第128回MMS(2016/05/24対談) 「100年後も日本でバネを作り続けるためにバネの可能性を拡大するバネ屋魂」五光発條株式会社 代表取締役 村井秀敏さん
●海外にも展開する「町工場」
enmono(三木) はい、ということで第128回マイクロモノづくりストリーミング本日も始まりました。司会は株式会社enmono三木でございます。本日は五光発條さんにお邪魔しましてzenschool第4期卒業生の村井さんに色々お話を伺って参りたいと思います。
4期生とenmono(2012/12/22)
あといつもの声の出演で――。
enmono(宇都宮) はい、宇都宮です。
enmono 村井さん本日はお忙しいところありがとうございます。
村井 いえ、こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします。
前回の対談
enmono 村井さんはzenschool第4期――その時はマイクロモノづくり経営革新講座と言われていたものなんですけども、
村井 お世話になりました。
enmono そこで生みだされたのが、今かぶっているバネを使った――。
村井 世界で大人気の。
enmono 世界で大人気のスプリンク(SpLink)なんですけども、まずは村井さんをご存じない方のために、簡単に自社でやられていることをご紹介いただいてもよろしいですか?
村井 直径が4ミリ以下の精密スプリングを製造販売している会社になります。今期45期目というところでがんばっているところです。主に家電、スイッチ、電子デバイス関係とか、そういう細かいところもアレなんですけども、最近は太モノというちょっと大きなジャンルもやっております。
enmono 今、こちらの方に地図が出ておりますが、世界に何ヶ所工場をお持ちなんですか?
村井 タイに今2拠点、ベトナムのハノイ、インドネシアのジャカルタということで3ヶ国に進出しております。
enmono 素晴らしい。
村井 ありがとうございます。
enmono 海外工場はすべてご親族が経営されているということで。
村井 そうですね。男三兄弟の私長男坊なんですけども、真ん中がベトナムを起ちあげた後インドネシア、一番下がタイ。今ベトナムを見ているのが、ここで現場で働いていた者です。
enmono 全社員合わせると今何名くらいなんですか?
村井 700名くらい。
enmono すごい大所帯ですね。全グループで700名ということですね。日本だけだと何名ですか?
村井 日本はここの横浜本社と山梨でGSKという会社がありまして、合わせて50名ですね。
enmono 超大企業ですね。
村井 一応町工場という……。
enmono いえいえ700名の町工場ってなかなかいないと思うんですけど。
●五光発條の軌跡
enmono 創業はお父様?
村井 そうですね。父が創業いたしまして、一回叔父が入って、自分が三代目になります。
enmono なるほど。その45年の歴史をちょっと振り返ってみたいと思うんですが、どういうところからお父様はバネを作ろうと思われたんですかね。
村井 もともと北海道から大学で上京しまして、就職先を探していたんですが、ざる蕎麦の食べ方がわからなくて、ざる蕎麦につゆをそのままかけたら下からバーッとこぼれてしまったのがきっかけで、「面白いな。何しに来たんだ?」とバネ屋の人に話しかけられたそうです。
村井 それで「おまえ就職試験受けてみたら?」と誘われ、これも縁だからとバネ屋さんの就職試験を受けたらしいんですけど、その試験で全部(回答を)書けなかったので、半分くらいのところで全部消したらしいんですよ。どうせ書けないから0点でいいやと出したんですけど、結局その時受かったのが東大生の満点の人と、0点の父が受かりまして。
enmono その中間の人は受からなかったんですか?
村井 そうです。2名だけしか採らなかったらしいんですけど、それがご縁で小松ばね工業さんという天皇陛下も見えられたような素晴らしい会社に勤めさせていただきまして。
enmono どうして採用してくれたんでしょう?
村井 なんか「面白い」「可能性がある」ということだったみたいですけど(笑)。上と下だけを採るという、そういう面白い人と知り合えたと。
enmono 社長も面白い人だったんですか?
村井 社長ではなくて面接官の中の一人と知り合ったみたいなんですけど。10年間、小松さんでやらせてもらえれば骨を埋めて働きますという話だったんですけど、10年目にこの五光発條を起業しまして、その時5人で起ちあげたみたいなんですけども、みんな希望の光になれますようにということで五光発條という名前で始めたようです。
enmono 最初は(製品を)どういったところへ納められてたんですか?
