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バックパッカーズ・ゲストハウス(60)「飛び越えてゆけ」

前回のあらすじ:ゲストハウス内では穏健派と坊主頭をトレードマークにする過激派による対立が表面化しつつあった。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2


 普段あまり面白く思っていない人間がなにかおかしなことをやると、なんかムカつく。中尾の奇行や、ヨシノブが間延びした喋り方で、ダラダラと、「やれオレンジレンジと俺はこういう関係だ」「やれダパンプとはこういう関わりがある」という虚言のような話を、人を捕まえては聞かせたりするのは一部の人間の神経を逆なでした。

 ニキに関しては切実で、バイトから遅くに帰ったあと、学校の課題をゲストハウスでこなしていた。夜になるとリビングにはうるさいグループが溜まり、その声で集中できないので、延長コードで卓上ライトを引っ張り、ベランダへ出て勉強していた。隣を電車が走る都内の外より、ゲストハウスの中の方が騒がしかった。

 私の上のベッドで、ある日からヨシノブと中尾が一緒に寝るようになり、本人達はヒソヒソ話しているつもりみたいだが、全然うるさいので、何日目かに私は他のベッドへ移った。
 ヨシノブはホストを辞めたあと、中尾の紹介で浅草にあるソバ屋で彼女と一緒に働き出した。それで、一気に仲が深まったようだった。

 政治家の高田は夜中バイトに出ていて、日中ゲストハウスにいる。選挙事務所を片付けられたことなんかまるで気にしていない風に、昼間は彼がリビングに居て、夜になると中尾やヨシノブが騒いでいる。リビングにいくと、必ずおかしなやつと関わらなければいけなかった。

 そんな折りに、ゲストハウス内で事件が続けざまに起こった。まずはボヤ騒ぎがあった。喫煙所に置いていた灰皿に誰かがティッシュを入れて大きな火があがっていたらしい。
「ティッシュの原材料は石油なんで、それは燃えますよね」と中谷は彼本来の穏やかな喋り方で私に状況を話した。
 火種を置いたのは誰か。故意なのか不注意だったのか分からないが、それ以降、灰皿の横には水を入れた大きな瓶が置かれ、それでタバコを消火してから捨てるというルールが出来た。ビギンの代わりに雑用を任せられていた中谷の雑務が増えた。

 それからいくらも経たないうちに、早朝に目が覚めた私が一服しに行くため三階のドアを開けると、
「気をつけて。そこウンコ落ちてるよ」とヨシノブの声がした。
 彼の注意のおかげで、私は朝っぱらから下痢便を踏むという事態を免れた。

 誰かが、三階のドアを開けて直ぐのところに排便していた。たとえ寝起きの頭でなくとも、訳が分からないのに変わりはなかっただろう。
 ピョンとクソを飛び越えて廊下へ出て、便から三歩か四歩離れた階段の踊り場でタバコを吸っているヨシノブの隣に座り、私も一服した。二人で話して、

「これは人糞だろう。動物でこんな下痢をするものは知らない」ということになった。

 それなら漏らしたのか故意なのかという話になったが、パンツかズボンかどちらかでも履いていれば、こんな盛大にクソを落とすことにはならないだろうと思われた。愉快犯なのか腹痛に耐えかねて、トイレを目前に限界が来たのか知らないが、誰かが明確に、ここで尻を出していたことに間違いは無さそうだった。

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