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20020209 愛知県内の本土決戦用大砲陣地遺構

 久々に本業である「遺構探訪$${^{*1}}$$」に行った。今回は砲台研究の大家のネーモン氏$${^{*2}}$$が愛知県にやってきて、一緒に探索することになった。

 探訪した場所は愛知県豊橋市大岩町付近$${^{*3}}$$である。ここには太平洋戦争末期に本土決戦$${^{*4}}$$の為に大砲を備え付けた跡があるという。

 大日本帝国政府はアメリカ軍の本土上陸に備えて、日本列島の太平洋側の上陸予想地点に上陸部隊を迎え撃つための大砲陣地を構築していた。アメリカ軍が予定していた上陸地点は房総半島九十九里浜$${^{*5}}$$、相模湾沿岸$${^{*6}}$$、薩摩半島吹上浜$${^{*7}}$$、大隅半島志布志湾沿岸$${^{*8}}$$、鹿児島湾$${^{*9}}$$であった。関東地区の上陸作戦をコロネット作戦、九州地区の上陸作戦をオリンピック作戦と称し、両者を含めた日本本土上陸作戦をダウンフォール作戦$${^{*10}}$$と名付けていた。

 私はこのアメリカ軍の作戦の知識から本土決戦用陣地は九州と関東だけだと思い込んでいた。愛知県内には本土決戦用の砲台は構築されていないと思っていた。愛知県は軍需都市$${^{*11}}$$であって多くの軍事工場があったため爆撃対象とされた。そのため軍事工場を守る防空部隊が編成されていた。地上から爆撃機を狙う高射砲と呼ばれる大砲の陣地が各所の設けられていた。これらの遺構$${^{*12}}$$は今でも残っている。

 今回の遺構探訪の地は地図を見れば分かる様に太平洋から如何にも上陸し易い$${^{*3}}$$場所である。ここからも上陸すると考えて当たり前だろう。

 上陸するアメリカ軍部隊を攻撃する為の大砲は防空用のものとは違ってくる。従って砲台の形も違ってくる。地面にいる相手を狙うので水平に撃つか、物陰から放物線を描く様にして撃つかである。前者にはカノン砲、後者には榴弾(りゅうだん)砲が用いられた。戦時中は「カノン」が敵性語とされたためか加農砲と言った。

 上陸してくる相手に分からない様に山の中腹に穴を掘ってそこに大砲を据え付けようとした。この場所にはその洞穴が数カ所、標的を観測するためのコンクリート製の観測所が3箇所見つけることが出来た。この探索結果は近々遺構探訪$${^{*1}}$$で公開する予定である。

*1 遺構探訪
*2 19991023 横須賀の潜水艦
*3 愛知県豊橋市大岩町付近
*4 本土決戦/作戦計画
*5 九十九里浜
*6 神奈川県中郡大磯町大磯付近
*7 鹿児島県日置郡金峰町大野付近
*8 志布志湾
*9 鹿児島湾
*10 Operation Downfall, The Invasion of Japan
*11 遺構探訪 陸軍造兵廠鷹来(たかき)製造所本館
*12 遺構探訪 高射砲隊・笠寺陣地

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