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俺と一獲千金狙おうぜ! エジプト人の野望

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「俺と一獲千金、狙わないか? 一緒に一儲けしようぜ」

エジプト在住中、エジプト人にやたらと誘われたのが、一発金儲け。

親しくもないのに、やたらとビジネスを誘われた。一番多かったのが、植物の茎の繊維で作ったパピルスの紙を日本で売りさばこう、というオファーだ。

いやいや、日本は紙じゃなくてとっくにパソコンの時代だし、と私は即却下していたが、パピルスの紙で億万長者になれると思う発想が大したものだ。思考経路が違う。


次に多かったのが、旅行会社を開こう、という誘いだった。エジプトで旅行会社を設立し、日本人の私が東京に支社を構えJTB、近畿ツーリスト、阪急旅行などとごっそり契約する、と。

なかなかナメきった計画だな、と私は全て断った。それでもしつこいエジプト人には、東京の借事務所の平均的家賃の金額を教えた。全員、びっくりして黙った...

すでに日本人相手の旅行会社はいくつもあったので、新規参入自体ありえない、無理だろうと私は思っていた。

だけどその後、バヒさんという、旅行会社のスタッフをしていたエジプト人男性が独立して自身の旅行会社をオープン。

痒いところに手が届く、という日本人好みのサービスに特化し、日本の大手旅行会社の契約をほぼ独占し、大大成功を収めた。いやあ、凄いなあと心底驚いたものだ。


その次に「一緒に金を稼ごうぜ」誘いで多かったのは、日本車の中古車ビジネス。

実際に日本車の中古車をエジプトで販売し、大金持ちになったという噂のエジプト人が存在したため、「俺も、俺も!」言い出すエジプト人が続出したのだ。

ちなみに大金持ちになったエジプト人のやり方はこうだったそうだ;

日本の中古車(廃車)を船で関税フリーのドバイに一旦運ぶ。次に車をケニアに持って行き、ケニアで右ハンドルを左ハンドルに変える。そしてエジプトに移送し売りさばく。

ぽんぽん、ドバイとかケニアとか思い浮かぶあたりが、大したものだ、当時はまだドバイなど知名度が低かったので。


また、ザマレック地区のフラット(アパート)に住んでいた時のことだった。

お向かいの部屋に住む、シングルマザーのエジプト人の女性が突然、うちの玄関の呼び鈴を押して訪ねてきた。

私がドアを開けると、そのエジプト人女性は、笑顔で自己紹介をしてきた。

「エジプト航空国際線のCAをしていて、日本には定期的に飛んでいるのよ。だからあなたに一回、ちゃんと挨拶したくて」とニコニコ。

感じのよい女性だな、と思ったが一通り雑談したあと、案の定出た! いつもの「一緒にビジネスしてリッチになりましょう!」と誘われた、シングルマザーのCAよ、YOUまでもか!

当時のエジプト航空日本行きの路線は、カイロ-バンコク-マニラ(マニラに停まらないこともあったけど)-成田だった。

お向かいに住むCAさんいわく、日本でノリタケの食器を買い込み、マニラで冷凍海老を買い込み、それらをバンコクとカイロで業者に売るアルバイトをしているという。

いろいろツッコミ満載過ぎたが(国営航空会社のCAがアルバイトとか、冷凍海老買い付けとか)、他国のトランジットをなんて有効に使っているのだろう!とまあある意味尊敬だ!

彼女のやっていることは明らかに違反行為だったので、巻き込まれたくないと私は断ったが、その後もしつこく、何度も玄関の扉のベルを鳴らされたものだ。

毎回、日本で買ったという海苔や化粧品などを腕に抱えており、「エジプトの日本社会で売りさばきましょう!」とお願いされた。(一回も引き受けなかったけど)


とはいえ私自身が仕事で一時、日本とエジプト往来が多かった時、ビジネスとまでいかない、人に頼まれ買い付けをし、プチ成功したものがある。

日本の縮毛矯正剤だ。

エジプト人女性は基本的にほぼ全員、天然パーマだ。だからないものねだりなのかな、さらさらとしたストレートヘアーに憧れる女性が多かった。

美しいストレートヘアーと白い肌イコール美人、という定義だった。

しかしエジプトの縮毛矯正剤はクオリティーが悪いものばかりだった。また美容院でストパーをかけると、熱したアイロンでジリッと髪の毛を焼くので、逆に髪が傷んだ。

それを知った私は、「メイドインジャパンの縮毛矯正剤なら優秀にちがいない!」と思い立った。

案の定、私が持ち込んだ日本製のものは素晴らしかった、エジプト人の頑固な天然パーマを見事に美しいストレートにし、しかもストレートヘアーの状態を長持ちさせた。

エジプト人女性はみんな驚き、目を輝かした。だれもかもが日本製の縮毛矯正剤を喉から手が出るほど欲しがったが、問題が値段...

