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20090422 百歳まで生きる(2)

 最近、百歳まで生きたい$${^{*1}}$$と思うようになった。もし百歳に到達せずに痴呆症や寝たきりの状態になったら自殺を考えたいと書いた。仮に自分自身ではなく、自分の肉親や配偶者がこのような状態になり、そんなことを言い出したら素直に受け入れることができるだろうか。

 非常に難しい。自分の大切な人には末永く生きていて欲しいと思うが、本人の願いは叶えてやりたい。客観的に見て恢復の見込みはなく本人もこれ以上生きる意味がないと思っていれば、あえて自ら死を選ぶことを否定して生きるべきだと納得させる必要はない。

 精神がはっきりしている状態で寝たきり$${^{*2}}$$になって、自分としてこれ以上生きる意味無しとなれば、自分で死ぬことができるかもしれない。寝たきりなので死ぬには服毒しかないだろう。周りの人に「毒を持ってきてくれ」と言っても通常は引き受けてくれないだろうし、事情を良く理解してくれたとして毒を提供したら自殺幇助$${^{*3}}$$となり、残されたその人は罰せられることになる。迷惑をかけずに本懐を遂げるには完全に寝たきりになる前に自ら毒を調達しておかなければならない。

 問題はボケた場合$${^{*4}}$$である。痴呆症は自覚できるものなのか。自覚できるとすれば行動できるかも知れない。しかしボケると言うことは思考能力が衰退することである。自覚はできても、思考能力が衰退する中で生きる意味無しと決断し自ら行動することができるのだろうか。となると自殺は不可能ということになる。

 安楽死$${^{*5}}$$がある。安楽死の定義$${^{*6}}$$が「苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないしはその目的を達成するために意図的に行われる『死なせる』行為」だとすると、ボケた人にこれを適用することができるだろうか。「苦しい人生、もしくは意味のない人生」と感じるのは本人に間違いないのだが、そう感じているのは現にボケている本人ではなく、過去の本人なのである。過去に本人がそう言っていたからと安楽死をさせたら、事情を知らぬ周囲からは殺人または介護責任の放棄だと思われるだろう。

 人間は、生きることも死ぬことも難しい。

*1 20090420 百歳まで生きる
*2 寝たきり老人の介護
*3 s1212-6i02.pdf
*4 財団法人 ぼけ予防協会
*5 20040604 人を殺すということ(2)
*6 尊厳死と安楽死

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