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「命は尊い」を考えてみた――仏教、日蓮、法華経

「命は尊い」。
「平和が大切」もそうですけど、「(乱発されると)何も言っていないに等しいこと」ってありますよね。言われ続けるとイライラするときもある。
仏教書を読んでいて、これについてすごく示唆的な一節を見つけました。

「生きることは苦」といういさぎよい真理

仏教の基本的な教えである「四聖諦(ししょうたい、四つの高貴な者にとっての真理)」の最初である「一切皆苦(いっさいかいく、一切は苦である)」について考察されたところです。「苦諦(くたい)」といいます。
引用が少し長いですが、お付き合いいただければ幸いです。

「生まれてきたことは尊い」、「生きてゆくことほどすばらしいことはない」と発言するとき、それはいったい、どこのだれのことを言っているのでしょうか。意識さえ芽生えていないような生まれたばかりのいのちが、戦火や飢餓や病に無残に滅び去るとき、無言のまま潰え去ったちいさないのちに代わって、そのひとは人生のすばらしさを語っているというのでしょうか。
しかも先に述べたように、ほんとうに苦しみに立っているひとにとって、うつくしく理想化された人生の積極的意味を吹聴されることは、まったく不可能な夢、まぼろしの世界への移住を強制され、それができなければ無意味に滅ぶしかないという、最後通牒を手渡されるにひとしいものです。
生まれてきたことが尊いこと、生きてゆくことがすばらしいこと、これはさまざまな他者とともにあるこの世界では、実現されるべき世界であって、すでに実現している現実ではありません。理想と現実、自己と他者にはかならず相違があり、この相違の存在こそが現実のありのままのすがたです。たとえそれが残念な事態であり、受けいれがたいものであっても、これこそが、すくなくとも問題を真摯に見つめるものたちにとっては、出発点となるべき事実です。だからこそ釈尊は、この事実を〈第一の真実〉として説かれたのです。それはなにより事実を事実として認める〈いさぎよい〉姿勢であり、まさに〈高貴な〉真実ということばがふさわしいものです。(下田正弘『パリニッバーナ 終わりからの始まり』NHK出版)

仏教を学べば何度も耳にする「一切皆苦」。正直私は、この意味がいまいちしっくりきませんでした。というか、白状すれば、そこにどうしてもつきまとう悲観的なイメージをぬぐい切れなかったし、理解を避けていたということです。

当たり前ですが、赤ちゃんは、一人では何もできません。親や保護者がいなければすぐに必ず死んでしまいます。無償の愛がなければいとも儚い存在です。(あの泣きわめく赤ちゃんが生きる世界は「一切皆苦」になってるだろうなと、記憶にございません自分と重ね合わせてみる。あ、これけっこう大事なことだったり)。上に引いたように、いとも簡単に亡くなっていく命がある。それを私たちは、日々見聞きしています。だからこそ私は、安易にあるいは声高に「生命は尊厳だ」と言うことの欺瞞を感じざるを得ませんでした。

現実に生まれてきたことが尊くならしめる努め」なくして、この言葉を使うのは、暴力にすらなりかねないのではないか。そして実際にそのような事態に遭遇した時、何もできず、押し黙ったまま、あるいは無視してしまうかもしれない。しかし一切皆苦という現実に真摯になるなら、何も言えなくてもできなかったとしても、「つながること」を恐れずに模索するのでしょう。

死にとまどう日蓮の手紙

そのことを痛感したのが、私が信奉する鎌倉時代の仏教者・日蓮(1222-82)と弟子との手紙のやり取りです。日蓮の門下・弟子のなかには、家族を亡くした者への手紙が多くあります。この尊い命が不条理に亡くなっていく現実に、日蓮はどういう反応を示し、どういう態度を取ったのか。

私には忘れられない一節があります。日蓮の弟子に南条時光という武士がいました。彼は弟の五郎と一緒に、当時日蓮が住んでいた身延山(山梨県)を訪れたのでした。立派に育った弟子を喜び帰してから3か月しないうちに、当時16歳だった五郎が突然の死を迎えます。訃報を知った直後に日蓮が南条時光に送った手紙の一節に、こうあります。

人は生まれては必ず死ぬという定めであることは、智慧のある者も愚かな者も、上下万人が一同に知っていることですから、その時になってはじめて嘆いたり驚いたりするべきではないと、私も心得て、人にも教えてきました。しかし、実際に五郎殿が亡くなられたという時にあうと、夢か幻か、いまだに区別がつかないのです。ましてや、あなたのお母さんが、どれほど嘆いていることでしょう。(中略)本当のこととも思えないので、これ以上書きつける気分にもなれません。
私訳。「上野殿御書」。『日蓮大聖人御書全集 新版』(池田大作監修、『日蓮大聖人御書全集 新版』刊行委員会編、創価学会)1903ページ、『新編日蓮大聖人御書全集』(堀日亨編、創価学会)1567ページを参照。

日蓮といえば、為政者や他教への鋭い批判や自負するところを宣言する口調から、戦闘的なイメージが根強いかもしれません。しかし今日まで残る遺文の多くは弟子への手紙であり、そこには上に挙げたような、驚くほど対蹠的なものがしばしば見受けられます。

私なりに最初に引いた書に引き寄せて思いました。日蓮のこの態度は、「苦諦」を知っていたからこそなのではないか。知っているからこそ、真摯に向き合うからこそ、このような訥々とした、戸惑いを隠しきれない、一人の人間としてこう書いたのだろうと。

そしてほかならぬ日蓮自身、自分の弱さ、儚さ、つまり「人の助けがないと生きていけない」ことを何よりも自覚する立場に身を置いてきた。出家の身として、供養なくして、人里離れた身延山で暮らしていくことは到底できない。

あるボサツの修行

少し話題はそれますが、日蓮が根本とした経典「法華経(ほけきょう)」には、この経の教えを実践する菩薩の人物像の一つとして、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、常に軽んじない菩薩、不軽菩薩とも)が登場します。釈尊の過去世の姿として描かれており、日蓮は彼を修行のロールモデルとしました。(菩薩とは、自ら悟りを得ようと同時にあらゆる人を成仏へと導こうと誓いを立て、その成就に努める修行者のこと)

不軽菩薩は会う人会う人に礼拝し、「私はあなたを軽んじません、なぜならあなたは仏になれるからです」と言って回った。「なんでお前に言われなきゃいけないの?」と罵られながらも。石を投げつけられ木で打たれれば、ひょいと逃げて遠くからまた同じことをさらに声高に言ったのでした。(「妙法蓮華経」を参照)

ここで冒頭の「命は尊い」のくだりを思い出していただきたいなと。法華経は、(釈尊が亡くなった後でも)誰もが差別なく仏となれることを明かした経典です。しかし、ここでも「仏って何?」と問われて、まさか「尊極な境地です」とかと答えようものなら、それは「何も説明していないに等しい」。

不軽菩薩は、上に書いたような自分の行動なくして、教えを振り回すのは意味がないことを知っていたのではないか。それを実行しなければ私自身の修行が完結しない、仏教の真理を得ることができないという自覚があったのでしょう。私は、何かしらの真理といったものは、こうした対人はじめ何らかの関係性の淡いに成り立っているとみたい

「生きることが苦である」という、いさぎよく、また高貴な真理は、人を真摯にせずにはおかないし、そのことを改めて日蓮の遺文から感じ取りました。■

写真は金沢にて。一日に三回も虹に出あったのは生まれて初めてでした