日本で買い付けをすると一本数千円。さらにエジプトに持ち込むのに結構な高額関税がかかる。(前述したエジプト航空のエジプト人シングルマザーCAは、おそらく税関がフリーパスだったのか、それとも賄賂やコネでスルーしていたと思う)

よって物価が安いエジプトで、高額過ぎる日本製の縮毛矯正剤を売るのはなかなか厳しく、やむを得ず断念。


もうひとつ、エジプト人に喜ばれたのは日本製のゴキブリ駆除剤だ。

エジプトもゴキブリが多い。しかも大きい、日本のゴキブリより大きい!

最初、ゴキブリ多発に頭を悩ませていた、ナイル川クルーズの船長に、ゴキブリコンバットを無料で差し上げた。

すると一週間後に、カイロの私に電話がかかってきた。

「ローローさん(私)!ゴキブリコンバットはミラクルです、最高です!

あっという間にゴキブリがいなくなったんです、信じられません!買うのでもっとください!」。船長、鼻息が荒く興奮していた。

よし、ゴキブリコンバットでお小遣い稼ぎをしよう!しめしめと思った。

でもそんな矢先、チェコ人たちが乗っていたナイル川クルーズがテロリストに襲撃され、クルーズツアー全体が駄目になってしまった。

それでゴキブリコンバット売り付けまくろう作戦は消えてしまった。

しかしすでに蚊取り線香で大金持ちになった日本人はいた。

カイロの街中の看板広告やテレビコマーシャルでもやたらとお目にかかった『KITO』という蚊取り線香。

キトウさんという日本人が蚊取り線香会社をエジプトに作り、大成功しエジプトドリームを実現させた、というもっぱらの触れ込みだった。

エジプトも蚊が多かった上、電気が通っていない村や停電が多い村では蚊取り線香大活躍だ。日本の金鳥蚊取り線香に比べるとイマイチではあったが、それでもKITO蚊取り線香もなかなか蚊避け効果があった。


キトウさんのほかに、エジプトで成功した日本人はサニースーパーのオーナーだった。サニースーパーマーケットは、富裕層の外国人や日本人駐在員が住んでいたザマレック地区にあった。

ちなみに、当時のエジプトにはいわゆるスーパーマーケットというものがサニー以外には皆無だった。

ローカルな個人商店しかなく、どの店でもこれがなかなか厄介で基本的に売り物(食材)を勝手に手に取ってはならなかった。(おそらく万引き防止)

どの食材にも値札がない上、店員に「玉子四つくれ」「パン一斤買いたい」「玉ねぎ1kg取って」など伝えないと、何も買い物できなかった。大変だし面倒くさい。

そもそも英語が通じないのが常だったので、

必死に「にんじんはアラビア語でなんていうんだ?電池はなんているんだろう。半kg欲しい、っていうのはなんていえばいいのかな」

など事前にアラビア語での買い物練習しておかねば、食材の買い物が出来ず自炊もままならなかった。

しかし、サニースーパーでは、ちゃんとすべての食品に値札があり、レジに買い物カゴを持っていけばオートマチックに買い物できた。しかも日本食の食材だけでなく世界中の食品も売られていた。


サニースーパーで目撃した中で忘れられないのが、太ったアメリカ人女性がフリーズして膝を床につき、顔を真っ赤にしている場面だ。

アメリカ女性の目の前の棚には、ホットケーキミックスが陳列されてあった。

「ホットケーキミックスが売っている!ホットケーキミックスが買える!ホットケーキを買える!」。

その太ったアメリカ人オバチャンは、本気で泣き崩れかかっていた。

しかし横で私は冷ややかだった。

アメリカ人よ、そんなにホットケーキが好きなのか!とドン引きだ。が、その直後、隣の列の棚に目をやると...

かっぱえびせんがある!!

いつもの、韓国製のなんちゃってかっぱえびせんじゃなく、正真正銘の日本の、本物のかっぱえびせんだ!

心臓が止まりそうになった、びっくりして嬉しくて息まで荒くなってしまった。なので今度は私がかっぱえびせんの棚の前で泣き崩れかかった...


サニースーパーの規模はとても小さかったが、日本人オーナーなので、陳列も上手で見やすく綺麗で、またこのスーパーの掲示板は在カイロの外国人たちの情報収集に非常に役立っていた。

ルームメイト募集、とかエジプトを引き揚げるので不要品のバザーを行います、とか英語をしゃべるフィリピン人のお手伝いさん募集とかよく貼ってあった。

そして、外国人はみんな洋楽のカセットテープもこのスーパーで買っていた。他ではなかなか買えなかったなあ、マライアもマイケルのカセットテープも。(海賊版だったけども)


このように、サニースーパーでは、日本人のみならず外国人たちにとって、恋しいものに出会えるカイロのオアシス的存在スポットだった。

その後、欧米型の巨大インターナショナルスーパーはいくつも登場したが、

一番みんな(在カイロの外国人全員)に愛され、記憶に残っているのはこの日本人によるサニースーパーだろう。

なのでサニースーパーの経営者も、エジプトで成功した日本人のひとりだったにちがいない。あとは忘れてはなならないのは、エジプト考古学者の吉村作治だろうな。

かたや、日本で、または日本人とビジネスをして大成功したエジプト人...ウ~ン、いるんだろうけど結局私の周りには皆無だった。

あれだけ大勢のエジプト人に「一緒に一儲けしようや」誘われまくっていたのだけどネ...

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