『家族』

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 ボクは10代の時に、他の人が当然のごとくすること、朝起きて学校に行くとか、盲腸や、おたふくかぜ、恋煩いにかかるだとかいった、あまりにも当たり前過ぎて、やっているという事にさえ気づかないような事を、結構やってこなかったので、大人になった今でも、周りの人が普通にやっている事(たとえば車の運転や就職なんか)が、自分にはまったく関係ない事のように思える時がある。

 ときたま人に、「緒川くんはナゼ――」みたいな事を言われて、ようやく自分にも関係ある事なんだな、と気づかされる。そうすると急に、自分が不完全な人間のような劣等感が沸いてきて、なんだか恥かしい気持ちになる。

 先日、がんだ君という、ボクと同じ歳の人の結婚式に呼ばれた。その時に初めて、自分ももう結婚して子どもが居たっておかしくない歳なんだな~、と気づかされた。

 がんだ君の結婚式は、奥さんのたっての希望により、ド派手なもので、来賓の数も多かったが、ボクはその人たちを眺めながら、(ボクの結婚式には、親類はお母さんと弟の2人しか居ないんだな~)なんて事をボンヤリと考えていた。

 母と弟以外の血縁者で、ボクが会ったことのある人と言えば、母方のおじいちゃんと、おばあちゃんのみで、2人の生存中は1年か2年にいっぺんぐらいのペースで、母の気が向いたときにフラフラッと実家に帰省していた。

 おばあちゃんは、細くて、ふしぶしの間接が目立つ体格の人で、性格は面倒見のいいシッカリものといった感じだった。
 ボクは子どもの頃から、どんくさくて割合よくコケていたのだが、そのくせポケットに手を入れたまま歩くクセがあったため、顔を打ちつけて、そのたびに激しく泣いていた。お母さんなんかは、

「だから、ポケットに手入れて歩いちゃダメって、いつも言っているでしょう!!」

 と、コケて泣く子どもの事を、さらにメスゴリラみたいな顔で怒るので、ボクからしてみたら踏んだり蹴ったりの気持ちになり、余計に泣くのだが、おばあちゃんは、ボクが物心ついてから初めて会ったときに、転んで泣くボクのことを、泣きやむまでずっと抱きしめて、あやしてくれたので、それだけでこの人の事を大好きになった。

 おじいちゃんは、今考えれば、少し変わったところがある人だった。この人は孫であるボクと弟に対しても、時々敬語になる事があり、子どもに対する接し方と、大人に対する接し方があまり変わらない人だった。

 すごいのは、子ども相手どころか、犬や猫に対しても気を使い接するような所があって、よくノラ猫がおじいちゃんの愛車のカブに乗っかって昼寝をしていたが、それをどかすのにも、“ゴメンさーい”と言った感じで、申し訳なさそうに手でチョコッと合図をする。そうすると猫のほうも心得たもので、あくびをしながらノラリと去っていくのだ。

 このカブに乗って、たまに競輪場に遊びに行ったりしていたようで、よくスポーツ新聞を眺めながら、レースの予想などをしていた。ボクがその姿をジーッと眺めているのに気づくと、愛想笑いを作るのだが、それがどうにも不器用でぎこちなかった。

 その代わり、本気で笑ったときの、この人の笑顔は素敵で、子どものように笑った。気が向いたときなんかは、ボクと弟と一緒に遊んでくれたが、その時も大人が子どもと遊ぶといった感じではなく、一緒になって真剣に遊んだ。


 がんだ君と知り合ったのも、帰省の時で、地元のガキ大将だった、がんだ君は、初め、田舎の人にありがちな、よその人間に対する嫌悪感を少なからず、ボクらに持っていたようだった。

 ボクと弟が、車が通ることのほとんど無い、のどかな公道を歩いていると、強い風が吹いて、ボクの被っていた帽子が飛ばされた。
 おばあちゃんは、夏の強い日差しを心配して、なぜかボクにだけ、いかにも婦人用といった感じの麦わら帽子を無理やり被せた。
 その、飛ばされた帽子を拾ったのが、がんだ君と地元の子達で、がんだ君が帽子を見て、

