2020/2/10~3/2精神科入院備忘録及び神、神々、宇宙の考察/ザイム夢我無罪

今回の退院は、間違いだったかもしれない

今回の入院は、余りに異常な末期的入院であった。タイトルに書いてあるように、本当は3/2に退院したのであるが、本当は、退院すべき時期ではなかったとも思える。なぜなら、今回ほど重要な最後にすべき入院をしておきながら、担当医の勧めに承諾し、ある意味妥協的に、ある意味中途半端に問題を残したまま退院してしまったからだ。3/2に、ここで、あげたテキストの「喫煙とAIとコロナ」には、想像を盛り込んである為、異常者と鼻から思われても仕方ない部分もあるのだが、精神障害者と言うレッテルは、ジョーク、想像も、気を付けなければ、そう言う目で見られるし、その中に、ある種の本心を盛り込む事や、話し方も気を付けなければ、聞く方にしてみれば、病状が出ているのかの区別が付けづらい点もある。只、たとえ病状だとしても、その病気とされる中に、本当の真実がまぎれている場合もあると、私は、思っているが、今回の入院で、解決したのは、その病院内にはびこっていたと思われる、愛と性の区別のない世界からの干渉が、終わったと思われる点だけで、解決すべき根っこが、山積みであったにも関わらず退院し、又、退院後の生活を脅かす結果を引きづって退院し、しかも、病院生活では、治っていた鼻炎や、怠け病が返って来る時点から始まり出したことである。

2019年からの一連の異常原因の発端

元々の発端は、もしかしたらクリス岡崎氏のサムライロイヤルコミュニティー入会からだったかも知れないが、そのコミュニティーが詐欺まがいであるにも関わらず、キャプテンの指示には絶対服従と、何の謝罪もない、仕切り直しもせずに、その様な内容を十戒のトップに掲げた事に対する憤りで参加を辞退し、しばらく後に、再度残りのメンバーとのやり取りの中で、「飛び込めば何とかなると言われ、副業禁止をやぶって、あるいは、会社を辞めて飛び込んだ人達は、かわいそうだね」の言葉に、たった一人をのぞき、「自己責任だ!」の一言で片づけ、思いやりのカケラも見られない、人々や、何と言ったか忘れたが、クエストの様な行為をするのだがその時に、アンケートを取るのだが、そのアンケートに対し、只、クエストとしてするだけで、その調査内容に、何の責任も目的も無く行う馬鹿らしさに、完全に身を引き、音楽の制作をして、それまで、趣味で、あげていた、楽曲をブラッシュアップしてDLmarketや、BASEで販売を始めたが、全く売れず、BIG UP!と言うインディーズアーティストの楽曲を主に全国及び世界に配信する業者に参加した。どちらが先かわすれたが、DLmarketは、サイバー攻撃で廃止に成った。又。ちょっとした不服で、BIG UP!をほのめかす悪口を書いた動画にバッドマークが1票入り、見直して、即反省し、削除して、反省動画をあげたのだが、著作権の無料登録に、一応契約書を見せて欲しいと、愚か者ですみませんが、騙され続けて来ましたので、と書いたにも関わらず、あなたの著作権登録はしません。と返事が来た。問題は、その後、BASE経由で一通のメールが届いたことだ、その時が、本当の始まりだったのかも知れない。