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イギリス支配時代・カイロのイギリス人たち


エジプトの輪舞(ロンド)」でちょっと登場したイギリス人たちです。
キャラが全員濃いので、小説スルーでもよければこの紹介だけでも一読してみてください✨

§アングロ・エジプト(イギリス支配時代のエジプト)期間:1882年〜1956年


アレクサンドリア港じゃないかと思います。エジプトに上陸したランプソン

エジプト国王より権力のあるマイルズ・ランプソン(キラーン男爵)イギリス大使

 小説の上巻で登場するエジプトのファルーク国王の“敵”です。(下巻では若き青年将校・革命家ナセルが新たなファルーク国王の敵)
 ランプソンは日本駐在し中国へ異動。その後カイロにやって来て13年間もエジプトを君臨します。第二次大戦が終わった後、今度は日本軍の後始末のためシンガポールへ移ります。
 身長は2メートルもあったそうで(日本駐在時代も巨人でさぞかし目立っていたことでしょう)、定番の装いはグレーのフロックコート。確かにどの写真を見てもその格好をしています。そしてあちこちで(16歳で即位した)エジプト国王ファルークのことを「BOY,BOY」と呼んで軽んじて悪口を言っていました。

  マイルズ・ランプソンは分厚い自伝も出しています。さすがに私はそこまでは手を出しませんでしたが、エジプト時代はまさに
「エジプト国王よりも権力を持つ最強の男」
だったのは間違いないようです。
 なお、ランプソンの話を私の知り合いの約百歳の老婦人(代官山生まれ、満州育ち、下北沢駅前に17歳で美容室開業)にしました。するとこの方いわく
「征服者はふんぞり返って威張っているものです、なぜなら征服者だからです」。
 ぐうの音も出ません。

エジプトのファルーク国王がナチス・ドイツに近づくのを阻止したことを評価され、ランプソンは「男爵」の爵位を授与されます。ちなみに私の友人のご主人(日本人)もイギリスでナイトの肩書をいただいていました。功績があると外国人もわりともらえるんですね。
いつも赤いトルコ帽(エジプトの正装)を被っていたイギリス人カイロ警察署長。多分、若い時はイケメン。

トーマス・ラッセル らくだ🐪警備隊を結成したカイロ警察署長

 アングロ・エジプト時代、エジプト人に人気のあった数少ないイギリス人の一人で、レワ(少将)の階級とパシャの称号を持つイギリス人カイロ警察署長です。パシャはイギリスでいうところの「ナイト」の称号です。(1953年にはエジプトではパシャの肩書は廃止)
 当時はエジプトではどの機関のトップもイギリス人で、鉄道も駅長はみんなイギリス人でした。

 ラッセルのエジプトでの功績は
1(エジプトは感染症の歴史の国でもあるのですが)ペストやコレラが流行する度に冷静に対処し被害をおさえた。
2カイロ警察内でラクダ🐪部隊を結成、ベドウィンの襲撃を何度もおさえた。
3 大規模な反イギリス暴動(1919年3月)が勃発すると、ラッセルは武力行使による押さえつけを選ばず、オープンカーや徒歩で集団を先導。それがあまりにも毅然とし見事な統率力だったため、激しかった暴動が沈静化してマナーにかなった整然とする普通のデモ行進に変わった。
4(当時エジプトで広がっていた麻薬に対処するため)エジプト中央麻薬情報局を設立。(1929年)

 なお麻薬ルートはスイス、フランス、ブルガリア、トルコ、ギリシャ⇒エジプトと突き止めます。シルクロードならぬ麻薬ロードです。それにしてもスイス…エーデルワイスではなくまさかの麻薬ロード。
 ラッセルがカイロ警察署長時代は警察には規律があり、緊張感がありました。エジプト政府から感謝と評価を受け、パシャの称号を授けられたのも納得です。
 この人は第二次大戦が終わった後エジプトを去りますが、前述のランプソン英大使とラッセル・カイロ警察署長がいなくなった後にエジプトは大きく動きました。

