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20040604 人を殺すということ(2)

 人を殺して何故いけないか。他人にしても自分にしても殺してはいけない。当たり前のことである。理由なんかない$${^{*1}}$$。まず最初に守るべきことである。何らかの理由で殺しても仕方がない状況$${^{*2}}$$が出てくるかもしれない。しかしそういった状況は滅多には起こらない。本当に殺しても良い理由というのは直ぐには出てこない。悩み抜いてそういった結論に至る。直情的に判断されるものではない。

 悩み抜くのは「人を殺してはいけない」と理由もなく思っているからであり、この感情と殺さなければならないと言う状況とが葛藤$${^{*3}}$$するからである。

 こういった感情はどのように作られるのだろう。本能として互いに殺さないという機能がはじめから備わっているかも知れない。それよりも人間の社会の中で育てられる過程で「人を殺してはいけない」ということを身近な人の死や他の生物を育むことによって間接的に知るだろう。「死」とまで行かなくとも身近な人との別れによる悲しみ、自分の親と離れてしまった時の不安からも理解できるようになるはずである。

 それでも殺人が発生するのは加害者が成長する過程でそういった体験を一切しないからだろうか。戦災や親の事情などにより幼少の頃から孤児となってしまった場合は、死に対する恐れや悲しみを知る機会が極端に減るかも知れない。普通の家庭で育てられているにも拘わらず、殺人を犯してしまうというのはどう考えても親の責任が大きい。

 加害者の親を責めることは難しいことだが、親は自己の責任を十分認識して被害者に対しても加害者である自分の子供に対しても償うべきであろう。これによってそれ以降の親の人生は他人に尽くすだけのものになる。

 親自身はなんと惨めな人生か、と思うのだろう。そうではなく、自分以外の大衆に同じ様な惨事を繰り返させないことを訴える使命を与えられたと考えられれば少しは楽になるかも知れない。人生とは何か。幸福とは何なのか。

*1 20040603 人を殺すということ
*2 青空文庫 Aozora Bunko 森鴎外 高瀬舟
*3 20030627 葛藤

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