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20070523 伊能図の縮尺

 たまたま岐阜の図書館に寄ったら、伊能忠敬$${^{*1}}$$の地図の展示会が催されていた。伊能忠敬$${^{*2}}$$と言えば「大日本沿海輿地全図」、という社会の教科書的な簡単な知識しかない。「大日本沿海輿地全図$${^{*3}}$$」は一枚の日本地図だと勝手に思っていた。確か教科書にはやせ細った九州が描かれた北海道を除く日本地図$${^{*4}}$$が載っていた。だから一枚だと思っていた。実際、この日本輿地図藁(にほんちずこう)そのものは一点しか残っていないので、一枚は一枚だが意味が違う。伊能忠敬$${^{*5}}$$は縮尺の違う地図を何種類も作っている。

縮尺$${^{*6}}$$の大きい物から伊能大図、伊能中図、伊能小図$${^{*7}}$$と呼ばれているらしい。

 気付いたのは伊能図の縮尺が$${36}$$の倍数になっていることである。現代の地図$${^{*8}}$$の場合は二万五千分の一であったり五万分の一$${^{*9}}$$と切りのいい数字が使われている。とは言っても紙面に地形を収める都合で縮尺を決めたりするのだから、切りのいい数字でなければならないという訳でもないだろう。特に根拠がなければ百とか五十という数字を持ってくるのが人情$${^{*10}}$$である。それなのに何故「三十六$${^{*11}}$$」なのか。

 当時の長さの単位に依るらしい。伊能大図の縮尺は三万六千分の一である。これは実際の一町が地図上では曲尺の一分$${^{*12}}$$になる縮尺らしい。当然、伊能忠敬は測量で曲尺$${^{*13}}$$を使ったのだろう。それを基に地図を作る。一町は約$${109m}$$で六十間(けん)、一間は六尺、一尺は十寸、一寸は十分$${^{*14}}$$。従って一町は$${60×6×10×10}$$で三万六千分となる。

縮尺表示$${^{*15}}$$がなされていれば、縮小の倍率はどんな値でもいいのだが、物差しを使って地図を見たり、作ったりする時にはやはりその物差しの目盛りに従った方がいい。$${36}$$という数値は江戸時代の度量衡$${^{*16}}$$体系によるものだった。

*1 JSTバーチャル科学館|ものさしの科学
*2 伊能忠敬 :-) のホームページ
*3 伊能図の完成 | 社団法人東京都測量設計業協会
*4 神戸市立博物館:名品撰
*5 伊能忠敬研究会 -伊能忠敬はどんな人であったか-
*6 白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「世界の地図を旅しよう」 第9回 縮尺と距離感覚
*7 伊能忠敬と伊能大図
*8 国土地理院・(財)日本地図センターの刊行物 - 地図
*9 地図サンプル(縮尺)
*10 20021120 ドル360円
*11 A42002 日本画 尾形光琳 - MENARD ART MUSEUM
*12 国立国会図書館貴重書展:展示No.72 〔大日本沿海輿地全図〕
*13 20021223 さしがね
*14 江戸時代の単位
*15 000136913.png
*16 計量史への誘い-計量の起源を探る

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