「都会モンは、オカマみたいな帽子かぶっとるとね~」

 と言うと、他の子達が一斉に笑った。
 がんだ君がこっちに帽子を渡す素振りを見せるので、ボクが素直に受け取りにいくと、彼は、帽子を友達の方に投げた。その友達が、また帽子を渡す素振りを見せるので、ボクがそちらに行くと、その友達も反対側へ帽子を投げてしまう。
 それを何回もくり返しやられて、ボクがからかわれている内に、またも風が吹いて、がんだ君が投げた帽子はフラフラと不安定に飛んでいってしまった。

 風に飛ばされた帽子は、ツイてないことに、底の深い用水路の中に落ちてしまった。
 すると、がんだ君は、ガキ大将タイプの悪ガキに違いないが、根はやさしく、意外に気の小さい面もあるので、急にしどろもどろになり、素直に「ごめんよ」とは言わないものの、申し訳なさそうにしながら、一生懸命に帽子を拾おうとしだした。

 しばらくの間、四苦八苦しながら帽子に手を伸ばす、がんだ君のことをボクらは見守っていたが、ようやく帽子に手が届いた瞬間、弟はなんと、がんだ君のことを後ろから突き落とした!
 そして、がんだ君の友達たちが、呆気にとられているスキに“ヒヤッヒヤヒヤヒヤヒヤ”と本当にうれしそうに笑いながら走って逃げだした。
 ボクは急いで弟の後を追った。地元の子どもが追いかけて来るかと思ったが、振り向くと、みんな、がんだ君のことを助けだそうと必死で、誰もコッチを追いかけては来なかった。

 翌日、ボクと弟が、おじいちゃんの釣り竿を持ち出して、川に糸を垂らして遊んでいると、がんだ君がやって来た。昨日の事で、なにか言ってくるかと思ったが、意外にも友好的な感じで、

「お前ら、そんなやり方じゃ、絶対に魚ば釣れんばい」

 と口を挟んできた。弟は、

「釣れるさ」

 とムキになって言い返したものの、確かにボクらのやり方はデタラメで、針には餌も付いていない状態だった。
 もっとも、ボクらは始めから魚を釣る気はさほどなく、竿で水面をバシャバシャやったりして遊びたいだけだった。
「もし、そんなんで魚ば釣れたら、オレはお前の言うこと何でも聞いちゃる」
 がんだ君がそう言い終わらない内に、弟の持っていた竿がゆれて、水面をバカでかい魚が跳ねた。魚の背ビレに偶然、針がひっかかっていたが、すぐに外れてしまい、どこかへ消えてしまった。

 魚の姿を確認したのは一瞬だが、黒色でグロテスクで、ボクには自分の背丈よりも大きく見えた。
 ボクと弟はもちろんの事、地元のがんだ君もあんな魚を見たのは初めてらしく、興奮しながら、「なんだありゃ、なんだありゃ」と連呼していた。
 弟が再び魚が引っかかる事を期待して、同じ場所に糸を垂らすが、それを見ていたがんだ君が、イライラしたような口調で、
「そんなんじゃダメばい。オレに貸せ!」
 と、竿を奪い取ろうとする。しかし弟は、
「イヤだ! がんだアッチ行け!」
 と絶対に渡さない素振りを見せる。がんだ君はさらにイラつきながらも、大急ぎでその場を去っていった。


 弟はあの魚のことを、「龍の赤ん坊だ」と言い、何とか釣り上げてやろうと思っているようだ。
 そこへ、さっき走り去っていった、がんだ君が戻ってきた。手には家に帰って取ってきたのであろう竿を持っている。

「お前みたいなよそモンに、この川のヌシば釣らせるわけにはいかんと」
 そう言うと、がんだ君は弟のヨコに糸をたらした。
「がんだ、アッチ行け」
「オレがどこで釣りしようが勝手ばい」
 弟とがんだ君が言い争っている間に、がんだ君の竿に魚が掛かった。龍の赤ん坊とは似ても似つかない小さな川魚だったが、結構長いこと糸を垂らしていて、まだ一匹も釣れていない弟と比べれば、それでも上等だった。

