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『嘔吐の花』第三話

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 そういう付き合いを一年半ほど続けた頃に、ヒロの仕事が変わった。彼が「町」から支援金をもらいながら、山奥で無農薬のトマトとニンニクを育てるようになると、それまでのように気軽に会うことはなくなり、前もって約束をして、週に一度繁華街で落ち合うようになった。この頃からヒロは赤ワインに被れだした。

 ヒロがボトルでワインを頼むようになると、それに合わせて私もワインを飲むようになった。体に悪い茶色い酒なら人並み以上に飲めたが、どういう分けか赤ワインは私の体質に合っていなかったみたいで、ヒロと飲んだ帰り道に、百発百中で吐くようになった。

 酔っ払いとは、懲りない生き物なのだと思う。それでも毎回ヒロと同じペースでワインを飲んだ。もしかしたら今回は大丈夫かも知れないと、いつも思った。

 当時私が住んでいたマンションの一階には、一年中花が咲いているのを見たことがない、ただ堅い土が詰められているだけの花壇があった。せっかく吐かずに家まで帰れたと思った日に、結局そこへ吐いてしまった。その時に、これを肥料にして、なにか花が咲くんじゃないかと、バカなことを考えた。

 それからは、我慢して出来るだけ同じ場所に吐くようにした。赤ワインと鶏肉、たまにヒロが育てたニンニクとトマトが原料に加わるゲロは、いつもビロードの生地を連想させる赤色だった。これを栄養にして咲いてくる花も、きっと同じ色に違いないと思った。花が咲いたら、ヒロにあげようと考えた。

 この頃の私もだいぶおかしかったが、ヒロも正気を失いつつあるように見えた。ある晩、

「ひそかにさ、娘が成人したら、ミックの嫁にどうかなとか思ってたんだけど、実は娘、レズビアンだったんだよね」そんな話をした後に、「ジャジャーンジャジャン」とブルースの定番フレーズを口ずさんだ。私が、

「いいじゃないか。芸術家は大体同性愛者だ」と適当な相づちを打つと、ヒロは、

「ミック。髪の毛切るなよ。髪の毛切ると魂抜けるぜ」と脈絡のないことを言った。

 山奥でお野菜を育てる生活はヒロの性に合っていなかったらしく、会う度に、仕事や、「愛がない」という家庭の愚痴が多くなった。前は、「世の中には二十歳の年寄りが多すぎる。俺は八十になっても若者でいたいぜ」と格好つけて言っていたヒロが、「歳を取る前に死にたいぜ」なんてことを言うようになった。私は慰めの言葉を掛ける代わりに、ヒロに花をあげるため、黙って肥料を胃袋に流し込んだ。


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