村井 元々ラジオとかのボリュームバネといってボリュームのつまみのところに使われているバネを主に生産していたみたいですね。5人の内の1人が地主さんで、馬小屋の跡地にあったプレハブを使っていいよということで、屋根しかないようなところに機械を持ちこんで、みんな上半身裸で夏場なんか上に水をかけてやっているような写真が残っていましたけど。
村井 そこに某有名大手さんが営業に来てくれたんですけど、「壁ができるようになったらもう一回来なさい。ただ図面は置いてくよ」ということで。その2年後くらいに、こちらの旧工場の方に移転して改めてご挨拶に行きまして取引をさせてもらってます。
enmono 2年間なんとか生き延びたんですね。お父様は相当生命力に溢れた……。
村井 そういうことです。その時置いてってくれたのがカメラ業界の方だったんですけど、それでカメラが昔の銀塩の時にはかなり点数使われていたので、今のデジカメの3倍~4倍くらい色んなところに全部バネだったんですね。開けたり、中でフィルムを巻いたり、押すところからズームのところまで、40~50点くらい使われていたので、そこをやらせていただきました。
enmono ガンガンと業績が伸びていって……。
村井 その時、いわゆる孫請けとかではなく直接お客さんの方にやりましょうということを掲げてやっていたので、そういう意味では営業力も強かったのかなと思います。
enmono じゃあカメラ産業が伸びると同時に五光発條さんも成長していったと。何年くらいまで業績が伸び続けたんですか?
村井 1998年くらいですかね。
enmono あ、結構……そこまでずっと成長が続いていたんですね。
村井 だいたい右肩あがりでしたね。
enmono その後で転換点があったんですか?
村井 その前から翳りは見えていたんですよ。90年代以降数が多くなると海外へ行ってしまう傾向が見えていたので、そのうち海外へ移管してしまうんじゃないかなと不安になる要素はいっぱいありました。結構量産モノをやる体制を整えていたので。
enmono 98年を越えて、色んな悩みが来て、みたいな感じですよね。
村井 そうですね。
enmono その後になんとかショックみたいのが来て。
村井 すぐには直接は来なかったんですよね。半年遅れくらいでウチの業界にも、お得意さんからの受注がガクンと思いっきり減りまして、「あ、ほんとになんとかショックってあるんだな」ということが感じられましたね。
enmono 我々と巡り会う前に自社商品開発を試みたそうですが、それは何年くらいから?
村井 自分がタイへ行って戻ってからだったので、2004~2005年くらいかな。そのくらいに、何かバネ以外の国内に残りそうな職種か、もしくはバネを作るのであれば付加価値をつけた何かじゃないと、国内ではなかなかモノづくりは難しいんじゃないかなというのは感じていたので、ちょっとチャレンジしてみようよという部署とか雰囲気とか係とかはあったんですよ。
enmono 係?
村井 開発係。まぁ2人なんですけど(笑)。
enmono 確か我々とお会いしたのが……。
enmono(宇都宮) 2012年。
enmono なにがきっかけでしたっけ?
村井 コマ大戦ですね。コマ大戦でお会いして、最初は「とりあえず自分でやってダメだったらちょっとお願いします」みたいな。まず基本、コンサルの人ってイヤじゃないですか。
enmono いや、俺に言われてもわからない(笑)。
村井 特に町工場は難しいんですよね。費用面もそうですし、実際に効果といいますか、そういうところも大手さんと違って接する機会がなかったので、ましてや自社製品開発になると「うーん」というところもあったので、ある程度商品化のアイデアとしていくつも出ていたので、敢えてそういうコンサルの方を入れずにまずそこを進めていきたいじゃないですか。
村井 それをある程度やってみて、壁にぶち当たったり、やっぱりできないよとなれば、改めてそこで教えてもらうみたいなのが、なんとなく流れかなと思ったんですけど。
enmono(宇都宮) 2012年の段階ではまだ壁に当たっていなかったんですか?
村井 一応モノとかパッケージとかはなんとなくは作ってたので、あとはここから販売するためにはどうするんだ? という雰囲気ではあったので。
enmono(宇都宮) (所在地が)横浜市ですから、何か支援とかもあったんじゃないですか?
村井 そちらを頼るという発想がなかったですね。
enmono(宇都宮) 助成金とか。デザイナーさんとコラボレーションするとかも?
村井 考えなかったですね。
enmono(宇都宮) でも営業に来られたりするでしょう?
