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20020429 篠島

 久しぶりに家族旅行をした。一泊旅行で愛知県$${^{*1}}$$内だったが、電車を使って遠回りしたので目的地に到着するまで時間が掛かった。そのお陰でかなり遠いところに旅行したような気分になった。

 行き先は愛知県の知多半島の先にある篠島$${^{*2}}$$という島である。河和(こうわ)というところから船で30分程$${^{*3}}$$のところにある。web上の篠島の案内$${^{*4}}$$を読んでいると料理は美味しそうだし、色々見るところがありそうなので行くことにした。

 表向きの理由は上に書いた通りである。隠れた目的もあった。その目的は遺構探訪$${^{*5}}$$である。

 関東地区の砲台研究の第一人者であるネーモン氏の情報によると愛知県篠島に太平洋戦争末期に米軍の本土上陸作戦に備えるための砲台が構築されていたという。

 愛知県には軍事工場が沢山あった。防空のための高射砲砲台は数多く構築されたが、米軍の上陸作戦に対応するための砲台はないと私は認識していた。しかしネーモン氏の文献調査により豊橋に米軍上陸作戦に対応するための多くの砲台があることが判り、ネーモン氏と供に今年の2月にそれらを調査$${^{*6}}$$した。

 篠島における探訪は私一人で行った。道で出会った島の老人に砲台のことを聞きいてみたところ、獣道のようなハイキングコースの途中にそんな様な物があるということなので行ってみた。

 雑木林の中に二つの遺構があった。煉瓦造りの小屋のような物である。守衛所みたいな小さな小屋である。戦争末期に煉瓦造りの建造物はちょっと時代がずれているような気がする。コンクリート製が一般的ではないだろうか。島のため物資輸送の点から建材に煉瓦が選ばれたのだろうか。しかしネーモン氏の情報の砲台位置からかなりずれている。

 山の中を散々歩き回ったが、結局、上記以外のそれらしき物はみつからなかった。もっと探したかったが、時間がない。表の目的も遂行しなければならない。篠島は家から近いのでまた調査に行くことにしよう。

*1 愛知事典
*2 愛知県知多郡南知多町大字篠島
*3 篠島アクセスマップ
*4 篠島観光協会
*5 遺構探訪
*6 20020209 愛知県内の本土決戦用大砲陣地遺構

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