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20060107 初夢(2)

 初夢$${^{*1}}$$は「一月二日に見る夢」といわれる根拠について書いた。そのことで知人と話していたら、知人が少し勘違いをしていたことが判った。結局、記事が判りにくいということなので、もう一度整理して書く。

 あの記事で言いたかったことは「江戸時代の暦でいう『一月二日の夜』は、現代で言えば『一月一日の夜』のことなので、初夢は今も昔も元旦の日没から二日の日出までに見る夢を指す」ということだ。昔の風習を踏襲するならば、「現代の暦では一月一日」の夜に見る夢となる。

 現代では一日が真夜中から始まるので、「その日の夜」というのは、理屈からすると「0時から日出まで」と「日没から24時まで」とに分かれている。そこで江戸時代の『一月二日の夜』を現代風の「一月二日の『0時から日出まで』」と解釈するのは、見当違いである。更に「一月二日の日没から一月三日の日出までに見る夢」と解釈するのは論外だ。初夢は今も昔も「元旦の日没から二日の日出(江戸時代はこの時間帯に日付は切り替わらない)にかけて見る夢」である。この時間帯を江戸時代は「一月二日の夜」と称していた。その理由は一日の始まりは日没から、という考え方だったからである。

 まぁ、こうやって考えると「初夢一月二日説」「一日の始まりは日没から説$${^{*2}}$$」が上手く整合が取れてすっきりする。ただそれだけで、本当のところは判らない。

 気になるのは、江戸時代の時刻制度$${^{*3}}$$である。23時から1時が「子」なので、起点が真夜中になっている。時刻の起点が真夜中で、一日の起点が日没というのは、何となくしっくり来ない。江戸時代では冬と夏では時刻の間隔が変化した$${^{*4}}$$ので、日没を時刻の起点とすると何かと不便$${^{*5}}$$だろう。そこで年間を通して殆ど不動である南中時刻$${^{*6}}$$の対極となっている真夜中を時刻の起点としたのかも知れない。南中時刻を起点としなかったのはやはり「一日は夜から始まる」という意識があったからだろう。

*1 20060102 初夢
*2 20000817 一日の始まり
*3 江戸時代の時刻について
*4 江戸時代の時刻制度
*5 20050823 サザエ車
*6 20001201 太陽の動き

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