村井 いやいや来ないです。誰もウチを相手にしてくれないので。ひっそりとバネを作っていて表に出ていないので。バネを使ってくれている大手さんの資材の方は知ってくれてますけど。
enmono(宇都宮) 一切表に出ていなかったんですね。
村井 そうです。自分自身もまず出ないですし。
enmono(宇都宮) 何がきっかけになったんでしょう?
村井 自分が継いで、2月末決算なんですけど、3月1日から初めて自分が代取(代表取締役)で操業開始の時、2月中に各拠点から今年最高益が出る年度計画が出てきたんです。「いい時に継いだなー」と思った3月11日に東日本大震災が起きまして、タイに第3工場を建てて、それが車業界さんのために建てた工場だったんですけど、3・11のおかげでまた操業しなくなっちゃうんですよ。その年の9月には大洪水でタイの一番の稼ぎ頭である本社工場が3メートル浸水したという、すごいスタートだったんですね。
村井 それでもやれることをちゃんとやっていきながら営業利益を出しましょうという形で、色んな施策をやったんですね。そしたら結果は全拠点ちゃんと営業利益は出たんですよ。そしたらすごい優秀だっていうことに気づいたので、本当にこんな状況下でもみんな乗り越えていくんだということに、これは世界中にこの素晴らしい五光発條のみんなを知らせなきゃいけないなっていう使命に駆られまして。
enmono(宇都宮) それが2011年末頃。
村井 そのためにSNSとかを使って、みんなに知らせていく活動をしようという、ちょっとオープンマインドの心になって、今まで業界の集まりとかに行くと結構目上の方とかがいて「昔は良かったな」という傷の舐め合いをするお年を召された方しかいなかったんですけど、あるきっかけで若い子たちが元気でやってる会があるよと言われて。
村井 そこに紹介で行った時に緑川さんとか落合さんとかとお会いして、その人たちがSNSを効果的に使って戦略をやっている人たちの代表だったので、ちょっと教えていただきたいなってお近づきになり、コマ大戦でモノづくり応援するよということで。
enmono(宇都宮) 第1回から出てましたもんね。
村井 そうですね。第1回目から無理矢理入れさせていただいたというのが経緯ですね。
●最初はなにを言っているのかわからなかった
enmono 我々の講座に入って、その時はどういう想いで、何を開発されたのでしょうか?
村井 それまでは何か声をかけられてもウチの活動には関係ないと断っていたんですけど、みんなに知ってもらおうという活動を始める時に、何か言われたらすべて受けるという志を立てて色々やっていたんですけど、enmonoさんだけは最初から最後まで「入ったらどう?」って言ってくれてないんですよ。自分には。「どうなんですか?」「はぁそうなんですか~」と言って帰っていくだけで。
初訪問のときの写真(2012/05/15)
村井 それでまた1ヶ月くらいしたら「ちょっとまた行っていいですか?」って言うから「いいですよ」って言って。「どうですか? あれから進みましたか?」「いやぁ、進まないんですよ」「はぁそうですか~」って帰っていくだけだったから。3回目に来た時に「もう負けました。入らせてください」って言って、」すげー、この人たちほんとに誘わないんだと思って
enmono(宇都宮) 誘いませんでしたっけ?
村井 一回も誘われなかったです。お二人には。
enmono 草食系なんです。
村井 でもその方がよかったと思います。その年は基本は「受ける」縛りをしてたので、言われていたら多分やっていたんだろうと思いますけど、三回目のまたそのまま去って行きそうな雰囲気の時に、それこそ縁なので是非やらせてくださいって。本当にでもよかったですよね。
村井 4期生自体もちょうど花の4期生がいてくれたんで。そこ以降は自分の反省点も踏まえながら、やっぱり国内に先行き困っている方がいて何か打破しようとしている人に出会ったら、自分の経験をもとに必ずenmonoさんの怪しい二人を紹介して、「絶対お薦めですよ」ということでやらせてもらってます。
enmono ありがとうございます。その当時の講座は10回くらいあったと思うんですけど、途中までかなり苦戦していた感じがあるんですが。
村井 そういう意味だとずっと今も苦戦してるんですけど。
enmono そんなことないですよ。
村井 わからないままだったので。
enmono 一番「うーん出ない。わからない、わからない」って言ってたじゃないですか。「なにを言っているのか意味がわからない」って仰ってましたよね。あれは本当にわからなかったんですか?
