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20040603 人を殺すということ

 なぜ人を殺していけないのか。当たり前である。人を殺してはいけない。理由などない。

 そもそも「なぜ人を殺していけないか」などと問うこと自体に意味がない。何でもかんでも理由があると思う$${^{*1}}$$のは、それこそ不遜であり、何も解っていない阿呆が考えることだ。そういったことを考えるのは、下手の考え休むに似たり$${^{*2}}$$で、何もせず寝ているのと同じなのである。

 大地があり、空には太陽と月とがあるのと同様、理由はない。根源的な事柄なので理由などないのである。それでは何故世の中の殆どの人は「人を殺してはいけない」と思っているのか。理由もなくそう思っているのか。

 人を殺すにはある程度の力や技術がいる。いるはずである。赤ん坊や幼児には人を殺せない。人は成長過程で相手や自分を殺そうと思えば殺すことができる力や技術を身に付ける。だが、その過程で人は生き物を慈しむことや他人の死もしくは別れによってもたらされる自分の感情により、自ら他人を死に追いやることは絶対に避けなければならない事であると悟るのである。人を殺す能力を得ることができるのだが、それは使わないようにするのである。親からそうするように教わる場合もあるだろう、自分で気付く場合もあるだろう、周りの人に教わる場合もあるだろう。

 理由も何もないから、考える必要はない。まず最初に「人を殺してはいけない」のである。従って殺人は日常茶飯事には起こらない。それでも時々起こる。人が人を殺すのは何故か。人には感情があるから相手や自分が憎らしく思えることがある。目の前からいなくなって欲しくなる。これが度を過ぎると、自分の能力をついつい使ってしまうのだろう。それによって引き起こされる結果も予想できずに。

 成長過程で死や別れによる自分の感情を十分に理解していれば、自分のする事によって相手の周りの人がどう思うか十分予想ができるので、殺人には滅多には至らないはずである。結局、自分の目の前からいなくなってくれさえすればいいという自己中心的な考えと成長過程での理解不足とが原因なのであろうか。

 となれば、殺人は巡り巡って親や周りそして社会の責任が大きいと言うことになってしまうのか。

*1 20030316 一神教と多神教
*2 下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)の意味 - goo国語辞書

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