 がんだ君は乱暴に針を外すと、魚を川に投げ返した。そして竿と一緒に持ってきた小さな箱に入れていたミミズを針につけると、再び川に糸を垂らした。
 しばらくするとまた、がんだ君の竿に魚が掛かる。がんだ君は、さっきと同じように魚を川に帰し、針にミミズをつけた。それを見ていた弟がボクに、
「草慈、ミミズ捕まえてこい」
 と命令する。
 ミミズ、あの細長くてヌルヌルのキショいやつ。ボクは不快な表情をしたが、弟は四の五の言わせぬ感じで、

「早くしろ! そうしないとオレたちの龍の赤ん坊が、がんだに釣られるぞ!!」
 と言う。
 ここで、龍の赤ん坊のことを、「オレの」ではなく「オレたちの」と表現する辺りが弟が生まれつき備えた話術の才能とでも言うのだろうか、単純なボクはミミズを捕まえることが自分の役割のように錯覚して、弟に言われるがまま、草むらにミミズを探しに行くことになる。

 野球をやっているときに、勝負の行方がかかった大事な場面で野手が(こっちにボール飛んで来んな)と弱気な気持ちになると、そういう時にかぎって打球が飛んでくる。それと同じようなもので、ボクはミミズを探してはいるものの、内心(気持ち悪いから見つかんなかったらいいな)と、考えていたが、どういう訳かミミズ以上のものを見つけてしまった。

 草むらの中、並のミミズの100倍はある大きさのカラスヘビが、コッチを見ているのに気づいたとき、ボクは頭の中で、こういう時は動かないほうがいいのか、それとも急いで逃げるべきなのか必死に考えていたが、ジッとコッチを見ていたヘビがフッと動いた瞬間、ボクは反射的に逃げだした。

 急いで弟とがんだ君が釣りをしている場所まで戻ると、ボクは2人に、
「ヘビが、ヘビがいたんだ」
 と言った、すると2人は、慌てて逃げてきたボクとは正反対に、ヘビのいた草むらに走って行って、ヘビを捕まえようとしだした。

「草慈どんなヘビだった?」
「きっと、ツチノコばい。ツチノコなら捕まえりゃあ賞金が貰えるとよ」
 草むらの中を、かき分け、かき分け、ヘビを探す2人を尻目に、龍の赤ん坊は川の水面に姿をあらわして、1回だけクルリと旋回すると、再び底へ戻っていってしまった。

 翌日ボクは、クビと肩にナゾのブツブツがいっぱい出来ていた。おじいちゃんが言うには、毛虫の毒に触れたんだと言うことだが、なんにしても痒くて痒くてたまらなかった。
 もだえ苦しむボクをよそに、弟は「がんだと遊んでくる」と出かけていってしまった。

 おばあちゃんが家にあった塗り薬を付けてくれたが、痒みは一向におさまらないので、ボクは昼まえに、おじいちゃんの運転するカブの後ろに乗って病院に行った。
 やはり、塗り薬を付けてもらっただけだが、病院で治療を受けると、またたく間に痒みが治まり、おじいちゃんは元気になったボクを、「なにかお昼でも食べて帰りますか」と昼食につれていった。

 連れて行かれた先は、「青井屋」という競輪場の中にある食堂だった。おじいちゃんはせっかく街中まで出てきたついでに、少し車券に手をだして帰りたかったのだ。
 行きつけらしい食堂で、うどんを頼むと、ボクのことを置いて、小走りで売り場まで車券を買いに行った。

 バンクの見える場所まで行かなくても、食堂の中にあるモニターでレースが観戦できるのだが、ボクは、うどんをすすりながら、発走前の選手を見て、
「赤がいい」
 と、赤いユニホームを着た3番選手のことを言った。おじいちゃんは、自分の買ってきた車券を見ながら、
「赤は買ってないなぁ」
 と、だけつぶやいた。