スエズ戦争の時には莫大な財産全てエジプト新政府に没収されたグレッグ

ツタンカーメンの秘宝を守ったロバート・グレッグ、米国人妻は大金持ち


 ギザ市のナイル川ほとりの見事な屋敷に住んでいたグレッグの妻はアメリカ人の超資産家の娘で大金持ちでした。
 二人はエジプトで発掘品を集め、自宅をエジプト遺跡博物館にしていました。当時は英仏が骨董美術品保護局だったので、発掘品は好き放題でした。  宗主国がその国(植民地国)の歴史的遺産を勝手にどうとでもできるという、今なら大問題のシステムです。

 ツタンカーメン王墓が発見された時、その墓の中身は各国の博物館などにばらばらで売り飛ばされそうになったのですが、グレッグがそれを救いました。彼の素晴らしいエジプトコレクションはケンブリッジのフィッツウィリアム博物館 に全て展示されています。

 スエズ動乱(スエズ戦争、第二次中東戦争)の時にはエジプト新政権に全財産没収されますが、のちに補償金だけはおりて、その全額もケンブリッジの博物館に寄付されました。
 なぜエジプト考古学博物館を選ばなかったというのは、もしかして骨董品管理の仕方に不安があったのかもしれない、ケンブリッジのフィッツウィリアム博物館の方が安心だったのだろう、とエジプト人の掃除のオバちゃんたちが汚い雑巾でがさつに数千年前のラムセス2世の像などをごしごし拭いている場面をさんざん目撃した私はそう思っています。

「ローストビーフのおかわりよこせ」と母親を彫刻刀で刺した四歳時代…バーバラ

ファルーク国王の愛人の一人、バーバラ・スケルトン。彫刻刀で母親を刺した四歳時代

 バーバラ・スケルトンは数多くいた(エジの最後の)ファルーク国王の愛人の一人でした。彼女はまだ23歳の若さでカイロのイギリス大使館に暗号諜報員として採用されます。
 夜遊びが好きな発展家だったこともあり、イギリス人軍人にもてまくりますが、
「カイロのイギリス人男はみんなつまらない、カイロの男全員に飽きた」と、まるでピンクレディーの「地球の男にあきた」です、退屈します。
 
 そんな時ギザのあるナイトクラブに行き、誰かにパンを投げつけ怒鳴ってわめいて騒いでいるファルークを見かけます。普通の女性ならドン引きしますが、バーバラさんは「まあ素敵♡」とゾクゾクきゅんきゅんし、ファルークを気に入ります。
 こうして女を見る目のない男(ファルーク)と男を見る目のない女(バーバラ)は出逢い、すぐにお互い恋に落ちます。

 その後バーバラはすぐにアブディーン宮殿のファルークの寝室に寝泊まりするようになり(エジプト国民にはアブディーン宮殿は「売春宿宮殿」と悪口を言われていました)、
 二人の関係は
「バーバラの小娘がファルークにイギリスの情報を横流ししている」
と疑ったマイルズ・ランプソン英大使にアテネのイギリス大使館に異動させられる翌年まで続きます。

 ちなみにバーバラの生い立ちそのものが強烈です。
「お父さんは陸軍少尉だったけれど、出世コースから外れ大した男ではなかった、お母さんはロンドンの演劇舞台に立っており美人だったけど金目当てだけでお父さんと結婚した。だめな夫婦だった」
 彼女は自伝で親の悪口を書きまくっています。

 自伝によると少女時代、バーバラはお母さんがピアノを弾くと「うるさい、うるさい」と叫び暴れ、夕食でローストビーフのおかわりをし「もうありません」と断わられると、お母さんを彫刻刀で刺します。
 乳母車に乗っている妹が憎たらしく、悲鳴を上げてもバーバラは赤ん坊の妹をつねり続け苛めまくります。公園に行くとあひるの赤ちゃんを盗み、警察官に捕まります。バーバラ四歳ですが、保護や補導ではなく逮捕です。
 妹の乳母のアイルランド人女性が台所にいると、突然背後から殴りかかります。まさに葉子をいじめたたまみ姉さんそのものです。(楳図かずお「赤んぼ少女」)

