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あの紙ヒコーキは不便だった

年齢がばれてしまうのでこれまであまり話してこなかったのですが、学生の時に聞いた音楽というのは、ちょっと特別な思い入れがありますよね。
私の場合は、ジャンルはバラバラですが割と幅広く聴いてきたな、という実感がありますが、特に思い入れの強いアーティストは19とゆずです。

中学生の頃はこういったフォークデュオ全盛で、コブクロとかブリーフ&トランクスとか些細なジャンルの違いはあれど、同じようなテイストの様々なアーティストが登場していたように思います。
その中でも19とゆずについては、アコギやハーモニカで「青春とは何たるか」というどの時代の若者も抱える永遠の謎に対する答えを求めながら一生懸命に音を奏でるその姿が、青二才だった私のハートにぶっ刺さりました。

多分尾崎豊とか、ブルーハーツとかにリアルタイムで出会った世代も同じような感覚だったんじゃないでしょうか。
その二組に比べたらパンクさもロックさも社会への反抗心もないお行儀のよいデュオかもしれませんが、それでも当時のディープインパクトは忘れることはできませんし、老いと戦い始めた今の私という人間の数%はやっぱり19とゆずで出来ていると思います。

定番どころの曲はもちろんですが、アルバムも隅から隅まで聴き込んでいました。当時はもちろんCDです。サブスクなんてものはありません。

話はそれますが、音楽のサブスクは私もお世話になっております。月額で万を超える曲が聴き放題なんて、にわか音楽好きの私のような人間が飛びつかないわけがないんですが、結局のところ、CDにしかない良さもあったな、という"昔はよかったおじさん"がよくいうセリフは概ね事実だと思ってます。

インターネットも未発達の時期でしたから、テレビやラジオでふと耳にしたメロディーをもう一度聴くのは結構難しい時代でした。
今みたいにyoutubeが浸透してないこともあり、すぐに検索することはもちろん、とりあえずなんとなく音楽かけっぱなし、みたいなことはもあまりなく。

新しい音楽に出会うためにはわりと能動的に動く必要があって、夜中にやってるCDTVを録画して(もちろんビデオテープ)名前も知らないアーティストの48位くらいの曲のサビだけ聴いて衝撃を受けたりして。

CDショップにいってやっとお目当てのCDをみつけても、家に帰ってコンポで再生するまでは聴くことができなくて、その時間がワクワクを増大させるというか、その"焦らし"が余計にキラキラさせてくれたというか。家に着くまでの電車の中で歌詞カードだけ一生懸命眺めたりして。

ジャケ買いという文化も当時ならではでした。
今はインスタとかtiktokで流れる音楽から「この曲いいじゃん」となることが多いと思いますが、音楽を歌詞やメロディーではなくCDジャケットで選ぶ感覚が、現代の若者にわかってもらえるのでしょうか。
それが凄いとかエモいとかじゃなくて、音楽へのアプローチ方法として様々なものがあったなあ、と単純に懐かしくもあり、不思議だなあと考えています。

もちろんジャケ買いですから、肌に合わない音楽だったりもします。でも、そうやって、ある種強制的に摂取した音楽の養分が、あとになって自分の身体や思考を無意識に構成しうることもあるんじゃないかなあ、と。

よくわからない話になってしまいましたが、不便のなかで生まれる価値観こそ大切にしてみたいなあと、この便利な時代を生きるおじさんは思うわけです。

久々に聴くと、やっぱいいすね。


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