようと思った。しばしば頭痛に悩まされていたためだ。そのとき MRIについての話を同僚から聞いた。首を固定し 狭い輪の中で20分ほど動かずにいるという。イメージがこびりついた。 その夜 イメージが襲ってきて眠ることが出来ない。イメージは大地震が来て 倒壊家屋で身動きが取れない というものに変

パキシルやめる わたしのnote遍歴4

断薬と言ってもパキシル デパス 両方やめるのは無茶だとさすがに思った。何しろ 十年以上欠かしたことのない薬だ。まず パキシルをやめることにした。デパスをやめて 眠れなくなるのは怖かった。 以前 書いた文章を整理していたら「パキシル断薬記」というのが出てきた。いつ書いたか覚えていない。やめて一週間ぐらいの変化が書いてあった。したがってやめてから一週間ぐらいで「来た」のだと思う。 夕方 ラジオを聴いていていきなり来た。厚い壁がばたんと倒れてくるような不安。失った金額の大きさが

損失確定 わたしのnote遍歴3

2018年 年明け。姉夫婦が実家に来た。退職金 すっちゃったよ というと姉は 私の友達 商売がダメになりかけて FXで盛り返したよ なんとか 必勝法を見つけたって と返ってきた。それを聞いてなんだか元気が出た。今思えば「いんちきな元気」だった。なんだか 破滅願望があるんじゃない? といわれた。冗談じゃない。養う家族がいるのだから。 しかし どこか 大金を失った自分 という状況に酔っていたのも確かだ。ネタになる とも思った。何のネタだろう。 松も取れ 相場の状況は一進一退。

窓を開ける

窓を開ける 夕食の子供たちのおかずはシシャモ。正確にはカペリンという魚らしいが、私は魚が嫌いで、魚を焼くにおいも当然いい匂いには感じられない。 冷房で締め切っている窓を久し振りに開けてみる。夕方の風は今日、あまり熱気を含まず、リビングから続きの六畳間の窓へと強めの風圧で通り過ぎていく。 何の鳥か、あまりいい声ではなく締め上げられるような声で鳴いているのが近くに聞こえる。 幹線道路沿いに建っているので、夕方の交通音がせわしい。電線の高さが視界で、屋根屋根が薄く橙に照らさ

私のnote遍歴

先日 5/20をもって投稿を始めて一年が過ぎた。ある種 気が済んだ。 しかしnote歴はもっと長い。投稿に至るまでにひたすら読む期間が一年間あった。逆にその一年 ネットと言えばほぼnoteしか見なかった。なんでnoteだったのだろう。 2018年の1月 突然怖くなった。私は意気揚々とサラリーマン生活をやめたはずだった。それだけの準備もしたし、経済的な手はずも着けたはずだった。 辞めた当初はやろうと思っていたことをまとめてやる。寝る。平日の町をあるく。自転車でフラフラする

ロンドンの空

ロンドンの空 ロンドンの空はいつもどんよりしているのがデフォルトで、時折の晴れ間を人々は心から楽しみにしている。と聞きかじりでまた書き始めた。 ここのところの日本の夏空、関東に関してだが、七月と九月に晴れ間が続き、八月に晴れが少ないと、明らかに以前と天候が変わってしまった。ここ数年のことか、それともこれからはこんな天候になっていくのか、どうだろうか。 受験のとき、暑い夏か冷夏で人生が変わるなどと言うことはもうないのかもしれない。一夏エアコンを効かせればいい。浪人するより

竿師への道

今、竿に凝っている。自分の竿に。 葛飾でのタナゴ釣りで、ようやくよさげなポイントを見つけた。 常連のご老人たちが釣りそっちのけでわいわいと楽しげなのだがみると結構、お手製の短い竹竿を使っている。私は安いファイバーグラスの竿を使って、竿なんてなんでも釣れるときゃ釣れるんだよ、などと独り言ちていたのだが、腕前は棚に上げて、なんとなく道具の方に興味が移ってきてしまった。 タナゴ釣りの世界はミニアチュールのたのしみなんですね。 ―などと気取ろうとしたらミニチュアールとミニアチュールで