 両親は手を焼いて、バーバラを修道院に預けます。しかしそこでは修道女のトーストパンを盗み食いをし、聖体拝領のワインで酔っ払うのも好きで、同室の女の子にレイプまがいのことをしでかします。まだ10歳にもなっていません。

 当然、修道院を追い出され今度はロンドンの別の修道院学校に転校します。バス通学だったのですがそのバス代を映画館に回し、学校をサボってはグレタ・ガルボの映画ばかり見に行きます。
 妹も修道院学校に入ると、妹のバス代を全部横取りし「歩いて学校まで行け」と妹のバス代で自分のショッピングを楽しみます。実際妹はバス代がないので、遠距離徒歩通学を強いられます。親に言うこともできません。お姉ちゃんの復讐が怖いからです。
 そして自伝を読んでも、さんざん妹を虐めたことの反省が見受けられず、むしろ「うふふ。あたしはお茶目な小娘だったのよ」というような書き方です。

 思春期になるとバーバラは頬にルージュを塗り、母親のピンセットで眉毛を抜くようになり、髪を明るくするためにカモミールの花で髪を洗い洒落っ気がつきます。それだけならまだしも、異性不純交際もするようになり修道女にそれが見つかり退学させられます。

 その後アシュフォード寄宿学校に入りますが、両親はバーバラにうんざりしていたので夏休みに入ると娘を親戚の家に預けます(押し付けます)。叔母のヴェラはバーバラ(15)が不憫だと思っており、いつも彼女を歓迎して優しくしてあげました。
 しかしバーバラはヴェラおばさんの家に居候中、おばさんの夫、アルメニア人の若くてハンサムな夫に目をつけモーションをかけます。そしてついに
「ヴェラおばさんの旦那さんにレイプされた」
とわめきます。
 結局ヴェラおばさんは夫と離婚し、その後誰とも再婚せず複雑な人生を歩むのですが、流石にもう悪魔のような姪っ子バーバラを預かりません。

 次の長期休みに入ると、バーバラは別の叔母さんのナンシーの家に行くようになります。
 ナンシー叔母さんは厳しい人で、「ジェーン・エア」の小説でさえ「不道徳だ」と言い読むのを禁止にしました。あの本の中身のどのあたりは不道徳なのか全く私には思い出せないのですが、それはさておき、くさくさしたバーバラはこそこそワインを飲むのが憂さ晴らし、色男の従兄といい仲になります。さらに父親の友人とも性的関係を持ち身ごもり中絶をします。「ロリータ」も「ナオミ」も可愛く思えてきます。

 その後、結局15で学業から離れロンドンで自立し、郵便配達員や鶏肉配達員らの男性たちの「ファン」に支えられ(原書でファンと書いてありましたが、恐らく「援交」)、トントン拍子で出世し(数学が得意で頭は良かった模様)、(多分男を利用し)カイロのイギリス大使館に採用されます。

 そしてファルーク国王と出逢いアブディーン宮殿にも出入りするようになり、アテネに飛ばされてからも(しょっちゅうヨーロッパに遊びに来る)ファルークとはその後もしばらく関係が続き、バーバラはイギリス人男性と結婚した時に、なんとファルークに新婚旅行のヨーロッパ周遊代をせびります。ファルークは断りますが、バーバラの夫は「チッ」と舌打ちしたそうです。なんだか分からない人たちです。

「もう泣かないで」というタイトルですが、妹はこれを見てどう思ったのでしょう。
結婚したイギリス人夫との写真ですが、ファルーク国王といいきっと彼女デ、、、じゃなくて恰幅のいい男性が好きだったのでしょう。


 バーバラは各国に移り住み、結婚生活も順調で(確か二回結婚したはず)、晩年は回想録など何冊も書き安泰な日々を送ったようです。生前のインタビュー映像を見ても、普通の上品で楽しい素敵な婦人で驚きましたが、そういうものなのでしょう。

エジプト王妃に手を出した?

