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studyとlearnの違い。 3月20日を受けて

3月20日は、オウム真理教による地下鉄サリン事件から25年となります。
そこで、昨年6月に発刊された、ジャーナリストの江川紹子さんによる『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち』(岩波ジュニア新書)を紹介したいと思います。私は発売と同時に買いました。それは、ふと「あの時」の記憶や感情を整理したくなったからです。

この問題はニュースを見るだけで終わらせたくないので、昨年ブログに書いたものを加筆して再掲しました。なお江川さんの最近の記事はこちら

教室での体験

地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教事件は、私が小学生の頃に起きました。当時通っていた小学校では、授業中にテレビ(当時はブラウン管)をつけて、山梨県上九一色村のサティアンに警察が捜査を開始する報道をクラスみんなで見た記憶があります。それは担任教員も含めみなで、数奇なものをちゃかすような雰囲気に包まれていたように記憶しています。

30代、私と同世代なら、物心つく頃に「ポア」とか「サティアン」といったオウム関連の用語を面白おかしく連呼するクラスメートがいたことでしょう。それ自体は子どもの反応として是非もないのですが、この世代に宗教アレルギーを植えられた面は否定できません。

本書はオウム事件をカルト、マインド・コントロールの問題から追究し、さらに無期懲役が確定して服役中の元信者の手記を載せています。中高生向けですが、事件をリアルタイムに生きていない世代の大人にとっても一連の事件を概観する上で良書です。リアタイ世代の私は「あの時」何が起こっていたのか、当時の印象とすり合わせながら読むことができました。また高学歴の若者がなぜオウムに傾倒したかという問いは、いつまでも立て続けられることでしょう。

で本題

今回注目したのは、著者・江川さんがダライ・ラマにインタビューした時の一節です。

私は以前、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王に、まっとうな宗教といかがわしいカルトの見分け方を聞いたことがあります。オウムは、チベット仏教の知識を取り入れ、麻原がダライ・ラマ法王などと一緒に撮った写真を宣伝に使うなどしていたからです。
ダライ・ラマ法王はこう言いました。
「studyとlearnの違いです」
studyには「研究」するという意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語の表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。
「studyを許さず、learnばかりさせるところは、気をつけなさい」
一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です。(前掲書)
*本書では「カルト」を「宗教に限らず、何らかの強固な信念(教義、思想、価値観)を共有し、それを熱烈に支持し、行動する集団」の総称と定義づけています。(前掲書191頁参照)

「studyさせない」はどう発生するか

「疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することをさせない」人や組織は危ない。そういうstudyをさせない圧力をカルト的要素とするならば、それはどのようにして発生するのでしょうか。少なくとも、わかりやすい形では起こらない。そっと忍び寄ってくることを、オウム事件は教えている。

疑問を持つことから考えてみます。例えば、
①疑問や質問を受け付けない、させない。これはわかりやすい。
②質問されても答えない。これもわかりやすい。「能力的に答えられない」場合もありますが。
③答えをはぐらかす。これもよくありそうなことだけど、それは④⑤のように訪れるでしょうか。
④答える質問を限定する、答えたい質問にだけ答える。「それについては答えない」「これについては聞くな」とか。ん、結構わかりにくい?
⑤疑問や質問を抱くこと自体は肯定しているようで部分的に否定する。「そういう疑問を抱くのはおかしい」とか。やり込められちゃう?
⑥質問されたら質問で返してくる。
⑦定義のすり合わせのできていない内輪な用語ばかり使う。
⑧問題の原因を単純化して「答え」を安易に導き出す。(上記、江川さんの記事で言及されていました)

などを思いついてみましたが、他にはどうでしょうか。問題は、①から⑥等がバーバル(言語的)に簡単にはやってこないこと。ノンバーバル(非言語的)にその場の空気や雰囲気として形成されていった場合、①すらわかりにくくなってしまう。態度、表情、仕草......。
(問答は、答える側のみならず質問する側にも誠実さが要求されますが、今はそこまで立ち入らない)

いろんな対策はありますが、「その場で判断しない」「持ち帰る」「立ち止まってみる」。「自分で判断させなくする」のがカルトの狙いでしょうから。
カルトというと耳慣れないかもしれません。しかしこれは、閉鎖的なコミュニティで起こりうる問題として、いじめやハラスメントと地続きといえます。

さて、事件で死刑が確定したオウム真理教関係者13人のうち、教祖の麻原をはじめ7人は2018年7月6日に死刑が執行され、さらに同月26日に残りの6人も受刑しました。本書もこうした事件に関する一定の区切りを受けて発刊されたと思われます。■

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