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20060223 清兵衛と瓢箪

 ずっと瓢箪$${^{*1}}$$のことが気になっている。志賀直哉$${^{*2}}$$の「清兵衛と瓢箪」と言う短編小説を思い出した。寝ても覚めても瓢箪のことばかり考えている少年が主人公である。その少年ほどではないが、一般の人よりは瓢箪が頭の中を占領している。

 改めてこの小説を読んでみると少年が瓢箪を丹念に磨いている姿が非常に身近に感じられた。実際、自分も一月前に磨いた$${^{*3}}$$ばかりである。

 小説の冒頭に「三、四銭から十五銭ぐらいまでの皮つきの瓢箪を十ほども持っていたろう」とある。この描写がよく判らない。少年は瓢箪の加工法をよく知っていたことになっている。瓢箪の口を切って種を取り出す$${^{*4}}$$ことを独りで上手にやったとある。そして毎晩瓢箪を磨いて手入れしていた。

 ところが瓢箪の皮はこの種出しの工程で全部剥がしてしまう$${^{*5}}$$のである。従って「皮つきの瓢箪」を手入れするというのがよく判らない。

 大正時代、瓢箪は収穫されたまま種を出さずに売られるのが一般的だったのだろうか。収穫時期は九、十月ぐらいである。収穫したままの瓢箪は極薄い黄緑色をしている。これを水に漬けて中身を腐らせ種出しをするとその過程で表皮が剥けてくる。乾燥させると表面は薄い黄土色$${^{*6}}$$になる。

 少年が爺さんの禿頭を瓢箪と見間違える場面が出てくる。禿頭の色はてかてかした黄土色なので、薄い黄緑色をした皮つきの瓢箪と間違えることはないだろう。ということは、種出しの瓢箪も売られていたことになる。

 何れにしても皮つきの瓢箪は毎年九、十月頃にしか手に入らない。少年は毎日磨いているのだから一年中の話である。そうなるとやはり「皮つき」が十個もあるというのは不自然だ。授業中に磨いていたのを注意しに家へ来た教員に、柱にぶら下がっている瓢箪が気づかれないかと心配したり、父親に玄能$${^{*7}}$$で一つ一つ割られてしまったといった描写からすると、少年が所有する瓢箪の数は十数個程度としか思えない。「皮つきの瓢箪」とは一体どういった状態の瓢箪だったのだろうか。

*1 20060219 ひょうたんを持つ幼児(2)
*2 20010630 小僧の神様
*3 20060121 ひょうたん(12)
*4 ひょうたん展覧会
*5 20051104 ひょうたん(10)
*6 hyoutan.jpg
*7 金鎚・玄能・ハンマー

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