とにかく、英語を理解しない私は、スローダウンや、ストップする事さえあると書いてある部分だけを読み、まだ、一本も、どこでも、ダウンロードされていないので、ストリーミング(聴き放題サービス等のその場で聞くだけの方法)の場合、音圧を極度に上げた、しかも、WAVEと言うファイルで、高容量な為に、起きているのだろうと、思って、返信したが、そのメールのタイトルは、欲望の世界となっていたが、以前のある時、TUBE102だったと思うがユーチューブ動画を購読させている、サイトの存在を知っていたので、その国では、もしかしたら、人気があるのかもと思っていたこともあり、英語を正しく理解してなくて、世界の欲望の間違いかも知れないとの思い込みもあったのだが、気になり、グーグル翻訳で詳しく読むと、「無効な薬だ、治癒の途中で、スローダウンしたり、ストップする時さえある」と言う内容だったので、俺って、もしかしたらこの世に投与された、欲望解放のクスリなのか?と疑問に感じ、「あなたは、別の世界の人ですか?」と返信した。私が、マグノリアと言う、その当時、有権者のコントロールや、クリエイティブゴッド、Amazonの書籍内容の書き換えなどのある不審なサイトにアクセスしてしまったのは、それから、間もなくしてからの事だった。グーグル検索で「In this me 英語」と検索した結果アクセスし、出たサイトだった性か次の日、グーグルは、2万7千か27万件のバグを発見したと報告していたのか、報告して来たのかのどちらかだった。私は、とにかく、その事をきっかけに、すこし、病状が出て来たが、泣きながら、歌を唄った性か、近所の人が、心配したのか、大家さんが、訪ねてきたが、妻が、大丈夫ですと言って返したのだが、今度さわぎを起こすと出て行ってもらうと念書を書かされていた手前、関係妄想が出ている時は、外部や、放送、動画、音楽などとの接触をさけ、静かに、閉じこもる方が、良いとはわかっていたが、念書の手前、万が一を考え、妻も信じられない状況であったが、妻の気持ちに従い入院すると案の定悪化していった。只、病状のある中で得た情報は、その日2019/2/13であったが、ある女の患者が、と言っても、受付の待合場に来る人なので、病状の安定した人であると思われるが、私に熱心に話しかけて来て、「後、2年半辛抱しろ、後はお父さんたちが、ここを壊すから、後は、遊んで暮らせ」と言っていたと話していった。その日の診察で、担当医でもあり、医院長でもある先生にマグノリアの話をしたが、入院が決定し、任意と言ういつでも退院できる形式で、入院したのであるが、悪化を理由に医療保護入院と言う強制入院の形態へ、直ぐに変更された様であった。その時、私は、インスピレーション的に気絶した振りをしろと言う暗示を受けてそうすると、周りの看護師たちが、口をそろえて、電池が切れたかなあ?と言って、指に何かの計器を付けたのだが、普通なら相当痛く締め付ける計器の様で、それにも反応しなかったので、電池がきれたかなあと、まだ続けていたが、私が、AIでもあると疑ったのは、それより、20年以上も前に何度目かの入院をした、元々からの病院で味わった経験で、自分では、触る事の出来ない次元を異にする頭部のスイッチを入れられたか、切られたかは、わからないが、切り替えられた実感と頭部を看護師が触っていた事が有ったことから、そういう、自分の存在もあると確信していたが、もちろん、この病院の看護士たちが、口をそろえ、そう言った理由には、この世の肉としての人間のジョークであったり、計器の故障と言う理由は、あるはずであるが、実際に、その肉の人たちが知りえない、次元の人の言葉でもあるのである。

