マインドフルネスと父親殺し

 朝に父親と揉めてから具合が悪くなった。読書にも集中できないし、不快な反芻思考が止まなかった。
 ベッドに寝転んで瞑想をすると「怖い怖い怖い怖い」という思考が1000回ぐらい出てきた後に「憎い憎い憎い憎い」という思考が1000回出てきて「頭が悪い癖に」という思考が1000回出てきた。
 瞑想において解釈や分析というのは必要のないもの、むしろ邪魔なものかもしれないが、自分の気持ちを書き留めておきたくなった。
 
 父親はずっと怖かった。典型的な昭和の人で、家事や育児に一切参加することがなかった。家父長制だった。母親は召使みたいだった。母親は専業主婦ではなかったので、今の時代なら家事を2人で負担するのが当然だと思うが「自分は昔の人間だから、何を言われようと家事は絶対にしない」と言っていた。
 父親に対して「この人は怒ることが教育だと思っているな」とずっと思っていた。当時は診断されていなかったが、発達障害で注意欠陥のある僕は、身だしなみを整えることができなかった。リビングへ行くと、舐めるように足先から頭頂部まで見られて「靴下がバラバラ」とか「シャツが出てる」とかキツ目の口調で怒られた。
 弟は僕と違ってバイクに乗ったりするヤンチャなタイプなので、余計に父親との衝突が酷かった。人間にこんな声が出るのかと思うぐらい大きな声での罵り声が聞こえてきた。否定して、感情をぶつけるだけでは余計に反抗するだけだと子供ながらに思っていた。弟は家に帰らなくなった。父親は「ワシが怒るばっかりするから帰らなくなった」と自慢げに嘆いていた。どういう感情だったのかは分からない。

 僕は小学校中学校高校と、学校の成績がずっと良かった。高校は1年生までしか通っていないが、それでもテストや模試の成績は良かった。両親はどちらも褒めてくれなかった。教育に全く興味がなかった。「〇〇は賢いから」と言ってプレッシャーをかけてくるのに、成績が良くても全く褒めてくれなかった。父親から褒められたことが一度もないと思う。引きこもってからは社会的な業績が一つもないので仕方がないかもしれないが、学校の成績ぐらいは褒めてほしかった。
 テレビを見て、いつも悪口をいうのも凄く嫌だった。女の人にブスと言ったり、お笑い芸人につまらないと言ったりするので、一緒にテレビを見るのが苦痛だった。

 母親が癌になって、人が変わったように母に優しくなった。家事をするようになったし、母に優しい言葉をかけるようになった。

 母親が死んでからは、僕に対してあまり怒らなくなった。部屋が汚かったら怒鳴られるか嫌味を言われていたのだが、発達障害に理解を持って接してくれるようになった。あまりにも変わったので、母親が死ぬ前に「〇〇は障害があるから怒るばかりしないで」と言ったのではないかと思っている。本当のところはどうなのか分からない。

 母親に子供のことを任せっぱなしだったので、父親とまともな会話をすることはほとんどなかったが、母が死ぬと必然的に会話が増えた。病院が遠いので送り迎えをしてもらっているのだが、話が弾むこともある。
 この前は急に母との北海道旅行の写真をたくさん送ってきて、母親との思いでをチャットで送ってきた。自分の弱みを晒すのが大嫌いな人なので驚いたが、いろいろと思うところがあったんだと思う。

 一言でいうと「不器用な人」だと思う。母や子供のことは凄く愛しているんだけれど、それを伝えるのがとても下手だし、昔は怒ってばかりいた。母が死んでからは少しずつ器用になってきた気がする。「男は強くなければいけない」という思いが凄く強い。ヤクザや不良の漫画ばかり読んでいる。

 いい所もたくさん知っている。友達が凄く多くて毎週飲みに行っているし、仕事が凄くできる。シャイなだけで、本当は愛情深い。
 noteで頂いたサポートのお金で、父の日に首をストレッチする枕をプレゼントした。渡した時は「うん、ありがとう」ぐらいの反応だったが、数時間後にラインで嬉しそうにしている長文のチャットが来た。そういう人だ。

 父親があまりに怖いので、何かを選択するときに「父ならどう思うだろうか」といつも考えていた。アダルトチルドレンの特徴だという。旅行へ行くのはどう思うだろうか、このパートナーのことはどう思うだろうか、こんなこと親にバレたらどうしよう…。

 最近は昔よりも父との関係性がいいので、こんなに恨みの気持ちを抱えているとは思わなかった。マインドフルネスをしなければ絶対に気づかなかったと思う。強い恐怖や憎しみに気づいて、受け入れて、浄化された気がするので、これからはもっといい関係性が築けるようになる気がする。
 「親には感謝しなければならない」とずっと思っていた。だから憎しみの感情は抑圧していたのだと思う。でも同じ屋根の下で暮らしていて負の感情がないなんて絶対にあり得ないし、そんな状態は不健全だった。仏教やトラウマの本で「許しましょう」と言われるのだが、そもそも憎んでいたことを知らなかったのだから許しようがなかった。
 過去から溜まっていた憎しみは全て流れた気がするので、もっとうまく感謝できるようになる気がする。「すごく怖い人」から「痛みや弱さを抱えた普通の人」に転換したような感じ。自分の中のトラウマティックな父親像は殺す必要があった。

勉強したいのでお願いします