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【映画所感】 あんのこと ※ネタバレ注意

12でウリを覚え、16でシャブを喰らう

俄には信じ難いような“修羅の世界”を生き抜いてきた、香川杏(河合優実)21歳。

薬物i依存の更生プログラムに、ヨガ教室をプラスしたような活動を定期的に行っている刑事、多々羅保(佐藤二朗)。

多々羅の放つ異質なパワーが充満する取調室の中、二人は出会う。

初対面なのに、ぐいぐいと距離を詰めてくる多々羅。抗えない空気感を伴いながら、救いの手は突然、杏の目の前に差し出されたかのように映る。

型破りな刑事がインストラクターも兼任する、風変わりなヨガサークル。

この不思議な自助サークルと、多々羅自身への興味から、更生の現場での取材をつづける週刊誌記者の桐野達樹(稲垣吾郎)。

多々羅と桐野、アクが強めの中年おやじのサポートのもと、杏は非行の元凶である実の母親との訣別に成功する。

杏に対して、幼少期から絶え間なく暴力をふるい、教育を受ける権利までをもことごとく奪ってきた母親。

毒親や親ガチャといった流行りの表現の埒外、決して関わってはいけない類いのニンゲン。

母親が狂っていく過程は本編では語られていないので、想像するしかないが、少なくとも福祉の網の目からはこぼれ落ちてしまったのだろう。

孤立無援からくるストレスは、娘の人生に依存し搾取することで均衡が保たれ、杏と母親、足に障害を持つ祖母の3人の生活は、なんとか維持してこられた。

杏は、母親から逃れ、安全な住処と学校という居場所、生活の糧となる仕事を得たのも束の間、機能しだした健全なルーティンは、多々羅の裏切り、コロナの猛威によって無常にも崩れていく。

薬物常習者の更生に尽力する多々羅は、その実績と評価が高まるにつれ、当然、自己顕示欲も満たされてきた。

しかし、一部の対象者を己の従順な信奉者とはき違え、淫らな欲望の餌食として消費する。

圧倒的な立場の差から振り下ろされる要求あるいは脅迫は、実にわかりやすいハラスメントの構造。

典型的な“昭和脳”と言ってしまえば、それまで。

アップデートできない価値観のままの哀れな中年男性。

痛々しいし、気持ち悪い

志は高いはずなのに、なぜこうなってしまうのか?

思えば、行政の窓口での恐喝まがいの言動、コミュニケーションを超えた過度なボディタッチなど、多々羅のあけすけな行動は、公権力を笠に着たマチスモともいえる。

本人はそれを、洒脱でスマートなやり方として認識しているようで、始末に負えない。

それどころか、無意識のうちに薬物使用者を差別している風にもみえる。

そして、コロナ

社会的弱者、とりわけ貧困世帯に与えた影響は計り知れない。

職場と学校に通うことが叶わず、悶々とする日々。そんな中、見ず知らずの幼児の世話を無理やり押し付けられる、杏。

子育て未経験にもかかわらず…

さらには、逃げきったかに思えていた実母にも見つかってしまう悲劇。

出口の見えない不穏な空気の社会と、八方塞がりのような自分の立ち位置。将来に希望が持てなくなってしまった杏を、誰も責めることなどできない。

実話がベースなだけに、やりきれない

地方行政に携わる身近な存在が言ったことが、心に響く。

「個人での支援活動には限界がある。仕組みとルールを変えられる立場の人が新しい制度を作り、今より福祉を充実させることで、より多くの弱者を救うこと、取りこぼさないようにすることができる」

今現在、その人は、生活扶助の制度改革に向けて奔走している。新しい取り組みは、周囲の公務員、行政マンの意識改革にも繋がっているようだ。

国が定めた法律、社会が決めた制度、世間のルールや常識、それらを安全圏からバカにして愚痴っていたほうが、自分で物事を決めるよりずっと楽だし容易い。

本作『あんのこと』は、ひとりの真面目な少女の更生にまつわる物語にとどまらず、コロナ禍における日本国の対応に関する総括という意味でも、最重要な作品といえる。

息が詰まるほどの格差社会、この国はいったいどこへ向かうのだろう。

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