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私の人生の軸「畏敬の念」~実は小学校から学んでいた悩み解消の武器だった~
私は2018年に東京ドームで開催された
Taylor swift さんのライブに参戦しました。
今か今かと登場を待っていると、照明が暗くなり、音楽が鳴り、
会場のボルテージも上がる・・・・・・・・・でもまだ来ない。
焦らされて、焦らされて
一曲目のスタートとともに
彼女が登場した瞬間
全身に
鳥肌が「ぶわぁぁぁぁ」と立ちました。
私にとって一番記憶が鮮明で、
今思えばあれが畏敬の念だったのかなと強烈に思うエピソードです。
そんな畏敬の念とはなんぞやと調べると
想像よりも容易く、日常的に感じれるものだとわかりました。
そして対人関係の悩み解消への糸口にもなり得ることも。
最後までお読みいただき、身近なエピソード等ありましたら、
ぜひコメントしていただければ幸いです。すきも!
鈴木祐さんの『最高の体調』
私が社会から離脱して、体調を整えるために読んだ本の中で
「畏敬」という言葉に出会いました。
心理学でいう「畏敬」とは、なにか自分の理解を超えるような対象に触れた際にわきあがる、鳥肌が立つような感情を指します。
その対象はなんでもよく、極地で壮大なオーロラを目の当たりにしたとき、オリンピックでランナーが新記録を出す瞬間を見たとき、まったく新しい発想のアートに触れたときなど、心の底からすごいと感嘆できれば、それは「畏敬」です。
たしかにウサイン・ボルトさんをテレビで見たときにも感じたかも、、
なにかに畏敬を感じると、私たちは自分の小ささを思い知らされ、より大きな存在の一部になったかのような感覚を得ます。森のなかにひとりでたたずむときや、壮大な音楽に没頭しているときなどにふと訪れる、あたかも自分と外部の境界があいまいになったかのような、あの独特な意識です。
葉加瀬太郎さんのEtupirkaを聞いた時も、、
畏敬の対象は個人の感性で大きく変わります。人によっては、風に舞うビニール袋、赤ちゃんの笑い声、深夜の誰もいない町の光景などに畏敬を感じるケースもあるかもしれません。
3つの引用がpp.180-185に含まれています。
もしかしたら、天気が良く清々しい、青空の日に外に出て
風に身を委ねていたあのときも、畏敬を感じていたのかも。。
はたまたプールの授業後の国語の時間、外から入ってくる風に流されて夢の世界に、、これはただのエモい話でしたかね?笑
でもほらね?意外と日常にも潜んでいると思いませんか?
あなたにもそのような経験はありませんか?
もしあればぜひコメントしていただきたい
温かい空間で会話するようなブログがモットーの
畏敬コレクターとして
些細なエピソードもぜひお聞かせ願いたい
小学校の道徳で重点的指導項目になっている
いくつかの論文に目を通していると、
文科省の定める学習指導要領の引用が多々見受けられました。
その内容はというと、
小学校1年生から感動や畏敬の念を感じるように
各学年での目標が組まれているのです。
内容項目とその概要
〔第1学年及び第2学年〕
美しいものに触れ,すがすがしい心をもつこと。
〔第3学年及び第4学年〕
美しいものや気高いものに感動する心をもつこと。
〔第5学年及び第6学年〕
美しいものや気高いものに感動する心や人間の力を超えたものに対する
畏敬の念をもつこと。
児童の心を育む上で、自然や文学作品など美しい風景や人の心の奥深さに触れることが重要である。
学校では自然体験や読書、映像などのメディアなど、自然物人工物と区別なく、美しいものや気高いものに触れる機会を多く提供すべきであり、それが感性を養う重要な役割を果たす。
指導の要点
特に第5・6学年では、真理を求める姿や自分の可能性に
無心で挑戦する人間の姿に心を打たれたり、
芸術作品の内に秘められた人間の業を超えるものに気付いたり、
文学や美術、音楽などを通じて感動や畏敬の念を深める指導が求められる。
これにより、児童は感動や畏敬を通して自分自身や周囲の世界を
より深く理解し、豊かな人間性を育んでいくことができる。
実は中学校でも
光田さんの書かれた論文では中学校の学習指導要領内容から
人間は自然と親しみ、自然の生命の美しさや気高さ、神秘性に触れることによって、自らの有限性に気づかされることがある。その自覚は、「とかく独 善的になりやすい人間の心」を省みさせ、改めて謙虚な心で自然に対しようという態度を培う。それとともに、いっそう豊かに、自然の生命に素直に感動する心もまた育んでいくという のである。
そうです。
自然や人が創り上げたもの、そして人自身に対して畏敬の念を感じる心を
習得すると、自分の小ささを感じ、省みる効果があるようです。
そして謙虚になる。
畏敬の念を感じることは人間関係改善に繋がる?
レジのバイトをしていてさぁ…学校のグループワークなのになぁ…
会社でコールセンターをしていてね…社内会議中にね…取引先の人がね…
家族にね…
道徳感の欠けてる人がいる。
ありますよね。わかります。
畏敬の念を感じることには内省の効果がある。そして謙虚に改まる。
そんな人でいっぱいの世界になったら嬉しくないですか?
私含め多くの人が畏敬の念を感じる世界にしたい。
ぜひコメントいただけたら幸いです。
次回への展望
2つに分けようと思います。
1.人間関係改善以外の畏敬の念のメリットについて。
うつ改善もありました。少しラフな文章で。
書きました!
2.より深く畏敬という感情自体について学ぶ。「畏敬」「尊敬」「敬愛」「恐怖」という言葉の関係性についてなど。少し堅めな文章で。
書きました!
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