受講当時の写真(2012/11/06)
村井 裏読みをする癖がありまして。お二人が言っていることの、「こう言ったらこう来るから、じゃあ……こう来るよね」とか、なんとなく変な空回りをしていたので。先程お名前の挙がった4期生の藤澤さんに通訳していただいて「もっと素直に、普通に受け取ればいいんだよ」って。
enmono 裏の気持ちって一切ないので。
村井 (例えばお二人に)「本当にそう思います?」と言われた時も、「これ言われたら、こうだよね」みたいなのがあったんですけど
enmono 村井さんはあの中では一番追い詰められてた感じだったんですよね。「わかんないよ!」みたいな。
村井 だってわかんないんですもん。あの言葉が。
enmono だけど第5回目か6回目で「思いつきました!」ってすごく喜んでいて、「なんなんですか?」「バネのブロックです」「あ、そうなんだ~」と。
enmono(宇都宮) こっちがわからなかったですよね。
村井 あれも興奮して、本当に背中にヒョーッて走ったくらい、「うわ、すげぇ降りてきた!」っていうあの興奮をすごく一所懸命伝えて、みんなも聞いてはくれるんですけど結局わからないままで。で、興奮冷めやらないまま、絵に描けって言われたから書いたら皆さん余計わからなくて。会社戻って(社員に)「これを作ってくれればなんでもできるんだけど」と伝えたんですけど、やっぱりわからないんですよね。
村井 結局なんとか一人、コマ大戦で絡めた社員を抱え込んで、(その当時タイの)洪水なんかがあって本業の方が儲からないんだけど、お客さんを困らせないように国内で作ってまた送るなどしながらのさなかに「こういうの作って」って訳のわからないヤツを所望してたので、不穏な雰囲気だったんですけど。ただ、できたヤツを組み合わせて、ちょうど三木さんに「なに作ったらいいですかね」と言ったら「めでたいから鯛でいいんじゃない?」って。
enmono(宇都宮) かなりいい加減に(笑)。
村井 結構即答で言うんですよね。質問とか困ったりして相談すると、「ん? 龍でいいんじゃない?」とか。
●クラウドファンディングで会社のみんなを知ってもらえた
enmono 多分ご覧になっている方はこれがなんなのかわからないと思うので、具体的に説明をお願いしてもいいですか? 果物シリーズとかがわかりやすいですかね。
村井 これがパイナップルに見えるかどうかなんですけども。要はレゴのバネ版。想像を形にする時に、今まで金属で表現するには結構特殊な機械とか何かでなければできなかったんですけど、これはただ突き刺すだけで自由自在になんでも表現できるという画期的なブロックなんです。
村井 バネの技術を使っているんですけど、ただ穴に嵌めていくだけなんですね。ポイントはジョイントパーツっていう差しこむヤツが、2個まで入るので、1個でも2個でも入るので例えばT字型だったりすると裏表にしてくっつけるとクロス状になって奥行きができたりするんですけど、口で言っても多分わからないので、買っていただいてよく見てもらうところから(笑)。
enmono この1個1個のバネがジョイントパーツで繋がっている。
村井 そうです。(くっついている状態から引っ張ると)バネが伸びきる前に外れるんですけど、通常のアタリではぐっちゃぐちゃにしても金属製で強いので戻るような感じですね。
enmono 今まではこのジョイントパーツというのを作ったことがなかったんですよね。
村井 もちろん、そうですね。
enmono バネのみだった。
村井 バネもこれ用に開発しているので、結局は全部これ用のものなんですけど。
enmono バネ自体は今までの技術の延長ということですよね。
村井 そうです。
enmono というものを講座の中で思いつかれて、で、僕らも何を言っているのかわからなくて。結構短い時間で試作品を作ってきましたよね。2週間くらい。「できました」ってメールで来たんですよ。Facebookの中ですごいとなって、次の回から持ってきてもらったんですよね。
村井 でも発表の時ですよね、本当に「鯛」を持ってきたのは。それまではバラバラのパーツ状態のヤツを「なんでもできるんですよ」と発表したんですけど、こっちの気持ちが全然伝わってないから「どういうことだろう?」って(笑)。それで鯛を「こんなんできました」って見せたら、「うおおお!」って感想を得たんですけど。
enmono その後でこの龍神様も作られまして。1ヶ月半くらいでしたっけ?
