ゴミは人の発明品。人のいない世界にゴミなんてない。
いやほんと。こんなクソみたいな発明。いやクソみたいはうんちに申し訳がなさすぎる。うんちは土に戻るしなんなら堆肥にもなるんだから。
人のいない世界にゴミなんてない
そりゃそうなんだけど…!そうなんよ!
海でも山でも川でも、ゴミは人が捨てたもの、生み出したものばかり!
だって、枝や落ち葉、動物の死骸なんか自然にあったらゴミなはずない。土に戻るんだもん。生き物が食べ、土に戻り、命を育んでいく大事な資源。
人が作り出したのは"ゴミ"という概念
そう。そもそも、"ゴミ"なんて概念自然の中にはないんよ。
人が生み出したのは、ゴミっていう形あるものじゃなくて、"ゴミ"っていう概念。
これって、ものすごく大事なことだと思うんだ。
"ゴミ"と、いらないものを捨てるっていう行為
ゴミってのは、不要になり捨てられたもの。ゴミと、いらないものを捨てるって行為はセットだ。
ぼくらは、このいらないものを捨てるって行為を日常的にしてる。しない日はない。
いらないものや役に立たなくなったものを、ゴミ箱に入れ、ゴミの日に出し、自分の目の前から消す。
これが日常化してるのは、なんだかすごくまずい気がする。普段違和感を感じることがない分、ぼくらの意識にとんでもなく大きな影響を及ぼしているような、そんな気がする。
なんでかっていうと…
"ゴミ"という概念のもつ暴力性
これが、人間にも適応されているように思うから。
「もう古くなったし、捨てちゃお。」
「これもうダサい。時代遅れ。いらないや。」
「動けなくなったしいーらない。」
ものに限った話だろうか?
ほくらの社会、人同士の関係性も、こんな具合じゃないだろうか?
年をとった。障害がある。使えない。役に立たない。いらない。だから、目の前から消す。
いつ捨てられるかわからない。有用でなければゴミ。こんな圧が、ぼくらには常にかかってない?もやもやとした不安がおおってない?
ゴミがおおきな問題になってる。埋め立てる場所がないとか、資源の無駄遣いだとか。それも十分深刻だ。
でももっと深刻なのは、日常的な"ゴミ"がもたらす、人や物と関わる姿勢への影響なんじゃないかなって考えてる。
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