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20040424 芸術科学

言語の脳科学$${^{*1}}$$」の初めの方には、言語は心の一部であると書いてあった。これも納得しがたい$${^{*2}}$$。やはりどう考えても言語は道具であり、赤ん坊は周りの人との意思伝達を通して言語という道具を獲得するとしか思えない。それは心と全く切り離して考えることが出来るのではないか。言語を用いて自分の心の状態を表すことが出来るが、心そのものではないだろう。文字は話し言葉よりも道具そのものだが、心の状態を話し言葉と同様に表現することができる。やはり文字も心そのものではない。

 絵画や音楽で自分の感情を表現することができるからといってそれらが心の一部と考えるのは、感情的詩的にはそれでもいいが、科学として捉えるのであればその範疇を広げすぎているだろう。言葉も同様だと思う。

 絵画の遠近法$${^{*3}}$$、音楽の平均律$${^{*4}}$$や形式$${^{*5}}$$などは、いわば言語の文法みたいなものだろう。表現方法として世代を越えて長い時間をかけて構築された文法である。遠近法を了解するにはそれを理解し、憶えなければならない。ある音律が美しく聞こえるためには、それを了解する訓練が必要だろう。交響曲を作曲$${^{*6}}$$するには先人の曲を聴くことが必要に違いない。親から言葉を教わるのと同じである。

 それに絵や歌の方が意思伝達方法としては言語よりも直截的$${^{*7}}$$で根元的の様な気がする。これらを持たない民族は、言語を持たない民族がいないのと同様、地球上には存在しないだろう。言語の普遍文法が存在するなら、それよりも先に絵や歌の普遍文法が存在してもよさそうだ。そうだとすれば脳における生得的な芸術の根源を探る「芸術科学」という学問分野が成り立ちそうである。

*1 YOMIURI BOOKSTAND/書評 ◆言語の脳科学 酒井 邦嘉著
*2 20040423 普遍文法
*3 Art Words - artscape 遠近法 Perspective
*4 Gabacho-Net きまぐれノート 純正律音階と平均律音階
*5 音楽博物館|ミュージックパル|ヤマハ 音楽史:トップ
*6 20040417 交響曲などの作曲
*7 20031005 直截

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