村井 一応1ヶ月くらいなんですけど、1日に20時間だったので、これ普通の人じゃ作れないですね。もう、ロキソニン入りの湿布で全身やりながら。上に持ち上げているだけでもつらいじゃないですか。だから寝っ転がりながら。食うのと寝るの以外はずっと作ってる感じで。
enmono 神様が宿ってるんですね。
村井 そうだといいですけどね。
enmono(宇都宮) 出版イベントの時に「出してくれ」って無茶振りしたんでしたっけ? じゃあ龍神様でって言ったんですよね。
村井 そうです。で、これが今のものと違って、材料の直径が太いんですよ。痛くて硬いので他の人に振れないんですよね。だからこの時は治具に入れてペンチで嵌めていくような作業で作ったヤツを組み立てていたので、見ると本当に痛いんですよ、全身が。だから現行品で作ったらどうなのかなぁ、もっと動きが滑らかになっていいんじゃないかと思うんですけど。
enmono(宇都宮) じゃあまた作ってください。
村井 (笑)。
enmono この龍神様は見事ですよね。なんとここに爪があって、しかもこれ珠を持っているんですね。
村井 口とかを柔らかく動かせるのがプラスティックのブロックとは違って。バネ性を利用した作品を作れるといいと思うんですけどね。
enmono 奉納したいくらいですよね。
村井 ありがとうございます。熱にも強いので、火とか吐かせたいですよね。
enmono 村井さんの情熱はどこから来るんですか?
村井 いやぁenmonoさんのおかげじゃないですか?
enmono いやいや。
村井 でもそれは本当にenmonoさんに感謝しているところなんですけども、結局「手っ取り早くなんかできるヤツでいいや」というのがあったんですけど、「いやそうじゃないよ」と。「本当に欲しいものを。もっと内側を見て」ということになったので、これは誰よりも自分が作りたかったものですから。本当は今でも作りたいです。
enmono この龍神様とかをやった後に、クラウドファンディングに挑戦したんですね。
村井 はい。
enmono 結構大変でしたか?
村井 大変でしたね。本当にあのー……大変でしたね(笑)。何が大変かっていうと、元々認知度がないので、本当に欲しい人にこれが届くかといったらその当時は届かなかったかなというのが一つあります。
村井 クラウドファンディング自体はこれから絶対に必要とされる手段ですし、100%達成しているのはenmonoさんだけなので、今後も期待してますし、チャレンジしていきたいなとは思いますけど、なんか己の今までの生き様を問われているくらい悶々とした日々でしたね。
enmono クラウドファンディングの後に起きたことを教えてください。
村井 おかげさまで達成できたので、そこから実際にモノを作って、まず対価として送っていって、販売ですよね。問屋さんが入ってくれたので。東急ハンズさんとか有名なところに置いていただいたりとか。
enmono それはクラウドファンディングがきっかけになったんでしょうか?
村井 そうですね。クラウドファンディングに合わせてプレスリリースをした部分もあったので。
そういうのの派生の中で取り上げていただいた。バネ屋として初めてクラウドファンディングを使って、そういう新しい自社製品化を起こしていくという内容で、その時期はかなり記事にしていただいたので。それのおかげで五光発條のみんなのことをも広く世間に知っていただいたので。
●共創の成果
enmono このSpLink、今では店頭に並んでどなたでも自由に買ってくることができるというものになってますけど、こういう自社商品を出して、会社がどういう風に変わっていったのかというのを伺いたいです。
村井 国内で今後100年後もやっていくためには、やっぱりウチを知ってもらうという活動と、お客さんから来た図面をそのまま作るだけじゃなく、高付加価値なも のを技術で作りあげていくという意味で自社商品化をしていきたいと進めてきたので、初めての待望の自社製品がお店に並んだ時はやっぱりすごく嬉しかったで すね。
enmono これは今どこで買えるんですか?
村井 ハンズさん。ロフトさんでは最近はもう見ないんですけど(笑)。あとはヨドバシカメラとか本屋さんでも少し展開しています。一番嬉しいのは五光のホームページから買っていただくことです。
enmono 会社の雰囲気とか社員の意識はどんな風に変わっていったんですか?
