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食い違いについて

海外に行ったことがないので“日本人は”とするが

日本人は国民性として意見の食い違いに弱い
つまり
ディベートに弱い気がする。

意見や捉え方が違っただけなのに、なんだか自分まで否定された気になってしまって、つい感情的になってしまうのだ。

例えば
Aには「赤が嫌いで青が好きな役」
Bには「赤が好きで青が嫌いな役」
と振り分けて、それぞれ口論で競ってもらう。

そうするとAは青がディスられた時につい感情的になってしまったりする。
好きな青だけじゃなくて青が好きな自分が否定された気持ちになってしまうのだ。

かくいう自分もそういう節がある。
ただ、そういう事実を知っているから感情的にならずに一旦自分を見つめ直すようにしてる。

これは役を振り分けただけなので、例えば5分口論してもらったあとに
「じゃ〜今度は交代ね」
とすれば
「なんで自分はさっき青をバカにされてイラッとしたんだろう」
と気付いたりもするが、実生活では違う。

人が好きなものを好きじゃないと意思表示をしたり、自分は嫌いだと意見を伝えただけでも人間関係にひびが入る可能性が少なくない。
これは自分が好きなものや人をバカにされた想像をしてみるとわかるはずだ。

実際にはさっきのABと同じなのだが
そこに


・あなたには言われたくない
・あなたはそんなこと言わないと思ってた
・そんなことを言う人であって欲しくない
・デリカシーがないように感じる
・わざわざ意思表示するって事は…


などなど、色んな感情的が絡みついてくる。


この際の最適解は
「あなたはそう思うんですね☺️」
だと思う。

価値観は人それぞれで、そういう事はわざわざ口に出す必要が無いと思う人も居れば、意思表示はするべきだと思う人も居る。

さて問題なのは最適解を知る事ではない。

僕個人の価値観は前者。
好きなものや人を、自分の価値観で意思表示して
「僕は好きじゃないな」
って言う必要が無いと思ってる派だ。

その価値観が今の所定着してる僕に対し、意思表示派が意思表示をしてきた際
最適解は先程の通りなのだが、意思表示をされたからには今度はこちらのターンで論破してしまいたくなるのだ。

また、ここでスルーすることでその人に対してその程度の愛情、つまり
“その程度の仲止まり”
という気もするし、相手は意思表示してきているのにこちらは本音を明かさないというスタンスが、いくら最適解であってもなんだか卑怯臭い気がしてしまうのだ。

だが過去の経験上、人間は常にベストコンディションではないし、成長もする。

ちょっと前は気に入らなくて論破してしまったが、今覚えばそんな事しなくても良かったなって事もあるし、自分を抑えたからこそ続く縁もある。

あとシンプルに
公の場で言い争っちゃう人って子供っぽくてちょっとダサい。

ここまで来ると悩みそうだし、考えても答えが出てこないような気がしてくる。

が、僕は悩むのが嫌いなので結論を出す。

これは正解ではなく、僕はこれでいいって考え方だということに尽きる。

僕の出した結論は
「自分が思う“その程度の仲でいい人”であれば最適解、そうでなければ意思表示」だ。

例を出すと、僕達夫婦はハッキリ言ってとても仲が良いが、これはひとえに奥さんのおかげである。間違いない。

僕は少しでも気になる事があった時、その場でパッとは言えず、一旦考える。
考えた上で言いたいことや気になる事は全て言っている。
それに対して奥さんは(今となっては)一切反論をしない。
何故なら僕が煽り厨であり、かつクレーマー体質であり、戦う土俵に上がった以上絶対に勝つと知っているからだ。
と、言いたいが実はそれだけではなくて、奥さんは「教えてくれてありがとう、気を付けるね🥰」という僕の奥さんとは思えないほどの懐の広さを持った人なので(だからこそ一緒に居られるんだが)


「嫁の器」


と言ってしまえばそれまでだが、まぁそんな感じだ。

じゃ〜奥さんにとって俺は
「その程度の仲で良い人」
なのかというと、当然、断じて違う。

ぼくの回答はさておき嫁の回答を一言でまとめるとこうだ。

「許せちゃう🥰」

負けだ。もう。

まとめると、違う価値観の意思表示をされた場合の行動としての最適解は
「あなたはそう思うんですね🥰」
が最適解だと僕は思う。

が、感情が動いた際は僕は
「その程度の仲で良い人ならばスルー」
「そうでなければ自分も意思表示」

なのだが
「許せちゃう人」
になりたいと思うのであれば許せちゃう練習と思って、多少感情が揺さぶられても許しちゃうのが真の最適解に思える。

そういう話でした。



と、ここで終わりたいのだが実はそうはいかず、上記記事の内容をstand.fmという音声配信アプリのLIVEで話していたんだが

なんということでしょう


翌日僕は徹底的に反論したのである。


実は上記の話には発端となる出来事があり、思うところがありつつも割と受け流したのだ。

Twitterでな!!!


「つまり“その程度の仲じゃ嫌”って相手だったんでしょ?」

もちろんそれもある。
もちろんそれもあるし、全然人間関係がない人だったら気にもしなかっただろう。

だがそれとは違う観点が僕にはあったのだ。


人間関係に絶対に手を抜かない


これは今の僕の人間関係はもちろん、今ある財産、今ある立場、全てこのスタンスというか信条がもたらした恩恵といえる。

つまり僕は「許せちゃう🥰」のていで見逃したにも関わらず、一晩寝て起きたら

「いや人間関係に手を抜くわけにはいかねぇ」
「子供っぽかろうがなんだろうがだ」

と、思い直し、昨日許したはずのツイート全てに対して一斉に反論したのだ。

周りを心配させ、ツイート主も驚き、慌てたりなんだのあったのだが、結果

俺はこれでいい


と、僕は思い直し、これからもスタンスは変わらないだろうなと思った。

一行でまとめると

「大人になったし好きになるかもと思って飲んだビールが苦くてやっぱ無理」

こんな感じだ。

二行になってしまったからおわり。

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