見出し画像

素知らぬふりができない大人

夏なので、お洒落している。

基本的にTのシャツしか着ない男だが、一枚羽織ることを最近覚えた。
いわゆる開襟シャツというやつだ。普通のシャツだと襟がつまっていてビジネススタイルでは着ることもあるが、私服で着た場合私のようなモグラみたいなスタイルの男は一気にダサくなる。というか、モグラの時点で何着てもダサくなる。だから極力シンプルな服を纏うように心がけていたのだ。

しかしながらこの開襟シャツを解禁したことで、私のおしゃれ的視野はかなり広がった。体感45度→270度に視野が広がったと言ってよい。馬。馬並み。実際にはTシャツから開襟シャツへの進化など、コラッタがラッタに進化するようなものだから大きな声では言えないが、私にとっては大いなる一歩。まさにおしゃれの月面着陸を果たしたと言える。
開襟シャツを着た私はTシャツ時代の自分を見てこう言うのだ。「首元は、丸かった。」と。

ちなみに高価なものでもないし、言わずもがな無地である。大方の予想通り、無印良品の最終セールの売れ残りを買ったのである。本当に大したおしゃれではない。しかし、何度でもいう。私にとってはすさまじい成長なのである。私服で襟をつけるという、そのことは。ボタンをすべて締めるだけでもさらなるおしゃれスキルが垣間見える。気分が良い。おしゃれはいつの時代も良いものだ。

さて、そんな高揚した気分であればいつも行かない駅から離れたスーパーにに歩いて行こうとなるわけである。とぼとぼ歩く道のりも開襟シャツのおかげで足どりは軽い。今なら空すら飛べる。羽根が生えたようだ。

その時前から歩いてきたおばあさん、推定70歳。私と同じシャツだった。無論、色も一緒で襟の開き具合も一緒。ボタンも全部しめており着こなしまで一緒。肺呼吸と2本脚で歩くことも一緒。見る人が見ればドッペルゲンガーだ。私は急速に頭を回転させ、この事態を乗り切る方法を考えた。そして導き出した結論はボタンをすべて開けることだった。間一髪だったぜ、危ない、事なきを得た。ボタンを締めたまますれ違っていれば、どちらかが砂になるところだった。本当に良かった。

帰宅後、今日来ていた開襟シャツは、未だしばらく出番のない冬用のパーカーのさらに下に、そっとしまわれた。
もうすぐ夏が終わる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?