村井 今まで部品だったので、自社の技術に対するお客さんの反応って見る機会がなかったんですけども。色んな展示会とか店頭販売とかも社員の方が一緒にやってく れたりして、お客さんが嬉しそうに買っていく姿を見ながら自分たちが作ったバネの技術で「あ、本当にこうやって喜んでくれてるんだ」というのは触れること ができたので、モノづくりとしての楽しさとか可能性とか色んなことは感じてくれたみたいです。
村井 なかなか褒められることがない世界なので、できて当たり前で失敗した時だけ怒られるみたいな話で、食うために仕方ないから嫌々たまたまバネ巻いちゃってる よねという感じだったんですけど、やっぱり自分たちが持っている技術が実は色んなことができる可能性があるよということで、明るく前向きになったと思いま すね。
enmono こういう最終商品を出した後、別の展開もあったそうですね。TOYというか玩具ではなくて別の方向が。
村井 すごい技術と面白い発想でこういうことができるんだけど、これは玩具ではなくもっと違う魅力的な製品として売るべきでしょうということで、それこそ共創? 共に創りあげようと。デザイナーの方とか何名かでチームを組んで、玩具ではなくファッションアイテムとしてやるべきでしょうということで。同じように見え るんですけど玩具の場合は抜き差しが半永久にできるんですけど、そっち側の方はデザイナーさんが一回作ったら変形しないと抜けないという機構にしてありま して。
enmono 今私がつけているブレスレットも、これ結構ぐにゅっとやっても外れないんです。これが結構してると目立つというか、なんか面白いブレスレットしてますねとなります。
村井 新宿にある学園のファッションモデル、ファッションショーに採用していただいて、学生の方が新しい見せ方ということで。バネ自体が製品特性上表に出ないの で、皆さんの目に触れる機会がないんですけど、それが逆におしゃれなアイテムとして「あ、そんな見せ方があるんだ」と、今までのウチだけだと絶対に成し得 なかった形だと思います。ウチらの従業員もファッションショーを見に行って、「あー、そういう使われ方をしてるんだ」と。そういう形でも新しい自社製品化 ということでチャレンジしています。
enmono デザイナーさんと組むきっかけはなんだったんですか?
enmono(宇都宮) クラウドファンディングのワークショップ。
村井 猫を作るワークショップの時に知り合ったのがきっかけですね。猫を作らないで違うことをしてるんで、あんまり触れちゃいけないなと思っていたら、最後にす ごいかっこいいブレスレットを作っていて、めちゃくちゃかっこいいんですよ。「なにそれ!?」って(笑)。
村井 で、なにか一緒にやれたらいいですねというお話をさせてもらったら、「いい人見つけたよ」ということで。それからだいぶ経ってはいたんですけど、まさに うってつけの方が見つかったということで、新しいジャンプアップジャパンというみんなの力を合わせて日本を躍進させていこうというチームの中でプロジェク トの1番目にこのSpLinkを使って、まさに日本を跳ね上げましょうとやってくれたのがファッション関係の。
村井 スプリングジュエリーという製品名・商品名で展開をしていくということで、これから本腰を入れてやっていこうと思っています。
enmono 単に玩具というだけじゃなくて、それ以上の新しい展開が期待されますね。
村井 そちらは申し訳ないんですけどenmonoさんの方のクラウドファンディングではないんですが……。
enmono いえいえ。
村井 朝日新聞さんのA-portの第一弾でチャレンジさせてもらったので、両方とも第一弾で関わらせていただいて一応達成できました。皆さんのおかげです。ありがとうございました。
●「自分が欲しいものを作る」は一つの光明だった
enmono そういう新しい展開をされている中で、村井さんが現在取り組んでいるものは、我々の中ではマイクロモノづくりというカテゴリーのお仕事というか、自分で企 画して自分で作って自分で売るというものなんですけども、マイクロモノづくりについてのご意見がもしあれば伺いたいなと思います。
村井 本当にそこが商品開発というか自社製品の肝になっていると思います。今までなんとなく「こういうのを欲しがるんじゃないか」という考えで例えば面白い数字 クリップを作ろうとしたり、実際自分自身がクリップを一回も買ったことないのに、これ本当に売れるか売れないかもわからなかったんですけど。
村井 結局「自分が欲しいものだったら、ほかの何人かは欲しいでしょう」というのは一つの光明だったし、力になるなと思っているんですが、やっぱり製品化・商品 化までできることは実証でわかったんですけど、売れる・売れないっていうのが次のテーマかなと思っていて。その売り方? やっぱりネットでは拡散してメディアに取り上げられてってなっていくんですけど、本当にいい形で回っていくというのにはもう一工夫とかコツとかが今後必要 だなと思っていて。
enmono 必要ですね。
村井 それこそ置き場自体がないので、せっかくこうして商品化して面白いものがどんどん出てくるんですけど、本当はenmonoさんでどこかに実際に置く。
enmono 棚を作る?
