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今日と彼方のはたらきへ。

はたらく とは。
自分なりに明確な答えを持ちつつも、それを辿るにあたって切り離せない存在がいる。

それは私の両親。


きっとこのテーマで書く方達と、まるで違うコースからのアプローチになってしまう。
それでも家族との話を交えながら、はたらくことについて書こうと思う。

溢れ出る記憶と、取り返しのつかない傷に従って。



私は親が共働きだったため、幼稚園の頃から鍵っ子だった。

元々の性格なのか単に忘れているだけなのか、
寂しさを感じた記憶はほとんど無い。

机に置かれた小遣いを楽しみに、習い事に通ったりもしながら日中の自由を満喫していた。


優しくて気弱な性格だった弟は小学校に入るまで、
母の勤め先であるパン屋に電話をかけては寂しいと泣いていた。

今より専業主婦の家庭が一般的だったあの時代、パートという立場でお店の固定電話をふさぎながら息子をなだめる。
母の胸中を思うと心が痛む。



父は靴メーカーの営業をしており、
接待という形の飲み歩きや徹夜麻雀を続ける、
いわゆる午前様で借金型のサラリーマン。

スポーツ全般を愛していて、マラソンに参加したり私達兄弟が入っていたサッカーチームのコーチをしたりと、運動を通じた子育てには積極的だった。



父の借金により、決して裕福ではなかったはずだ。
それでも洋服からプレステまで、周りの友達に比べて惨めな思いをした記憶は殆ど無い。

母が何年も同じ靴を履き、毎日スーパーをまわって1円単位で生活を切り詰めていたことには気がつけなかった。



それどころか私は、習い事をさぼったり弟の貯金箱からお金を盗ったりと欲のままに過ごしていた。
そして、そのたびに家族を泣かせていた。

喧嘩や窃盗、喫煙など素行の悪さも加速し、
両親どちらかが会社を早退してはお店や学校に頭を下げに来た。

帰り道は、厳しく励ますような表情で私を叱り、諭し、人の道を説いてくれた。


都合の悪い時だけ黙り込む、努力嫌いの嘘つき。
目を背けたいけど、それが偽らざる幼少期の私だ。



高校生になり、父が単身赴任となった頃の私は乱れた生活に拍車がかかっていた。

誰かへの反抗とか、何かに夢中といった理由すらなく、
人の優しさや痛みを芯から感じることができない人間になっていた。



見かねた父が赴任先へ私を呼び、
職場のオフィスを案内したり土地の名物を食べさせたりと父子の時間を作ってくれた。

慣れない土地で質素な部屋に住む父は、
疲れと白髪を笑顔で隠しながら、
未来を見せようとしてくれていた。



母は若い頃に取得した資格を活かしてコツコツとキャリアを重ね、
目標としていた公務員にようやく転職できた頃だったと思う。

ハードな仕事の中でも弁当作りから祖母の看護まで、身を削りながら生活を成り立たせてくれていた。



なにか思い悩んでいるのなら力になりたい。
どうすれば息子のレールが矯正されるのか。


両親共通の思いは届かぬまま、私の百害によって休日を潰し、社内での信用を落とし、
暗い自宅と会社を行き来する。

ここに書けないような過ちも含めて、
私はその後10年以上もの間、家族に重い影を落とす存在だった。



親で苦労する子と、子で苦労する親の悲しみは同じだ。

とうに成人を過ぎた頃、自分の心理や行動にあてはまる病名があることを知ったが、
私は健康で甘えていただけだと今も思う。

私が繰り返してきた過ちは、親の責任という範疇もとうに超えている。



そうして長い時間、本当に長い時間かかり、
何度裏切っても信じてくれた家族のおかげで、人並みに近い感覚を授かり私は生きている。

自業自得の罰を受け、人から何周も遅れて仕事や生活を築き直す中で、
ようやく見つけられたことがある。



「はたらく」とは、心を入れて役割を全うすることだ。



人は、時間を費やす対象に向けてはたらき続けることで、人生の実りを増やしていける。

繰り返す雑務、未来への準備、周囲との交わり。

人によってはそれが芸術だったり、イベントだったりするのだろう。


仕事という枠の中で言えば、社内のあの人の隣にも、目の前のお客さんの先にも、
私の後ろにも、それぞれ大切な人達と物語がある。

だから仕事には人柄がでるのだと思うし、
大切なもの同士は繋がっている。



父も母も定年を迎え、ひとつ大きなはたらきに区切りがついた。

ソファーに並べきれないほど飾られた送別の花束は、2人のはたらきによって開かれた黄金郷のようだった。


母は夜勤のある仕事に再就職した。
私たちに老後の面倒をかけまいと、
節約のためこの冬も原付で通勤している。


先日も20分ほどかけて私の家まで必要書類を取りに来たのだが、
私の連絡が至らず外で長い時間待たせることになってしまった。

謝る私に笑って弁当を渡すその手は、寒さでガタガタと震えていた。



黄金郷は、あれで全部ではないはずだ。
2人とも負の影を背負い、ときに周囲の評価を下げてまで、私にはたらき続けてくれた事への対価を受け取れていない。

それを差し出すべき私も未だに、多大なる対価を生み出すことができないでいる。

時間は有限だ。
この先も嘘をつかず、目一杯はたらく。



私のはたらきは父の懸命な笑顔にも、母の震える手にも、誰かの強い願いにも、繋がっている。


2021.1.2   然

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