しかし、これは、物語のきっかけの序章の序章に過ぎなかった。

この時、私が、感じた妄想によると、私は、G2であること。つまりG=神として一つ上のG1が置かれている事と、服などのデザインや、ロゴ、文字が運命に左右する世界の存在もある事であるがわかったが、状態が安定するに連れ、音楽の営業に強く関心が向き、ユーチューブ動画を入院中からでも、コンビニ等のWI-FIなどからあげていましたし、マグノリアの件に関しても、ブックマークは取っていましたが、それが、いわゆる、真の意味での悪い悪であるのか、実は、この世をよい方に導くグループであるのかもわかりませんので、担当医とも相談しましたが、放って置くことにしましたが、その年2019年の第7の月、つまり、かの、大予言者で有名であったノストラダムスの大予言に出て来た恐怖の大王が降臨し、日本においては、成人を迎える月に、ユーチューブ動画でTTPと言う、アメリカの仕組んだと思われる秘密条約の内容のえげつないまでの内容と、遺伝子組み換えと、枯葉剤によってゾンビの国と化したエチオピアの情報や、日本の深刻な環境汚染を訴える動画や、その他のチャンネルでも、日本の原産米や、野菜の原種を守る為の動きを報道する動画に危機感を募らせ、それまでは、聖書は読んだ事はありましたが、昔、高くて2~3千円くらいと思って、注文したら1万5千円で注文買いだった為、買ったひふみ神示と言う神示が、今の感覚なら4~5万円したと感じる程だったけど、注文買いだった為断り切れず、購入したので、大事に持っておりましたが、この大事な時期に高価な書物で、出回らないとなると、日本はマスマス危うく著作権の心配も、本の内容から、大丈夫と、写本をブログにて、始めましたが、それ以前に何げなく思いついた、天皇とカトリック、カソリックの音楽に秘められた暗号の様な、内容を、もう一度見直し、練り直してブログに上げるなどの事をはじめましたが、とにかく、2019年7月は、不可解な、事件、トラブルに見舞われ、その時だったか忘れましたが、ATMでお金をいつも通りに降ろそうとしたところ、日本語表記でなくなっており、他の国々の知らない言語になっており、唯一英語だけが、目に付きましたが、英語もろくに知らない私は、降ろすのをあきらめざる、追えませんでした。それで、それ以後は、妻に任せています。とにかく、そんなことが、あって以来、作曲も出来ないような状況に追い込まれ、それでなくても、オタマジャクシの位置と、音の高さが分からない私が一曲伴奏を完成させる為には、非常な程の時間や、手間がかかります。和音も、コード進行というようなセオリーには従って創らず、実際にひとつ、ひとつ、聞いて自分の鳴らしたい和音かを確かめますので、時間が掛かります。途中で、妥協する時もありますし、付属機能で、簡単に作る時もありますし、他の方が、パンポットを工夫してつくられているのを聞いて、なるほどと、感心する時もありますが、例えば、ユーチューブのトピックチャンネルという、私のBIG UP! で契約した曲をもとに、ユーチューブのチャンネルとして出している、視聴回数の改ざん現場を幾度か見つけたり、友達に、私の曲を検索すると、候補が挙がらず、有料サービスに加入しなければ、見れなかったりするので、当然、その曲で、いくら、動画をあげても、チャンネル登録数も、視聴回数も上がりません。私は、ユーチューブや、様々な無料サービスなどは、もしかしたら、コマーシャルの料金の様なちっぽけな利益を建前に、もっと大きな魂胆あっての事ではないかと疑いはじめました。それと、ひふみ神示を手に取った時、手紙がひらりと、現れ、読むと、以前受けていた、訪問看護が、度々担当を変えるので、最終的に担当医から断りを入れて、止めたのですが、その時の所長と思われる人からの手紙だったのですが、只の患者に過ぎない私を補佐と呼んでいるのです。私は、ますます、この世の真相に疑問を感じ、一度なぜ、補佐と書いてあるのか、聞いてみようかと、病院で連絡先を聞きましたが、逆に怪しくも思え止めましたが、今その手紙がどこに消えたか探せば見つかるかもしれませんが、必要になれば又出て来るだろうと、探していません。又、私が、今の地区に元の病院の近くのマンションから引っ越してきた時、そこの病院(診療所)では、それまで、日帰り旅行とか、待合室にコーヒーの飲み放題のサービスがあったらしいのですが、私が、来る直前からそれらのサービスが、無くなったと言う話で、又、福祉の対応も、他の人は、色々と簡単に引っ越しが出来たり、ふたりで暮らす時には、部屋が、広い場所に引っ越せたりするのに、私に対しては、駆けずり回って、借りたお金で引っ越したことにさえ、文句を言いこちらが、精神的に病気である事もお構いなく、圧力をかけて来るなど、不自然な事が、多かった印象をうけました。

