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20030928 遺構探訪(5)

 四日市の聞き取り調査$${^{*1}}$$を終えてから、次の目的地である篠島$${^{*2}}$$にネーモン氏$${^{*3}}$$の自動車で渡るため、高速道路で知多半島の先端の師崎(もろざき)$${^{*4}}$$港に向かった。篠島では米軍の本土上陸$${^{*5}}$$を阻止するための砲台が建設されていたという情報をネーモン氏は掴んでいた。

 師崎港から篠島へはカーフェリー$${^{*6}}$$が出ている。乗船時刻まで少し時間があったので近くの戦争遺跡$${^{*7}}$$を見学した。この遺跡は「震洋$${^{*8}}$$」と呼ばれる自爆式木製小型船舶の発進基地であった。海岸からかなり離れた場所にあるが、これは戦後に基地の前の海が埋め立てられたためだそうだ。因みに私の祖父は、ここではないが、震洋$${^{*9}}$$の乗組員として訓練を受けていたらしい。幸い出撃命令が出る前に戦争が終わった。

 まだ時間があったので、港近くの崖に作られていた使途不明のコンクリート建造物$${^{*10}}$$を見学した。階段になっており、登れないようになっている。この建造物の所有者は海上保安庁$${^{*11}}$$になっていた。

 篠島に渡った明くる日、28日は島の老人の聞き取り調査の後、砲台の探索を行った。山中を探索するため雑木の中を歩かなければならない。そこでネーモン氏は刈り込みばさみ$${^{*12}}$$を用意していた。これを背中にしょって山中を探したが、結局目的の砲台遺跡は見つからなかった。

 山中の探索を諦め、百二歳になる尼僧に砲台に関する話を伺うために、自動車でその尼僧の寺院に向かった。島の地図を見ると探索をしていた山からその寺院に一直線に伸びている道がある。この道を行けばいい。元々島の道だから狭い道だが、走らせていくと小型自動車一台がやっと走れる道幅になってきてしまった。

 更に走らせると道端の雑木がネーモン氏の自動車に擦れるぐらい狭くなってきた。もう少し行けば道は広くなるだろうと勝手に思いながら、雑木や雑草に車体を擦られながらゆっくり走らせていたが、いっこうに広くならない。道端に人がいたので、このままずっと狭い道かと訊ねたら「この先、車は行き止まり」と言われた。

 ネーモン氏はつい最近自分の自動車を全部塗り直したばかりである。回転してまた自動車に雑木を擦りつけるのは我慢できなくなった。そこで探索のために用意した刈り込みばさみで道端の雑木を刈り込みながら引き返すことになった。

 数分で来た道を交代で刈り込みながら進んだので、半時間程度かかって雑木の心配のない広い道に戻ってきた。刈り込みばさみが一番活躍したのは遺跡探索ではなく、この道端の雑木刈りだった。

 やっとのことで件(くだん)の寺院に辿り着いた。例の尼僧は一昨年に転んで寝たきりになられたそうで、全く話が出来ない状態になってしまっているとのことだった。

 そろそろ島を出なければならない時刻だったので、そのまま近くでお土産を買って、カーフェリーで島を後にした。

*1 20030927 遺構探訪(4)
*2 20020429 篠島
*3 米軍のコロネット作戦に対する日本軍の防衛
*4 師崎商工会
*5 Operation Downfall, The Invasion of Japan
*6 名鉄海上観光船
*7 katana.jpg
*8 二十世紀の瞬間(16) ■衝撃艇「震洋」
*9 震洋
*10 morozaki.jpg
*11 第四管区海上保安本部
*12 【アスクル】三共コーポレーション Sita 軽量アルミ柄刈込鋏 小 A127 (直送品) 通販 - ASKUL(公式)

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