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20070127 遺構探訪(6)

 久々に本業である「遺構探訪$${^{*1}}$$」に出かけた。行き先は三年程前に探索した三河湾に浮かぶ篠島$${^{*2}}$$である。今回もネーモン氏$${^{*3}}$$との合同調査である。この調査の話は去年の九月の会合$${^{*4}}$$の際に決まった。

 ネーモン氏の発案で私の知人を誘うことになった。とは言え、周りに遺構探訪に興味を持つ知人がなかなかいない。しかも今回は一泊での調査活動となった。こんな話に乗ってくる知人は皆無である。去年の七月に遺構探訪のリンク集$${^{*5}}$$に加えたサイト「underZero$${^{*6}}$$」の管理人はっとし_ぜろ$${^{*7}}$$氏に声を掛けてみた。はっとし_ぜろ氏は愛知県周辺だけではなく父島の戦争遺跡などの情報を積極的に発信している$${^{*8}}$$。はっとし氏からは「是非とも」との返事を頂き、氏の知人筆皇$${^{*9}}$$氏も加わって四人で探索することになった。この記事上では、ネーモン氏、はっとし氏、筆皇氏と異様な名前が並ぶが、現実には実名で呼び合うので何ら違和感はない。

 知多半島の先端にある師崎(もろざき)港$${^{*10}}$$から船で篠島に渡るので、ここで四人は集合した。今回の探索の目的は篠島に構築されていたと言われている大砲陣地跡$${^{*11}}$$の発見である。これが発見できれば、愛知県内で最も新しい戦争遺跡の発見となるはずだ。砲台構築の根拠はこの資料$${^{*12}}$$による。この資料はネーモン氏が防衛研究図書館$${^{*13}}$$で入手した。この資料によると篠島には10cm加農砲$${^{*14}}$$が2門設置されていたようだ。図中に書かれた「10K(2)」というのがそれを示している。この資料だけを頼りに三年前に調査を行ったが全く痕跡を発見することができなかった。同時に行った地元住民の聞き取りによって、終戦間際に篠島には一個小隊が駐留していたらしいことは判った。その際に砲台陣地の構築が行われた可能性がある。今回はその再確認である。

*1 遺構探訪
*2 20030928 遺構探訪(5)
*3 米軍のコロネット作戦に対する日本軍の防衛
*4 20060911 ネーモン氏との話
*5 遺構探訪 リンク集
*6 underZero | 愛知県の観光スポット/城/戦争遺跡の紹介 |
*7 underZero 愛知県の観光スポット/城/ランクルの紹介 このHPについて
*8 underZero 愛知県の観光スポット/城/ランクルの紹介 戦争遺跡
*9 underZero 愛知県の観光スポット/城/ランクルの紹介 朱印倶楽部筆皇
*10 師崎商工会
*11 江ノ島砲台(その1)
*12 本土決戦準備 第十三方面軍 Shinojima_10K.jpg
*13 防衛省防衛研究所
*14 九二式10センチ加農砲

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