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【映画所感】 イニシェリン島の精霊 ※ネタバレ注意

アカデミー会員の琴線をくすぐるかのような作品


物語の舞台は、アイルランド本土からもその島影を臨むことができる、イニシェリン島。

1923年、アイルランド本土では、一昨年の12月6日に締結された「英愛条約」を巡って、激しい内線が展開されていた。

この内戦を、ほぼ対岸の火事として捉え、表向き平和に暮らしていたイニシェリンの島民たち。

そんな中、島民のひとりパードリックは、親友のコルムから突然“絶縁宣言”されてしまう。

親友からのいきなりの申し出に、困惑するパードリック。理由を尋ねるもコルムは頑なに口を開こうとしない。もちろん宣言を撤回する気などサラサラない。

自分を拒絶する原因に思い当たる節のないパードリックは、執拗にコルムに喰い下がる。

絶縁に納得せず、要求を受け入れないパードリック。

対して、コルムは自らを傷つける“自傷行為”によって、パードリックに決意をわからせ、遠ざけようとするが……。

島民全員が顔見知りという状況の中、大人たちの娯楽といえば、パブで酒を呑んで、バカ話に興じることぐらい。

毎日ずっと同じ顔ぶれ、代わり映えしない話題。

コルムでなくとも飽きてしまう。

そう、コルムは残りの人生、限られた時間の中で、友人の酒宴に付き合うことよりも、自分の本当にやりたいことに集中すべきだと考えた。

バイオリンを弾き、作曲を行い、自分の楽曲を後世に残す。

「おまえといても退屈だ」と言われても、パードリックには意味がわからない。

頑固で意固地、ことば足らずなコルムの仕打ちは、ともすればクリエイターのエゴにしか見えない。

インテリ然とした態度の端々にパードリックを見下す素振りも見て取れる。

閉ざされた狭い環境ということを考えてみる。

1学年ひとクラスしかない単学級の小学校で、入学時から卒業までの6年間を、クラス替えなしで過ごす学校生活を想像してみたらどうか。

濃密なクラスの中で人間関係がギクシャクした場合、当事者はその後の教室での日々を楽しく過ごすことができるだろうか?

いじめなどの深刻な問題ならなおさら。

クラス替えでリセットできない状況。

子どもならまだ大人の介入によって、解決に向かうことも可能だろう。しかし、パードリックとコルムはいい歳こいたおっさん同士だ。

お互い譲歩するという選択肢を避けるように、剥き出しの感情はエスカレートし、報復合戦の様相を呈していく。

観客は時折、アイルランド本土から漏れ聞こえてくる砲弾の音をBGMに、この映画は紛れもない“反戦映画”なのだと気づかされる。

パードリックとコルムに限らず、些細な諍いも、国家の威信をかけた戦いも、相互理解の欠如から、最終的には引くに引けない状況に陥っていく。

あらためて、他者に対しては“寛容であれ”と教えられる。

イニシェリン島の争いから100年後の現在、人類は何ら進歩していないことに驚愕するしかない。


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