エジプト王妃と不倫?カイロの社交界でモテモテだった画家のサイモン・エルウェス

 エルウェスは39歳でぎりぎり徴兵にひっかかってしまい、第二次大戦最中のエジプトにやって来ます。
 しかし本職が画家なので戦争画家の肩書をもらい、戦場でのスケッチなどをするようになります。だけどもどの絵も上品で優しい、戦の絵なのに。
 それに気づいた上官が自身の肖像画を依頼します。するとこれまた見事で評判を呼びます。その後たちまちイギリス人やエジプトの特権階級の夫人たちから次々に「私の肖像画も描いて」とオファーが舞い込みました。
 なぜなら彼が描く女性はどれも柔らかく美しい、顔も実物より美人に描いてくれる…。その上エルウェスがイケメンだったからです。

確かに繊細なタッチです

 カイロの上流階級やイギリス人社会で人気を博したエルウェスは、そのうち「エジプト王妃の肖像画を手掛けたい」と思い始めます。その希望は実現するのですが、王妃のファリダとエルウェスの「不倫」関係が取り沙汰されます。
 実際はどうだったのか…。結局もちろん二人は物理的に引き離されますが、その後どこかヨーロッパで再会しなかったのか?ちょっと気になります。またなおエルウェスの描いたファリダ王妃の肖像画の存在はどうしても出てこず、エジプト革命の時に燃やされたのかもしれないと思っています。


 以上、小説に一瞬登場した人々です。アングロエジプト時代のイギリス人は皆キャラが濃く、本当はもっと書きたかったのですがそれだと話が進まない上、メインの登場人物らが霞むと思い我慢しました。ここで書けて良かったです。

私もやったことがあります、ピラミッドの上でピクニック。(ラマダーン明けの祭日などの時は、ピラミッド登山開放していました)


「エジプトの輪舞」(上下巻)の全面サポート(表紙デザイン、中の地図や王位図作成ならびに全面的な助言)のけんいち氏が本書ご購入者対象に特典を考えて下さいました。ありがたい🙏

エジプトの輪舞あらすじ:
 1920年、カイロ。時はイギリス支配時代。エジプト最後のファラオ(国王)ファルークが誕生。その11年後、カイロの下町のイタリア人&クリスチャン地区にクリスチャンのラミが誕生。ラミは「昔のファルーク様にそっくり」と言われながら育つ。
 ファルークは16歳の時に父親を亡くし、即位する。その若さでエジプト一の財産を一気に相続し、エジプト一の権力を所有する。しかし時代はまだイギリス支配時代。その上イギリスが参戦した第二次大戦にエジプトも巻き込まれる。
 ファルークは戦争を利用し、どうにかイギリス支配から離れよう、ヒトラー総督に助けてもらおうとあれこれ画策。かたやラミ少年はアレクサンドリアに引っ越しており、アレクサンドリア大空襲に怯え飢えにも苦しむ。しかしそんな最中、徴兵でやって来たイギリス人のマーク青年に出逢う。
 戦争が終わり、今度はイスラエル建国&パレスチナ戦争が勃発し、これが間接的な引き金でファルーク国王の廃位へ繋がる、、、。
 ポイントは、廃位された後のファルークの「その後」、日本では知られていないエジプト新政権と元王妃とファルークの子どもたちとの秘話、そして支配者側のイギリス人マークとされる側のラミの関係です。
 ちょいちょい修正ばかりしていますが(日本語がこれだけ自分が不自由だったことに猛烈に反省)、長年あたため相当な文献を読んで、ファルークの性格もかなり色々な角度で研究しました。
 それに私自身に実在した王家の末裔、パシャの末裔そしてイギリス人退役軍人らと交流があったことが役立ちました。あくまでも「小説」ですが、ぎりぎり史実に迫っています。
 



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