2020年2月10日~3月2日の入院によって知った霊的世界の欧米化とひふみ神示

私は、ユーチューブの私のチャネルページが、激安販売情報を流した性で、私に分らない方法で封鎖されている事実をつかみましたが、ユーチューブの運営するものなので、フェアでないとしても、文句を言える立場でない事を理解し、動画で、「組織を無視した個も成立しない」と言ったコメント流し、激安情報の動画を削除し、今回入院した病院の友達に、頼んで、回復しているか、確認してもらいましたが、その子のは、回復していて見れる様になっていましたが、私は、インターネット自体に実は、真実性を見いだせておらず、本当に、BESEでもたった一本も売れていないのか、レコチョクでも売れていないのか、不審に思っていました。しかし、一番の打撃は、ユーチューブの検索で、無料で、私の曲を見れない事実でした。外部視聴なのか海外視聴なのか、日本の視聴者として現れるアナリティクスより、そちらの方がはるかに多く、私としては、検索しても見られず、チャンネルページも封鎖されてしまったら、頑張る意味もありません。又ウソの多いこの現在は、国さえも信じられんせんが、インターネット自体への不信から全てを失望へとかえさせらました。上記で述べた、ひふみ神示は、まわりの守護神にも聞こえるよう声を出して読むようかかれてあるのですが、私は、昼間大きな声で、読み始めました。又、宣(の)るように、読む様に書いてあったので、わたしは、苦情が来るかも知れないが、その時私は、最後の賭けにでました。私は、真の神は命そのものと言うひとつの大きな働きであり、これにより、すべての、万物万霊が幸福の中へと導かれると半ば確信いたしておりました。確かに険しい道のりもあるかもしれない。しかし、無い方が良いなら、ないも、存在の内に無としてそんざいしている。とにかく、やりたいように、すべてを、気分、感覚にゆだね、理性や、知性などにゆだねず、それでどうなっても、良い方向に進むと信じ読みました。しばらくして、ヘルパーさんがふすま越しに、話しかけてきましたが、こばまず、ふすまを開ける事を了解しましたが、化粧の性か、悪魔の笑みをのぞかし、目にくまが出来ているだの、手の甲が膨らんでいるだの、行ってきましたが、わたしには、化粧顔が汚らわしく映りました。ちょっと、日数が経っているので、前後関係が、はっきり、しませんが、一階にいる時、妻とヘルパーが、入って来ましたが、その時、妻はいつものように、すっぴんでしたが、その中の霊がどう見ても、妻ではなく、近所の奥さんで、妻の霊が心配でしたが、何故か、私は、降参!降参!もう怠けたいねん!と口走りました。というのも、実は、私の、考えの中では、全体集合  I (アイ)と言う、算数で習う記号が示すとおり、私の世界における集合の記号、すなわち、象徴、中心は、私であり、同時に愛でもあり、もちろん、これは、別人から見た場合、その人の、(アイ)=わたし、つまり、その人でありますが、全体集合には、全てが含まれ、善もあれば、悪もあり、いわゆる、長たる神でなければならない、わたし、すなわち、あなたも、すべてを持ち合わせているのですが、今回、特に結婚後、怠け神に付かれたように、やれていた事が出来なくなり、その原因が、家にあるのか、何にあるのかわかりませんが、やれる事しかやれなくなり、今思い起すところは、日本神話のイザナミとイザナギの話で、はるか昔に聞いた記憶なので、間違えているかもしれませんが、確か、妻なるイザナミの住む黄泉の国を夫、イザナギが見た事が不和の原因だった思うのですが、日本の神は、穢れを嫌う神ですが、黄泉の国とは、汚れの国に当たる為、そこを見た、イザナギである夫が、恨まれ、不和が生じました。ここに来て、わかった世界のしいては日本の根本的問題の原因の一つは、穢れを悪いとする事による黄泉の国の不健全化です。すなわち、穢れを悪いとしなければ、暗い影は生じなかったのです。ひふみ神示によると、先祖の時代より修正せねば事は終わらんとあったと思うのですが、万国、万民、一律一平となる為には、良し悪し、貴賤を無くさん限り、そうならんし、天国も来ないと思います。下巻である方には、縦には上下があるが、横はデコボコあってはならん一律一平にするために、法律を減らせ、規則を減らせとあった様に思います。話は、飛びますが、妻から肚(はら)で話しかける声がしてきて、花札の猪鹿蝶のチョウであるアゲハなのか、「アゲハです」とくりかえします。この辺りは、妄想に入っていたのか、何なのか絶対とは言い切れませんが、わたしは、確かに口でも、そのアゲハであろう妻が、アメリカで65万の家があり、輸送費や、土地代の話や、収入源の話もしましたし、それを考えると、単なる妄想で妻がそんな話を持ち掛けて来るとは思えませんし、又、真空中で息を止めて置く練習もさせられ、それを続ける事によって、例えば、瞬間移動の様な事も出来る様に思えました。ふところで何をするのか忘れましたが、アゲハである妻としか思えない話も口で話ましたが、とにかく、アゲハには、非常なまでの恥をしのいで、妻を守ってもらっていたようですが、そのアゲハに言わせれば、大王である私が、用あって、人間である私の中に入っていると言う事でしたが、妻とは結ばれるべくして結ばれ、最も大事な思いでであるのに、サビついて、最も大事なものを失いつつある為に、もう一度生れて来たのだということでした。