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20061130 終戦の詔書の偶然

 「八月十五日の神話$${^{*1}}$$」という本の冒頭に、終戦の詔書は八百十五文字で書かれているとあった。終戦の詔書$${^{*2}}$$の内容は、一九四五年の八月十五日に放送された敗北宣言$${^{*3}}$$としてよく知られている。この放送は当時の天皇$${^{*4}}$$の肉声で録音され放送されたので玉音放送$${^{*5}}$$と呼ばれている。

 何という偶然、と思った。このことを言い出したのは当時の海軍大臣米内光政$${^{*6}}$$だったらしい。こういった偶然$${^{*7}}$$の裏側には何か必然が潜んでいそうで、非常に興味深い。そこで実際に自分で「終戦の勅書」の文字数を数えてみた。

 本文は八○二文字$${^{*8}}$$だった。「八月十五日の神話」の著者も実際に数えていて、「正式閣議案」「詔書原本」「報道用詔書案」どれを数えても本文は八○二文字だったらしい。私は天皇の署名のある詔書原本$${^{*9}}$$を基に数えた。

 天皇の署名「裕仁」と詔書の日付「昭和二十年八月十四日」を足すと八一四文字になる。終戦記念日の八一五文字とはならないが、詔書の日付と文字数とが一致していたのは不思議である。八月十五日は、本来、敗北宣言である玉音放送がなされた日というだけで、ポツダム宣言$${^{*10}}$$を受諾した日でも降伏文書に調印$${^{*11}}$$した日でもない。敗北を天皇自らが国民に伝えた日という歴史的な節目であることは間違いないが、ポツダム宣言受諾や降伏文書調印の日に比べて漠然としている。八一五文字を単なる俗説$${^{*12}}$$として片付けるよりもむしろ「八一五文字ではなく八一四文字」だったという事実の方が神秘的で面白い。そんなようなことは件の本にも書いてあった。

*1 Amazon.co.jp: 八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544): 本: 佐藤 卓己
*2 学制百年史 資料編 [一 詔書・勅語 終戦ノ詔書]
*3 終戦の詔書
*4 昭和天皇・香淳皇后
*5 玉 音 放 送
*6 米内光政 | 近代日本人の肖像
*7 19991116 偶然の本質
*8 syousyo.jpg
*9 [終戦の詔書](拡大画像) | 日本国憲法の誕生
*10 ポ ツ ダ ム 宣 言
*11 日本の降伏-画像詳細
*12 終戦の詔書

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