見出し画像

サーフィンと人生

私は、多いときはほとんど毎日、サーフィンに行く。

うまく波に乗れない時や、嫌なことがあって落ち込んでいる時に、いつも思い出している言葉がある。ジェリーロペスの言葉だ。

「逆らうのではなく、従うのでもなく、波のするようにすればいい。サーフィンと生きることはよく似ている。」

https://waval.net/131154/

サーフィンの楽しさは、波と自分が一緒になることであって、それ以上でもそれ以下でもない。自分と波、自分と自然を関係性の中に、サーフィンの豊かさや美しさはある。

俗に言われる、上手いも下手も、成功も失敗も、挫折も栄光も、勝ったも負けたといった、自分と社会の比較に価値を見出す考え方は極めて部分的であり、あってもなくてもいい。そういうことを彼から学んだ。

この考え方は、自分の人生にも置き換えられる。
自分の内面の中にも存在する、感情の波と自分が一緒になることは、本当に心地よい。例えば、悲しいときは涙を流したり、笑顔になると嬉しくなるということだ。むかついたら怒ったり、寂しかったり孤独を感じた時は、その感情をただ味わう。自分の感情の責任を自分で持てる力があるということに気が付つける。

一方、自分の年収やステータス、外見やスキルを他人と比較して、優劣を決める文化圏の中に、本当の豊かさは存在しない。市場価値が自分の価値だと勘違いしている。役に立たない自分や、他人から認められない自分には生きる価値がないと決めつけるのは傲慢である。そういう意味における傲慢な人が日本には特に多い。自殺や過労死がその証拠だ。

悲しいことに、現在の市場で売買されている商品・サービスの多くは、この外的な経済的・社会的な指標によって誕生していることから、構造的にも、物理的にも、自然との接点を持つことが難しく、内面的な文化を育みずらく、自分で自分を安心させたり、勇気づける作用が自分の中に存在していたり、自分の傷は自分自身が癒すことができるといった、自分自身の素晴らしさや尊さに気が付きづらいのかもしれない。自分が思っているほど、自分は何億倍も素敵のにもかかわらず。

そういうことに気がつけないときは、自然に触れるといい。ある人は山登りや昆虫採集、川遊びかもしれない。私でいえば、サーフィンである。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?