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バックパッカーズ・ゲストハウス(61)「始発を待つ間に」

前回のあらすじ:生活リズムや価値観の違いから、住民間に不穏な空気が漂いだしたゲストハウス内で、「ボヤ騒ぎ」と、「扉前に人糞が落ちている」という事件が立て続けにおこった。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2

 会話はクソから、ヨシノブがソバ屋でオーダーを受けるときに使う端末の操作が難しいという話題にすぐに切り替わった。その話を聞いている内に、誰かから、「クソが落ちている」と通報を受けた中谷とビギンが階下から上がってきて、モノを確認すると、

「うわっ」という声をあげて顔をしかめた。

 その姿を見て、それが正常な人間の反応なんだと気づき、私はクソからいくらも離れてないところに腰掛け、世間話をしている自分とヨシノブは感性を失っているように思った。

 ボヤ騒ぎ同様、クソ騒ぎも犯人は分からずじまいだったが、更にその後に起こった、四階の扉にはめられたガラス窓を割った犯人はハッキリとしていた。

 フロか洗濯機を回すか、なにかの用事で私が五階まで上がると、仰木がニキの手にガーゼを当てて処置していた。それで、途中四階のガラスが割れていた理由を知った。
 夜、十一時十二時を過ぎても騒がしい連中を注意したニキが、それでも収まらない騒音にイラついて窓を殴り割ってしまったのだ。
 リビングに貼られた、「忍」という文字を書いたニキが、その性格ゆえに溜めすぎた我慢をぶつけてしまった。

 人の良いニキは、この一件をバイトと勉強で根を詰めすぎてストレスを溜めていた自分が悪いと反省し、それ以来、意識して息抜きをするようになった。
 私も何度か遊びに誘われて、上野に飲みに行ったり、池袋にある、ニキの友達が住んでいるというゲストハウスへ一緒に行ったりした。

 池袋にも、押し入れを二段ベッド代わりに貸している物件だけでなく、まともなゲストハウスがあった。ニキの友達が住むゲストハウスは、ちゃんと家電が一通り揃っているだけでなく、リビングには散髪屋レベルに漫画本が並べられ、テレビもあり、簡易的だがダーツまで出来た。ただ、家賃は秋葉原より二万高かった。

 そこで明け方まで過ごし、私とニキは始発で帰ろうと池袋の駅へ向った。構内に入ってから、始発が出るまでまだ十五分もあると知り、タバコを吸いに外へ出ようとニキに誘われた。切符を買ったあとでも一旦外に出られると知らなかった私に、ニキは、「大丈夫」と笑った。

 ニキは池袋駅前の喫煙所でタバコを吸いながら、駅ビルを指し、
「むかしここの上から若い女が飛び降りた」と空が白むなか教えてくれた。そして、どういう脈略か、
「太郎さん。今日は貴重な時間をありがとう」と朝まで付き合った私に対して、礼を言った。


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