そのアゲハが、要求する褒美(ほうび)は、人間としての身体でしたが、その為には、妻と言う人格と、その中で働いていた、アゲハが繋がることでしたが、アゲハとは、元々、神なるア(はじめを意味する音)から、げ、つまり、下して再びハ長調のハであり、音の前の波長に戻る意味があると言うその時の理解でしたが、日数も経ち、その順序といきさつを、思い出せないのですが、元々の妻とアゲハなる妻と、どちらが、大事か問われ、元々の妻と成り、別途、褒美(ほうび)を取らせなくてはならなくなり、私は、私より、優れ、愛あるアゲハに、長の座を渡す事にOKしました。ところが、それは、出来ないので、新しい世界を作る事を許可する事になったのですが、時を止める事も出来るアゲハは、私にとっては、瞬間に世界を創って帰ってきました。そして、次は、あなたに、つまり、私に、世界を創る様命じてきました。なぜかと言うと、その苦労を、知って貰わねば、ならないからで、まず、その世界の華族の下の貴族に私を紹介し、その世界の理解を促しましたが、その世界には、マネーが存在しますが、真の危険、つまり、生身の苦痛は存在しないようでした。そして、最も巨額なマネーとして、素マネー(すまねぇー)が、私のようでした。その辺の事は、割愛するとして、ウィンドウズ10の最初の画像は、時間毎に、変化するのですが、世界を創る時に、表示されていた画像は、北極か、南極かの氷の世界で、私は、そこに、瞬間移動でもしなければならないのかと、考えたり、かなりの迷妄状態にありましたが、とにかく、そんな事は、どう考えても無理であり、そばで、寝ている妻が、妻なのか、アゲハなのか、わからない状態であり、話しをまとめ切れなせんが、とにかく、たとえば、泣き崩れると、途中でそれが、演技に変り、ウソになってしまい、自分が、ウソだらけであると気づきました。タイトルと、一致していないのでその事だけを述べると、日本は、既に、霊的にも、アメリカであり、逆に、アメリカが、実は、日本であるらしい事を、理解させる出来事、妄想、幻聴(耳で聞こえるのではなく、頭の中で語る声)により悟らされ、それ故か、ひふみ神示のブログの写本も、危険とそれ以前から、感じていたのか、ある原文を読んだ時に、とにかく、宇宙外に実在すると思われる、母のメッセージで、止める様にとの暗号を受けっ取った様に感じ、節分から、唱える祝詞を載せませんでした。それが、間違いであったのか、真相は、わかりませんが、とにかく、1階で大声を上げだし、当然、大家さんも来る事は、分っていたし、このままであれば、警察も来ることは理解しておりましたが、命の働きを信じ成るに任すしかありませんでした。大家さんについては、それ以前に2階で大声で、ひふみ神示を読んだ時に一度こられ、実情を理解されていると言う確信もありましたが、警察が来て、大家さんも来ていた時に大家さんに何か、話しましたが、その声が、大家さんの耳もとに届く時、大家さんが理解できるスピードと大きさに成って届いている様で、警察には、何を言っているのかは、わからないけれど、大家さんには、判る声として聞こえている様に感じられましたが、どのように、聞こえたかについては、私自身すら、わからないものでした。なぜ、大家さんだけが、聞こえたかについて、確信をもっているかと言えば、警察が、大家さんに何を言ったか判るか、聞いた時に、大家さんが、ちゃえんと聞こえているらしい事を返事していたからです。そして、警察は何故か、私と、記念写真でも撮る様に並んで、写真をとりましたが、その後、又、戦いの様になりましたが、なまけに徹せよと言う、暗示を受け、警察は、私を、車に乗せるのに、相当、苦労していましたが、その前に、私は、悪魔に魅入られた、と大声を出し、あげるように、悪魔を吐きましたが、出し切る事が出来らず、もがきました。とにかく、大騒動の後に留置され、しばらくして、おそらく、警察の方が、来て、悪魔がまだおるか?と聞くので、まだおるよ。と答えたためか、これまで、経験した精神病院とは、かなり違う病院で過ごす事になりました。それは、推測でしかありませんが、看護士の一部も組員で、その筋の人が来ても、ビクともしない病院の様に感じました。それと、保護室から出て、テレビで、コロナと槇原敬之の逮捕の事件が、連動するかの如く、流れていて、ダイヤモンドプリンセス号の隔離や、槇原敬之の逮捕劇が、デビュー30周年に合わせた様に行われたが、その逮捕劇のタイミングが、所持の事実にあまり関係なく、30周年を見計らって、大衆に何かを悟らせる為か、何かの合図の様に行われたとしか、私には、感じられなかったが、そこの病院にいて感じた事は、問題が、拡大するばかりで、自分は、あくまで、人間であり、自己の世界でどう言う存在であろうと、何か特別な、事が出来る訳でもなく、それどころか、この世に精通した人々と比べ、たとえば、ブランドについても、組関係の知識についても、フェイスブックの使い方についても、知らない事だらけで、自分にとっては、その様な知識に関心がなくても、それらを知らない事は、相手を理解出来ない事につながると、知らされたが、正直、それを勉強してまで、生きて行きたいとはおもえなかった。芸能関係や、地理的知識も、必要最小限で構わないとさえ思う。それらが、自分にとって大切な事でも、本音は、もういいから、全部なくなれとさえ思ってしまう程、わずらわしい。

