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まんが「女子無駄」からの河合隼雄

女子高生の無駄づかい』(ビーノ作、角川書店、現在7巻)という漫画を読みました。通称「女子無駄」。昨年の夏にテレビアニメ化されましたが、面白いので原作にも興味をもちました。都立さいのたま女子高等学校に通う女子高生の日常を描いたコメディ。

どんなまんが?

普段、「どんなマンガを描いているんですか?」と聞かれた時に、いつも返答に困るのですが、「うまく説明できないけどなんか面白い」をテーマに、今後もマンガを描き続けていきたいです。(第1巻のカバー折り返し)

こう原作者・ビーノさんが述べています。主な登場人物は

バカ[田中望] 型破りな問題児
ヲタ[菊池茜] 恋多き漫画家志望(BL好き)
ロボ[鷺宮しおり] 無機質系天才少女
ヤマイ[山本美波] 重度の中二病
ロリ[百井咲久] 反抗期中の良い子(見た目は小学生)
マジメ[一奏] 体と頭が弱い優等生(無自覚系モテ女子)
リリィ[染谷リリィ] 小悪魔百合少女
マジョ[九条翡翠] コミュ障のオカルトマニア。妹の琥珀も頻出するが主な登場人物ではないようだ
(第2巻カバー折り返しを参照)

彼女たちの人間関係は、「相手の言動を否定しながらもその存在を無条件に肯定(祝福)できる関係」とでも言えそうで、そんなシーンが自分の旧友との思い出や郷愁すら誘い、心地よく読めました。 

からの友人、仲間、同志とは

コメディって鋭い人間観察が現れると思うのですが、「女子無駄」を読んでいて、心理学者・河合隼雄(1928-2007)の『大人の友情』(朝日文庫)の一節を思い出しました。同窓会で旧友と話すと昔話ばっかりになるというくだりから、友人、仲間、同志について述べています。

人間が社会のなかで生きてゆくためには、それ相応の「衣服」をまとっていなくてはならない。衣服というよりも「鎧」と言うべきだと思うこともある。それぞれの地位や役割があって、それにふさわしい行動をしなくてはならない。しかし、友人の間では「鎧を脱いで」も大丈夫だ。そんなことで守らなくとも、お互いに共有するものが支えとなり、安心できる。ほっとしたり、慰められたりするのである。
しかし、そんな傷のなめあいみたいな友情では発展性がない、という人があるかもしれない。それこそ、過去にばかり目を向けるのではなく、未来に向かってゆくような友情はないのだろうか。共有するものとして、「目的」とか「理想」なんかをもってくるとどうだろう。この場合は、未来志向である。
しかし、このようなときは、仲間とか同志というのがふさわしく、必ずしも友人というわけではない。なぜだろうか。確かに目的や理想を同じくする友人もあるが、友人とは言い難いときがある。それは、目的や理想が先行すると、それに基づく評価ということが入ってくるからである。目的や理想に反したり、それに対して非力だったりすると、仲間からはずされる可能性が出てくる。それは「まるごと好き」というのではない。
友情を支える互いに共有するものが、目的や理想でないとすると、それは「生きていること」とでも言いたくなってくる。「お前も生きているのか、俺も」と言いたいような感じ。「お互い、生きててよかったな」というものが伝わってくる。こうなると、目は未来へも向かうだろう。別に共同で仕事をする必要はない。(前掲書)

「友人」とか「仲間」とか「同志」という言葉は、射程の捉えにくいものです。「女子無駄」の人間関係こそ仲間と言えますし、友人関係というより友だち関係というか、ちょっとした言葉遣いですが、人によりニュアンスが変わりやすい(テレビアニメ最終話の題名は「なかま」)。
その上で、河合はうまく言葉を言い分けています。その難しい人間関係の微妙な距離感を「漫画だからこそ出せる!」と思える漫画は優れた作品ですし、「女子無駄」もその一つです。(それをコマ割りとか視点で描くのがうまい)

テレビアニメ第10話冒頭で、バカがヲタとロボに「あのさ、うちら友だちだよな」というセリフがあるのですが、急に妙に不自然だなと感じながらも、そこからいつもの展開になるあたり、上記引用をハッと思いついたのでした。

人間関係に疲れていた時に出あい、元気をもらっている作品です。以上、引用の無駄づかい。(言ってみたかった)■

追記(5巻以降、ネタバレ注意)

彼女たちの担任はワセダ(佐渡正敬)というあだ名の数学教師で、プライベートでは「低所得P」という名でボカロPとして作曲しており、ヲタがその低所得Pのファンです。

第5巻では、ボカロPのイベントでワセダが低所得Pの正体が自分だとヲタに明かす回があります。その話し自体美しいのですが、イベントブースでワセダの隣の席に汗をかきながらフーフー言ってるデブが出てきます。いよいよヲタがワセダのブースに来てしまうという流れの中で、このデブがワセダにちょいちょい意味のわからない例えを使ってきて、うざキャラを演じています。

美しい邂逅といった真面目なメッセージは、受け手の心が柔らかく開いているか、受け手に事前の覚悟がないと、うまく伝わらないことがあります。この辺り、単なる美しい話に終わらせないコメディタッチの演出が読者の心を軽くし、ヲタを失望させないか葛藤するワセダ、大好きな低所得Pの正体を知った後のヲタの気持ちの揺れといった、お互いを思い合うシーンがスッと心地よく読者の心に入ってきます。作者の腕の素晴らしさを感じました。この辺りが、小説など文字とも映像でも映画とも違う、漫画の魅力でしょう。

6巻は5巻から話が続いているのですが、私は前巻からしばらく間を置いてから読み始めたためか、冒頭から吹いてしまいました。
単行本化にあたり連載の順番をバラバラにしているとのことですが、読み進めるに、キャラのやり取りに磨きがかかっていて、変わらずの面白さです。(特にヤマイ×ワセダ回と巻末書き下ろしヤマイ×マジメ)

すでにツボがインストールされていますので、7巻もキレッキレの内容。読み終わるのが惜しいくらいでした。

テレビアニメについては原作をどのように編集しているかという点で鑑賞しました。単行本巻末書き下ろしの4コマ漫画を普通にメインに使うあたりは、よく練りこまれており、声優さんのチョイスも相まって、「女子無駄」の世界観をうまく広げていると思います。2期希望。■


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