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バックパッカーズ・ゲストハウス(67)「『痛い! もっとやって!』と叫ぶ夜」


前回のあらすじ:四ヶ月間のゲストハウス暮らしにも終わりが見えてくる頃には、住人たちに僅かなテンションの上がり下がりも見抜かれるような近しさがうまれていた。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2

 七月の前半に、ゲストハウスの暇な連中で、神田川沿いを夜通し歩く、「夜のピクニック」的なイベントが、例によって中尾を中心に企画されていた。

「それまでゲストハウスにいるよね。残るよね」とチヨに言われ、子供がものをせがむときのようなその言い方に、私が答えに窮しているのを見て、恭平は笑っていた。
 金も無かったが、それよりも私にはもうそのイベントひとつのために、ここへ残ろうという精神的余力が無かった。

 私がゲストハウスを出る前に、お別れ会を開こうという計画が上がったらしく、塚田が単刀直入に予定を聞きに来た。何か特別なことをするわけでもなく、ただリビングに集まってみんなで酒を飲む程度のことだったが、

「ここでは、そういう話が出ること自体、稀なそうだよ」と彼は言った。
 特に予定なんてものはなかったので、六月の末日に、私のお別れ会をしてもらうことになった。

 私が自作した冊子は、塚田からニキ、ニキからヨンへと又貸しされており、六月の終わり頃にヨンから私の元へ帰ってきた。インドネシア人でも韓国人でも、少し日本語を勉強したら読める程度の文章でしか書いていなかったものを、

「あなたのこと見直しました」と言ってくれ、
「あなたは本当に適当で自由な人だと思っていたけど、それだけじゃなくて、ちゃんとこういうことも出来る。それはとても凄いと思う」と、たぶん褒めてくれた。

「気に入ってくれたならあげる」と私はヨンに本を渡した。私が持っていても荷物になるだけだ。

 来るときは安物のキャリーと古い小ぶりなボストンバッグを持っていたが、キャリーのローラーが壊れていて、帰りに引きずることを考えると憂鬱だったので、中身をダンボールに移し替え、三十日の昼に愛媛へ郵送した。必要なものを選別している内に、どんどん身軽になっていき、一日二日過ごすだけなら、帆船生地の肩掛けだけで事足りると思い、ついでにボストンバッグにも直接送り状を貼り付けて送った。来るときと比べて帰りは随分身軽になった。

 何だったか忘れたが、最後の夜には仰木が飯を作ってくれた。包丁がどうのこうのと文句を言っていて、私が、
「料理人にとっての包丁は、侍の刀と同じぐらい大切なものだから」茶化すと、中尾が、
「旅人にとっての思い出も一緒ですね」と気が利いているようなことを言った。

 料理が出来るのを待っている間、私が横になった吉沢をベルトで叩き、吉沢は、
「痛い! もっとやって!」と叫ぶ遊びをして過ごした。
 何人も人がいたので食い物はすぐに無くなり、金の無い塚田が、

「太郎君、奢るからコンビニにつまみとデザートを買いに行こう」と私を誘った。

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