村井 そう。作ってもらえると……で、そこでしか買えない。「町工場の一点物はenmonoのなんとかストアで!」とか。それがあると作った人たちの希望になるので助かるなっていうのはありますね。
enmono 僕らもそういう妄想をして、大手の百貨店などに町工場の専用棚というのは発想としてはあるんですけど、なかなか我々も社員2名の会社なので信用度という問 題もあってなかなか難しいんですけども。ほかのクラウドファンディングさんは大きな資本のところはやってたりしますね。
村井 あ、そうなんですか。
enmono 伊勢丹とかでやってたりします。
村井 ぜひ。
enmono ぜひ?(笑)
村井 組んでください(笑)。
enmono やっぱり売るところが一番ハードルが高いですね。マイクロモノづくりは。例えば大手の百貨店さんに卸す時はマージンのところが大変だと思うんですけど。
村井 ああ、そうですね。講座の中では教えていただけるんですが、実際にそれなりのモノを作っていくと、かなりお値段が……。それでも欲しい人をターゲットにし ているんですけども、まだその殻を世の中が破ってくれるのがもう少し先なのかなとか。そこに感度よく「これ欲しいよね」という人がうまく来てくれるともう 少し回っていくのかなと思うんですけど。
enmono 要は原価と販売価格のアジャストがなかなかうまくいかないということですね。
村井 自分とか実際に作った者側が説明したら買ってくれるんですよ。店に置いただけだと、ポップだとかビデオの説明だとしても熱量が伝わらないので、そこの価値に辿り着くまでのアレが、お店だと店員さんが言ってくれるわけではないので。
enmono 村井さんが行商すれば売れる。
村井 そう、「うおー、すげぇ! レゴ超えた!」って言ってくれるんですけど、なかなか置いただけだと伝わらないので。
enmono そこの戦略は今なにか考えていますか?
村井 実際に言えば買ってくれるんで、仕方ないからビデオを作るしかないのかなと。
enmono 村井さんが語るビデオにしたらいいんじゃないですか?
村井 まぁそういうことですかね。
enmono そんなにかっこいいのじゃなくて、私が開発しましたみたいな。
村井 ただ、相手のニーズに合わせて説明もしていたのでアレなんですけど。
enmono マイクロモノづくりの販売の部分で苦戦していると。
村井 そうですね。全部面白いものなので、説明するとすごくツボに入るんですけど。
●バネの持つ可能性
enmono 村井さんからバネの持つ可能性について語っていただきたいです。
村井 バネの持つ可能性はもう皆さん薄々感じていると思います。ありきたりな言葉ですけど無限の可能性があると思います。多分最近気づいてきちゃってると思います。
enmono 世の中が?
村井 世の中が。気づかれちゃったので今少し困ってはいるんですけど。バネの可能性を五光っていうか自分の方で独り占めしちゃおうかと思ってたんですけど。
enmono それはあまりにももったいないから。
村井 そうですね。仕方ないのでみんなでバネの可能性を(笑)。色々試せたらなと思いますけど。でも実際に金属の発展と人類の発展はイコールなところもあるんですけど、このバネ材自体が実はすごく技術の粋が集まっているものです。
村井 色んな制約の中で鍛えられたバネ業界なんですけど、材料が持つ感触とエネルギーを創りだすことができること自体、人類が人工では造れなかった超生命体とウ チでは捉えていますので、このバネをどこかに取りつけるだけで静のものが動く新しい何かが生まれちゃうんですよ。ただこれは内緒にしてくださいね。
enmono(宇都宮) あ。
村井 あ! 撮ってるんですか!? 聞いてないですよ~!(笑) そういうことはちょっと事前に言ってもらわないと。ここカットでお願いします。
enmono(宇都宮) 大丈夫。多分わかってくれないと思うんで(笑)。
enmono 生命体。
村井 そうです。なので、またあらゆるもの。え? そんなところにバネ? というところに、またバネをどんどん。
enmono 具体的にはどんなところに?