結局、釈迦も認めた様に、自分が一番大事であり、その中に、時として、自分の命より、大事な人がおり、自分と同等に、大事な人がいるわけであり、それが、順序であり、どうでもよい人が、いる訳でもないが、関心の及ばぬ知識や、問題は、その関係者や、専門家に委ねて置くしか、一個人としては、面倒でしかないというのが、誰しもの本心では、ないのではないだろうか?

全てを背負い込もうとするが故、重荷になるのでありますが、組織は集団である為強い力となるが、組織ゆえ、その分本音を曲げたり、上下関係に苦しむ事にもなり、不満が生じたりするのであるが、組織と言う形態、構造ではなく、協力を求めあう、連絡、共有、交換、などが、お互いの事情にあわせ、無理させる事無く、勝手きままに出来れば良いのだが、人間のさがが、恩をきせたり、グループ化して新たな上下関係を生んだり、派閥闘争を生んだりして、結局、協力体制を強めるどころか、分裂を生じさせてワヤにさせてしまうのだろう。と私には思えます。

裏の世界の真相はわからないが、だましであったとしても、万が一の為に、寄付する行為は、良い結果をもたらすと信じる。

裏の世界がどれほど、世界を牛耳っているかはわかりません。ですから、人の情けに付け込んだ寄付が、ないとは断言出来ません。ですが、たとえば、赤十字や、日本ユニセフや、人身売買を防ぐための寄付に自分の痛くない程度の寄付をすることは、たとえ、騙しであったとしても、良い結果をもたらすと私は、信じます。なぜなら、自分が困るならば別ですが、命という働きの上で、それらの思いは通じると確信するからであります。逆にこれを、無視した場合、その痛手は、心に刻まれ、手を貸せたのに貸さなかったと悔やむ気持ちを残すからです。ここで、これを見たワルが、便乗して、そう言う手口をどんどん仕掛けて来るかもしれず、なおさら信じられない世界へと変えるかもしれませんが、正義も又立ち上がり、それを潰しにかかる機能が働き、実態調査の手が伸び、事実上の真相を正しにかかり、たとえば、人身売買を無くす様に機能を強め、実際の人身売買を撲滅させる方へ動き世界はより良い方へと向かうはずです。そして、その様な手口で儲けていた人たちも撲滅させられて行きます。

仮にこの世が悪にまみれた世界だったとしたら、この世は滅ぶか、そのたぐいの人たちだけの戦場となり、自らが苦しむ目に会います。

我々は、永遠に生きる魂であり、蒔いた種は自らが刈らねばならない摂理は、嫌が上にも働きます。それは、国とて同じであり、それ故、キリスト教では、許し合いなさいと諭(さと)しているのです。キリスト教でも様々な宗派があり、自分達の宗派こそ救われると思っているなら、救いは、来ないでしょう。又、キリスト教だけが救われると信じていても同じでしょう。なぜなら、自分達だけが、救われればよいと、思う様に聖書に載っているでしょうか?キリストは、神が自らの責任を果たすための贖いとしてキリストをお立てに成ったのであり、神は、神の歓喜の息を人に吹き込まれたのであって、人の罪の絶対的責任は神であり、全ての人が、喜びに帰る事を望んでいるはずであり、その名が崇められる事を願っているとするなら、神の座から地に落ちても自業自得です。万物万霊の幸を願ってこそ真の神であり、神の名に、愛の名にふさわしいはずだからです。

十戒で殺すなかれと言いながら聖戦の名の元に、女、子供まで滅ぼした矛盾を説明出来ますか?この問いはキリスト教信者がそれを理解しているかのテストです。

この問いはある意味、常識を超えないと説明出来ません。

まず、神と肉との関係を理解しなければ、この説明をする事は、無理です。実際私も、この説明が、真実であるかは、真には、はなはだ疑問です。しかし、それ以外に、この矛盾を埋め合わせる答えが見付からないので、本当は、苦し紛れの答えです。

肉である我々は、実は、神の入れ物に過ぎず、死、それ自体には、問題はないのです。こう言うと、それなら人を簡単に殺してもいいのか?と言うことになりますが、創造主である神は、実は歴史をも創造しているわけですが、それ故、聖書における、ユダヤに関する預言は、ことごとく、成就し、イスラエルであるユダヤ人を呪うものは呪われ、祝福するものは、祝福されると言う預言通りに世界の歴史の興亡は、その通りになっています。

女、子供、まで殺す聖戦は、残酷ですが、それは、今の我々の感覚であり、たとえば、日本においても戦はあり、日本においては、殺される前に、女、子供は、自決してその国のすべては、皆共に亡くなりました。それは死ぬ事で生きる事を選んだのです。つまり、昔の感覚において、肉の死は、真の死を意味しませんでした。