 レースが終わると、ボクがやま勘で言った3も、おじいちゃんが予想して買った車券も外れて、全然関係ない選手で決まったが、おじいちゃんは、次のレースの販売が始まると、ボクに「何がいいかな」と相談してきた。
 ボクがもう一度「赤がいい」と答えると、おじいちゃんは素直に3番選手を1着に予想して車券を買ってきた。しかし、それもあえなく外れてしまった。けれどもおじいちゃんは別に悔しがるような素振りもまったくなく、ひょうひょうとした感じで、もう一度、
「次は何がいいかな」
 と、たずねてきた。この人は元の性格なのか、歳のせいなのか、ギャンブルといっても、シリアスに勝ちを意識するでなく、実にのんびりと遊んでいる。

 ボクは、もう一度、「赤がいい」と言った。何のことはない、ただ単に子どもの頃好きだった色が赤というだけなのだ。
 おじいちゃんは、また3番を1着にすえて、2着が他の車番全通りという車券を買ってきた。今度はそのうちのひとつが運良く当たった。そこそこの配当金で、まえ2回の外れ分とボクの食べたうどん代、病院の治療費を差し引いても、少し余るぐらいだった。

 この日、家に帰ると、おじいちゃんは、嬉しそうに「この子はギャンブルが強い」と、何度もボクのことを自慢したが、おばあちゃんと、お母さんは、そんなことどうでもいいようで、まるで相手にしてあげなかった、弟だけが、
「いいな、いいな、オレもケイリン行きたい、行きたい」
 と話に乗ってきた。

 この日、一日の間に、弟はがんだ君や他の子ども達とずいぶん仲良くなったようで、翌日の午前中には、がんだ君が弟のことを遊びに誘いに来た。
 どうやら、がんだ君は、ボクの様子がすぐれないのを聞いて知っていたらしくて、お見舞いに実家の仏壇から取ってきたリンゴと、折り紙で作った手裏剣を持ってきてくれた。

 病院でもらった薬が効いて、すでにこの時にはボクの体調はずいぶん良かったのだが、こんな風に気を使ってもらうと、せっかくの善意に申し訳ないので、もう一日寝込んでいようかなどと訳の分からないことを考えたりしたが、弟が、
「もう、治った」
 と、ボクの手を引き表へ連れ出した。


 がんだ君も弟も、もう龍の赤ん坊のことなど、すっかりどうでもよくなっているらしくて、この日は川には行かず、ボールとバットの代わりに、石コロと木の枝を使ってやる、原始人野球をやって遊んだり、洞くつを探検したりして遊んだ。

 お昼になるとがんだ君の家にお邪魔して、昼食にチラシ寿司をご馳走になった。
 がんだ君ちの居間には折り紙が何枚か出しっぱなしにしてあって、がんだ君はゴハンを食べたあと、それで器用にツルを折って見せてくれた。
 ボクも真似して折ってみようとするが、元来、不器用なので上手くいかない。

 がんだ君はそれを見て、一から順に折り方を教えてくれるのだが、ボクはそれでも出来ない。するとがんだ君は出来るまで何度でも、繰り返し折り方を教えてくれた。
 ボクの中でがんだ君は、ただの悪ガキではなく、親分肌のガキ大将といったイメージがあるのだが、それは、こういった面倒見の良さが関係しているのだろう。

 小一時間ほどかかって、ようやく、なんとかツルに見えなくもないモノを折りあげることが出来た。その日、がんだ君は、
「もっと、上手く折れるようになるために、練習しとけ」
 と、折り紙をいっぱいくれた。


 ボクは家に帰るなり、がんだ君ちで折ったツルをおばあちゃんにあげた。おばあちゃんは不恰好なツルをとても喜んで貰ってくれたので、ボクは調子にのってがんだ君に貰った折り紙を使い、もう一つツルを折ろうとした。

 しかし、途中から、どうにも折り方を思い出せない。四苦八苦したあと、おばあちゃんに、
「折り方おしえて~ん」
 と、すがったが、おばあちゃんもどうやら、折り紙が苦手らしく、いちおう一緒にあれこれやってくれるものの、なかなか上手く出来ない。

 20分ぐらいかけて、なんとか完成させたツルは、変にずんぐりとした体格で、上手いヘタということ以前に、なんだか根本が間違っている感じがした。
 不服そうなボクの表情を見てとったのだろう、おばあちゃんは、
「草慈、これは、あれなんよ……。伝説の鳥! ファルコンなんよ」
 と、真顔で言い訳した。

