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バックパッカーズ・ゲストハウス㉔「二階に住む人たち」

前回のあらすじ:終電で寝てしまった私はかろうじて千葉流しを免れ深夜の東京駅に着く。土地勘のなさが災いして高いネットカフェで仮眠を取ったあと、歩いて秋葉原まで帰った。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2

 ゲストハウスにたどり着いて、もう一度寝直すと、次は朝と昼の間ぐらいに目を覚ました。ゲストハウスに住んでいたヤツらのことは、よく覚えているが、誰と最初に顔を合わせたかまでは記憶にない。

 起きて、たぶんタバコを吸いに行ったので、もしかしたらヘビースモーカーだった仰木かも知れない。
 仰木はヘビースモーカーなのにまだ十代で、栃木だか群馬だか関東の田舎から、親に無断で東京に出てきていた。いつも黒のニット帽を被っていた。高校の途中まで野球をやっていたらしくて、元野球部に多い、真面目じゃないが不良というほどでもなく、今どきでもチャラくもないが、一応流行は気にしているヤツだった。

 タバコを吸って、仰木に自己紹介したとして、その次はたぶん缶コーヒーを買いに行って、飲みながら二本目を吸って、シャワーを浴びたと思う。五階にあるシャワールームは、大きめの脱衣所があって、バスタブも付いている普通の風呂場だったが、長時間の占領に繋がるのと、たぶん掃除が面倒くさいからバスタブの使用は禁止だった。タイル張りで少し古くさかった。
 シャンプーとかボディーソープの備え付けはなくて、各自自分のものを使うことになっていたが、用意していなかったので、一発目のシャワーの時は誰かが置いていたやつを勝手に使った。

 五階に上がるには、四階のリビングを通らなければいけない作りになっていた。大体誰かは居たので、そこでも人と会話したはずだ。「高田 実」という五十過ぎで、政治家志望のフリーターが住んでいた。よくリビングで作業をしていたので、高田と顔を合わせたのがこの時かも知れない。愛媛ではないが、私と同じ四国出身だった。東京で四国出身者と会うと、それだけで親近感が湧く。高田は百五十歳まで生きると本気で言っている、かなりヤバい奴で、みんなからは嫌われていたが、私はある種の好感を持っていた。

 仰木と高田のついでに、私がゲストハウスに入った時に居た連中のことを書いておこう。二階の女性専用階には、坊主頭で、靴紐でなく子供が使うような、なわとびの縄で結んだコンバースを履いた中尾という女が居た。ガリ勉ぽい眼鏡をかけていて、パンクというよりは変わり者といった風体だった。アメリカに住んでいたことがあるらしく、英語が喋れる代わりに、海外の価値観に染まった独特の鼻につく感があった。それと、チヨという二十歳の丸っこい韓国人がいた。チヨはライブハウスでバイトしていて、自身もアコースティックギターを練習していた。甘えたっぽい振る舞いをすることがあって、あともう少し見た目が良ければモテたと思う。もう一人、メイド喫茶で働く人が住んでいると聞いたが、中尾やチヨほど出現率が高くなく、いつの間にか退去していたようで、その姿を見かけることはなかった。

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