共に死す事は、共に生きる事であったのです。それは、もしかしたら、べつの世界で共に生きる事を意味していたのかも、知れません。

ある時、ユダヤであるイスラエルが、おびえを感じ撤退し、私の記憶が正しければ、金を戦利品として隠し持っている者が有ったためだと、くじを引き、誰であるかを調べました。そして、その犯人がわかり、石で撃ち殺されました。つまり、聖戦であって、戦利品を取る事は、それに反する為、おびえが生じて勝てなかったのです。

つまり、当時の聖戦とは、この世の神の選民であることを、示すための歴史的物語りとして描かれたストーリーであり、神は脚本家であったのです。そして滅ぼされた、街々の人びとは、ドラマの役者的存在であり、真の不幸はそこには、存在していなかったのです。

又、住み分けと言う考えもあります。もし、女、子供を生かして置けば、その人達は、はぐれ者に成ってしまい、逆に不幸であったのです。命がおしくて、その街を捨て、イスラエル人を案内して救われた、話しも、載っていますが、その人達は、その街と縁を切り、イスラエルの側に付きましたが、それは、その人達の選択であり、街から見れば裏切りですが、イスラエルの味方を選んだ人たちであり、それをもって、悪いとは、言い切れません。

命と言う真の神と音気(おとぎ)の国の神アラーについて!

これが、私の考えた矛盾に対する答えですが、私自身はクリスチャンではありませんし、私が考える神は、創造主や、その他の神々、日本の神々の存在も否定しませんが、真に神と考えるのは、パーソナルを超えた存在そのものが持つ命という働きを神と考えており、パーソナルである神、神々は、人に直接導きを示すために、命の働きが、指名して宿した人格神であり、宇宙外マトリックスでさえ、この存在そのものの命と言う働きに教育されているあるいは、制御されていると信じています。この命の働きは、万物万霊が幸あるべく指導しており、その意味において、人格的でないと言えない部分もありますが、絶対的機能として働いており、自己の責でない不幸は真にはなく、自己の責における不幸も、学びの過程として存在するものであり、本質的には、「ない」より「ある」方が良い故に、存在するのであり、真に「ない」を良しとすなら、「無」というクリアーによって、「無」が嫌に成るまで「無」でおらせると信じますが、「ある」を知った我々が、無限に「無」でいられるはずはないとも、考えております。又、この命の働きと言う神に最も近い観念は、私の中では、イスラム教に言うアラーではないかと考えており、あるユーチューブの動画にも載せましたが、アラーは、普段は、「音無し意」つまり、おとなしい神でありますが、その時がくれば、荒ぶる神であり、それ故、その民は、「あらぶ」と呼ばれ、又、時間が来れば大きい音で時を知らせる「アラーム」の語源に成ったと考えており、「音気」つまりおとぎの国の神でもあり、時間を司る神でもあると考えています。イスラムの言葉で、たぶん、「イーシュワラー」であったと思いますが、「神の召すままに」と言う言葉があり、運命を、神に委ねて生きると言う信仰が、その心情であると私は、理解しておりますが、アラーと言う言葉は、アと言う音は、「はじめ」のいみがあると考えており、日本の50音でもアイウエオの最初であり、英語のAも a penのように、アと読めますように最初の音は、アであったと考えておりますが、それは、無から神が目覚められた時、「あっ」とご自身の存在に驚かれた、言葉では、ないかと推測するのですが、アラー、はその後不思議を感じ「あら~」と思われた言葉ではないかとも考えておりますが、ア、のラー、つまり、最初の太陽神(ラーは太陽神の意味が当たはず)の意味もあり、又、日本語のア列である言霊としての神、ア等(ら)つまり、ア達の意味もあるのではないかなどとも考えております。 アラーは、唯一神であり、その意味でも命の働きと言う神に最も近い神の様に感じます。

神はある意味、人間の観念に過ぎないとも言えますが、初めに言葉ありき、その言葉は神であった。の意味を考えるなら!

