見出し画像

20030927 遺構探訪(4)

 砲台研究の大家であるネーモン氏$${^{*1}}$$から戦争遺跡関連$${^{*2}}$$の活動の誘いがあったので同行することとなった。四日市市$${^{*3}}$$に在住する元陸軍士官の方で、その方に終戦間際に相模湾沿岸で米軍の本土上陸$${^{*4}}$$を迎え撃つための砲台構築に携わった体験談などを聞き取るのが目的であった。

 話を伺うとこの元陸軍士官の方は広島陸軍幼年学校$${^{*5}}$$出身ということであった。三重県に住んでいて何故、広島の幼年学校を選んだのか。名古屋にも陸軍幼年学校はあった。願書には東京陸軍幼年学校かその他の陸軍幼年学校かを選んで記入することになっていたらしい。氏は幼年学校の次の士官学校$${^{*6}}$$では東京の方に行くことになるので、幼年は東京以外にしてみたかったらしい。その結果、割り振られた行き先が広島となったようだ。

 陸軍幼年学校は明治時代の創設期には全国に仙台、東京、名古屋、大阪、広島、熊本$${^{*7}}$$の六ヶ所があった。その後、パリ条約$${^{*8}}$$批准による軍縮で、一旦、東京幼年学校のみを残して他は廃止されたらしい。そして太平洋戦争への突入に向かって軍人の需要が高くなったため、再び他の幼年学校が開校された。話を伺って、陸軍幼年学校のこの様な経緯を初めて知った。

 その他、砲台に関すること、当時、氏が考えていたことなど様々なことを伺った。カセットテープに録音した聞き取りの内容は、ネーモン氏が文章に編成し直し砲台研究の資料とするのである。

 聞き取り調査の後、三河湾に浮かぶ篠島$${^{*9}}$$の砲台調査へ向かった。

*1 米軍のコロネット作戦に対する日本軍の防衛
*2 遺構探訪
*3 四日市市
*4 20020209 愛知県内の本土決戦用大砲陣地遺構
*5 広島陸軍幼年学校
*6 市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)のご案内
*7 第8師団のホームページ 熊本陸軍幼年学校
*8 Welcome to tabiken's Site! ●不戦条約 ふせんじょうやく
*9 おんべ鯛とふぐの島 篠島観光協会【愛知県知多郡南知多町】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?