 この時の帰省は、5日ほどで終わったが、帰るときに、ボクらは早朝に家を出て駅に向かったので、最後にがんだ君と会う機会がなかった。
 おじいちゃんと、おばあちゃんは駅まで見送りに来てくれたが、ボクが電車に乗り走り出すと、さっきまで近くにいた2人が、どんどん遠くなり、もう手も触れられない、声もとどかない、やがて姿も見えないほど離れてしまった。
 ボクはこの時、はじめてお別れとはどういうものか理解して、電車のなかで泣いた。


 ボクらが帰った日の午前中に、がんだ君がボクらのことを遊びに誘いにやって来たが、おばあちゃんがボクらの帰ったことを告げると、彼は、しばらくショックを受けたように立ち尽くしていたらしい。

 おばあちゃんが、せっかく来たのだからとお茶を勧めると、がんだ君は、「いらん!」と怒ったような口調でいい、帰って行ったそうだ。
 それから、しばらくして、がんだ君から手紙が来た。
 ボクと弟は、当時まだ字が読めなかったので、お母さんに、「読んで」とお願いしたが、幼いがんだ君の書く文字は、あまりにも破天荒で、お母さんは手紙を見るなり、
「これは、日本語じゃない」
 と、言いきり、ボクらに突き返した。


 
 その後、ボクが16歳の時に、おじいちゃんが死に、翌年には、おばあちゃんも死んでしまった。
 おじいちゃんが死んだときに、ボクは、せつなくて、たまらなく寂しかったが、それでも昔、電車の窓から遠ざかって行く、おじいちゃんと、おばあちゃんの姿を見たときに感じたお別れの悲しさと、死んでしまったおじいちゃんとの、本当のさよならの悲しさの違いが分からず、そのことに戸惑いを感じた。

 1年後に、おばあちゃんが死んだときには、悲しい感情以外に、なんというか…… おじいちゃんの時と比べて、慣れた感じがして、それがたまらなく嫌で、自己嫌悪に陥った。

 葬儀の後、おばあちゃんの遺品の中にボクが昔、がんだ君に教えてもらいながら折った、ヘタクソなツルが、まるで宝物のように大切に仕まってあるのを見つけたときになって、ようやくボクは、自分の一部のような大切な人を失ったんだなと気づいて、涙がながれてきた。

 おばあちゃんの葬儀のときを最後に、ボクらは実家のあった田舎に行くことがなくなってしまったので、それ以後、がんだ君とも直接会うこともなかった。
 けれども、がんだ君は意外にも? 筆まめなところがあり、毎年、年賀状をかかさずに送ってくれるので、なんとかまったくの音信不通になることはなかった。

 年賀状の返事もロクに書かないボクのところへ、がんだ君から結婚式の招待状が届いたときには、正直、出席していいものかどうかためらったが、招待状に手書きで、“ひさしぶりに会いたいので、緒川君もぜひ出席してください”と、書き添えてくれていたので、行く気になった。


 披露宴のあと、ボクがボンヤリと、会場になったホテルのシンボルマークである、赤いツルを眺めながら、おじいちゃんと、おばあちゃんの事を思い出し、少しさみしい気持ちになっていると、横から、

「草慈! 草慈!」
 と声をかけられた。
 そこには、今日の主役である、がんだ君と奥さんが立っていた。

「やっぱり、草慈だ! 唇の感じが昔と全然変わらないな!!」
 がんだ君は、長いこと会っていなかったことなど、微塵も感じさせない親しみを込めて、ボクに抱きついてきた。
 そして、奥さんのことを紹介したあと、耳元でコッソリと、
「実は妊娠してるんだ」
 と、教えてくれた。
 ボクが思わず、奥さんのお腹に目をやると、奥さんはテレくさそうに笑ったが、その笑顔は、もうすでに母親の慈愛を身につけているかのような優しい顔だった。

 ボクは、それを見て、家族っていうのは減るだけじゃなくて、こうやって増えてもいくもんなんだな、というあたりまえの事に気がついて、あたたかい気持ちになった。



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