村井 今はとりあえずこちらになるんですけど。これは山梨工場で、ぜひ地場とウチの技術を使って盛りあげられたらいいなぁと思っていて。山梨だとワイナリーが結構あるんですね。100店舗くらい。
enmono これ、一本のバネでできていて、葡萄の形になっているんですが、これをボトルに取りつけて……ハイッ(スタンドになる)。
村井 ありがとうございます。本当はコルクだと横にしないと酸化が促進しちゃうのでワインを長期保存するには必ず横にしなければいけないんですけど、横にする時 にせっかくなので面白いものをということで編み出したものです。これ、バネの特性が色々効いてるんですけど、実は色んな形の瓶があって、ここを押すことで (ボトルネックを通す輪っかの部分を)開いて、あらゆる瓶に対応できますよという仕組みになっていたり、ここの斜めに立つところの部分が実は一升瓶のバー ジョンもあるんです。
enmono 一升瓶ですか。
村井 山梨のワインには一升瓶のものもあるんですよ。なので、今後2020年のオリンピックで外国人の方が来られた時に、一升瓶自体が日本の規格で珍しい上にワインを横にするものということで。
enmono 意外と売れるかもしれないですね、これ。シンプルな感じで。でもこんな太いバネ曲げられたんですか?
村井 今はおかげさまで「もの補助(ものづくり・商業・サービス補助金)」で4ミリまで対応できるんです。
enmono(宇都宮) その太さで龍を……。
村井 本当にちょうど10倍にできるんですよ。SpLinkの1個1個が。そうすると椅子とかベッドとか実際に対応できるものが。だから本当に早く作りたくてウズウズしてるんですけど。
enmono 椅子作りましょうよ。
enmono(宇都宮) お忙しいんですか?
村井 いやいや、違うんですよ。機械がねぇ……いい機械で空かないんですよ。
enmono その機械はどこにあるんですか?
村井 下にあるんですけど。
enmono 椅子をクラウドファンディングしましょうよ。
村井 かなり面白いの作れちゃいますよ。
enmono 家具を1個作ってみると、それはまさに無限大な。それこそ西村さんにデザインしてもらえば、かなりおしゃれな、座ってビヨヨンってなるような。
村井 そうするとちょっとまた高くはなるかもしれないですけど。
enmono 1脚数十万くらいのね。
村井 そうできればいいかなと思うんですけどね。
enmono でもファッション性があれば結構……。
村井 アリですよね。
enmono(宇都宮) 金属だからエクステリアとしても使える。室外の。来年のミラノサローネで。
村井 やりたいですねぇ。
enmono じゃあ、今年中に試作をお願いします。
村井 (笑)。今はワイナリーさんと集中してやっていて、これ以外のヤツも今第2弾第3弾があるので、それが一巡した後になるんですよね。結局これが多少回っていかないと、新しいことをやる時に……。
enmono まずは売っていかないと。
村井 多少回ってくれるとありがたいですね。個人では楽しいんですけどね。
enmono ソファとか家具とか結構可能性ありますし、いずれは家自体もバネで作ると。
村井 おおっ。
enmono 地震に対応できる。
enmono(宇都宮) バネハウス。
enmono バネハウス。いかがですか。
村井 (笑)。いいですねぇ。イケちゃいますね。
●日本のバネの未来
enmono 色々まだお話を伺いたいのですが、そろそろお時間の方が参りまして、一番最後に皆さんに質問している村井さんの考える日本の○○の未来について。
村井 ○○……。
enmono ○○はご自身のもので結構です。
村井 日本のバネの未来について? まぁ、ウチは明るいです。
村井 バネの機構が架空現実の中で、要はバネの使われる箇所がタッチパネルの世界である程度動いたり可動したりするような箇所で主に使われていたんですけども、 そうじゃなくてやれちゃう世の中になってはきてるんですけども、やっぱりバネ性自体の持っているものっていうのが、それに取って代われない箇所のところも あると思うんですね。結局そこってエネルギーをどうこうする時に、これだけ安価で継続性があってやっていけるよというものがほかにないんですね。
村井 例えば火星の石かなんかで反重力なんとか石でできますよみたいのがあれば違うんでしょうけど。この機構っていうのは多分永久に活用できると思いますので、日本でそれを使った何かっていうのは、多分気づいた人しかやれないのでウチがどんどん。
enmono それに気づいているのは村井さんであると。
村井 気づいていきますので、皆さん、未来は明るいですから大丈夫です! ということで(笑)。
enmono(宇都宮) 素晴らしい。
enmono 本日は貴重なお時間ありがとうございました。ワクワクするバネの未来について語っていただきました。どうもありがとうございました。
村井 ありがとうございました。
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