禁酒中

禁酒中 もともと下戸に近いので全くつらくないのだが、禁酒して八ヶ月経つ。まあ、いい気に酒など飲んでいる状況でもないのだが、飲酒のつきあいが始まってこの方、これほど酒を飲まなかった期間はないので、時折だが、ほろ酔い加減の、顔が熱を帯び始め、少し意識がぽっと湯気立つような感覚が恋しくなることもある。 うちは、妻は全く飲まない。粕汁すら作ってくれない。子供たちはそのうち飲むかもしれないが、強いか弱いかは分からない。親戚筋をみても、全く飲めない人もいれば、底なしに飲む人もいる。飲

何処の坂

何処の坂 (十二ポ活字で印刷された谷中の記録は路地を二三割間延びさせた。入り組みがゆるやかになり心持ち行間を拡げた) 肉筆の小石川はどうか。巣鴨から古書店を探すうちに白山通りから逸れて坂を下ったりのぼったり……その間、多くの「をみな」の学生とすれ違う。彼女たちの大半はからだに昏いみずうみを持たず、指先から乾いてゆくように見えた。通りのあらゆるところからバスに乗れたが、もっと細く、もっと細くと狭くしっくりするほうへ、路地の奥へと分け入ったのだ。 長くも短くも坂は坂、平坦な

幼命

幼命 幼くして命を失う子供の不運と、ただ単に不運と仕切ってのけておくには余りに重く、とはいえ不可避の事象として、日々どこかで幼命が失われ、取り戻されることもかなわずに、出来ると言えばかつてあった幼い命を静かに偲ぶことだけなのだが、とても長い時間を過ぎ、やがて記憶は延べられて、薄く透ける布のような思いとなって、そのときに初めて記憶は、ふわり、と柔らかく折り畳まれて、なにもない広い部屋に改めて秩序を持たずに留め置かれ、そこに足を踏み入れたときに、それらの薄い布のまとまりがかつて

ひくひくふるえる

ひくひくふるえる …このはなはひくひくふるえるめのおくのはからんだのはなのおかたぐりあうものたちのこのはなはひくくふるえるそら…とおくに麦が揺れかぜに樹の葉がほつれ絡まりよせかえすあさのはまのようなしずかなおとだよ…なぜここにとどまっているとこんなにもたゆむのだろうしぼられていくようねじれていくようねじれからまり編まれてゆく細ひごのように身をよじりどうして際まで近寄れないのか…そのはなはすいたらしいあめの匂いふりはじめのあめの丘りょうすべてがいちどきにどのほうこうからもみら

疎遠

疎遠 内階段を降りると暖簾代わりのカーテンを分けて、私と友人は古書店にいた。電気がついていないため暗く、奥にある窓からの薄明かりで背表紙を見て回る。友人はおそらく本に興味が無く、それでもつきあってくれてポスターなどをぺらぺらしていた。一応店主に声を掛けると代替わりの途中でこんなだけど、と言い訳していた。眼鏡をかけた面長の女性でタオルを頭に巻いていた。私が一冊の本を見せ、ここの数字が値段ですか、と尋ねると、それはそうなんだけど、でも、この値段は高すぎるわね、とそのまま私に返し

団地

団地 雨の朝方、団地へ行った。団地へ行ったそれほど古くない自分で運転した白い車で。団地には来客用の駐車場があった。訪ねてくる人もそれなりにいると言うことだ。そこへ頭から車を入れて、エンジンを切った。一拍置いてエンジンが止まり、車の薄い屋根をぱつぱつと雨が鳴らす音が主音となった室内の、シートベルトをはずして、後部座席においた鞄を身を乗り出して取り、ドアをあけるとともに傘をかかげ、手元に位置するボタンを押した。傘が開き、団地のまわりの木立が匂い、黒い地面にゴム底の革靴で降り立っ

舟棲

舟棲 源流から遙か、海をさかのぼること三四里の、小屋舟上にて暮らし。夕から夜にかけ、どばみみずの針要所要所へ、投げ下ろし水面を見れば夜の魚、騒ぎ始めつつ、ランプ、舳先に掲げ、魚々に訴えるは不遇なる我が生活。舟がみにて棲まうこと幾年、揺れるを常とし、飽くと支流へと逃れて。そこ、三日月に似た用水沼の、農に用いる糧なる水の置きどころ。我が舟と我が暮らし、豊穣を汚すがごとく凪ぐ水面に映し、囲まれた葦からの幽かな物音に語らう。なぜここに浮かび暮らすか、なぜ、川面に生を行き来させるか。