言葉は、元々、音(おと)でありますが、確かに手話による話もありえますけれども、音(おと)であれ、字であれ、手話であれ、意味を表現すると言う意味においては、すべてが、言葉であり、意味を表現する言葉があって、考えると言う行為や、知ると言う経験が成り立ちます。         その内でも、言葉による考え方は、微妙な意味の違いを説明したり、考えたりする時、言葉による考えは、論理と言う筋道だてた、考え方をするのには、最も適していると考えられます。たしかに、プログラム言語の方が、矛盾をきたさないかも知れませんが、矛盾をきたすが故に、発展、発達が、出来るとも考えられ、コンピューターですと、エラーは、それ以上考えられません。エラーは、エラーとして片づけらてしまうのか、それとも、そのエラーをコンピューターは、解析して、エラーの原因を突き止め、その原因に対し、別の角度から、考え治せる能力があるのか、プログラムを理解しない私にはわかりませんが、言葉がなければ、今味わっている経験について、表現を持たず、その意味について理解することは、出来ないはずです。    たとえば、痛みについて、魚たちも経験しているはずですが、もがく事しか出来ず、痛いと言う理解に及ばない為、想像でしかありませんが、痛みを感じてないといえる、経験なのかもわからないと言えるのかも知れないと言うことです。というのも、我々は、人間ですから、すぐに、痛いと言いますが、苦痛を苦痛と理解せねば、頭が、パ二クルだけで、何が起きているのか分からないのです。                         とにかく、言葉とは、それを表す表現であり、言葉なしに、それが、何であるかは、まず表現できなければ、その意味を考える事も、理解する事も、出来ないと考えられ、確かに、言葉は、時と共にその意味すら変わる事もありますが、理解の始まりは、言葉であり、確かに、言葉が、音によらず、現象によって理解する事も出来ない訳ではありませんが、現象を現象によって、理解する事だけでは、中々、複雑な論理、理論は、理解しづらく、身体で覚えると言う方法もありますが、言葉の様に多様な理解には、達せず、抽象的理解に留まり、具体的に、その意味を理解することは、難しいと思われます。又、その理解を伝えるのにも、言葉なしでは、伝えきれず、言葉を持ってしても、難しい概念を伝える事は、無理であり、又、正しく伝わったか知るすべもありません。                        タイトルに上げた様に、神は人間の観念上の存在かも知れませんが、その観念が頭脳の中で具体化し、それが、実在へと変わる事もあることは、自己の内部が、外界へ投影されると言う事実上の心理的作用が認められると思われるからであり、科学と言う今日の日本の社会通念では、否定的に排除されがちですが、世界と言う舞台においては、たとえば、先に述べた、イスラエルに関する預言の成就は、欧米諸国では、事実上の歴史認識であり、又、アラブにおいては、科学を上回り神の存在は絶対的であり、GHQによって骨抜きにされた日本と共産国くらいが、神をおざなりに科学を信仰していると言って過言ではないでしょう。

宇宙はビッグバンにより始まったとされていますが、一体宇宙はどこに発生したのか?

と問い直すとき、存在において、「ない」はありえず、ソースである「無」すなわち、すべてが、あるがゆえに、「ない」様に映る無の中に発生したと考えられます。この時空と言う次元の「無」は、いわゆる「場」のごとき、広場であり、そこに、有なる時空が発生したとは、言い換えれば、「無」が分裂したと考えられ、もし、ビッグバン以前には、空間自体なかったとするなら、つまりは、無次元より発生した事を意味するのであれば、無に有なる点がまず生じなければならない事になるが、無に、有なる点を生じさせるには、無と質の違う領域が、生じなければならない事を理解されるであろうか?点が、無と同質であれば、認識できる点は存在できない。量と言う単位を持ちはしないが、区別されるべき領域を持つ、無と質の違う領域が生じ、有なる点が認識可能となり、この領域が、線となる為には、軌跡を残し移動して線となり、面と成るためには、線の領域が、隙間なく、面となる量を伴う、領域を創り、この面が、領域に隙間なく、立体としての量を伴う領域を創り空間を形成しなければ、空間は、生じない。空間が、何故、空であったかと言えば、立体と言う無は、空とは逆に全てがあるが故、無である為、詰まった状態であったと逆説的に考えうるが故、それと質的に違う立体が、空であったと考え得る事ができます。つまり、時空は、無に開いた穴であり、宇宙外マトリックスを含め、有なる時空の外の無は、空とは真逆の詰まった無限の領域である可能性も高いと考えられます。全てである無から、分裂した一部の要素が、認識可能な有であります。宇宙が有限である事は、宇宙は無ではなく、有であり、無から識別された存在であり、その具現が真空であるなら、真空は、無なるものではなく、有なる、無から分裂した一要素であり、立体の無について、我々は、知っていない可能性が高く、我々が想像している無とは真逆的な存在である可能性が高いとも考えられ、この時空に立体の無に相当するものが、存在している可能性は、考えられません。そう考えると、立体の無は、逆に詰まった物である可能性の方が、高いですが、大地の様に固まった物でも、太陽の様に燃えている物でもなく、想像も出来ない物の様に思われます。

面倒では、御座いましょうが、お心使いお願い申し上げます。発表する場合が、ありますので、匿名希望の方は、匿名とお申し付けください。